<五日目:放課後>
「ここであったが百年目…」
「いやいやいや…普通に昨日も会ってるからね。むしろ毎日会ってる上に朝からずっと俺様追いかけまわされてるから」
「佐助覚悟…っ!!」
「だからもう諦めなって…!!」
今日も今日とて幸村と政宗と佐助の追いかけっこは終わりを見せず、廊下やら運動場やら体育館やら、果ては屋根の上から屋上まで。縦横無尽に走り回る佐助とそれを追いかける幸村と政宗。
流石に五日目ともなれば身体能力の高い幸村と政宗も佐助の動きにある程度はついて来れるようになっていた。
もともと二人がこちらの動きについてきてしまうことは想定の範囲内だったが、困ったことに思っていたよりも随分早い。
佐助だって己が得意とするトリッキーな動きだけではなく、視覚の効果や気配の絶ち方、音によるトラップなども織り交ぜ、幸村と政宗がこちらの動きに慣れないように工夫を重ねてかわしていたのだ。
しかし相手は佐助の予想の上をいっていたらしい。
その上授業終了のチャイムが鳴るごとに襲い掛かってくる二人の猛攻から逃れ、心休まる時が殆ど無いというのも精神的にきつい。
冷静さを欠くような愚は犯さないが、僅かなりとも余裕を削られることはある。
ほかにも、政宗が試しに味方に引き入れたとかいう佐助のクラスメイトがちょこちょこ携帯で狙ってくるのも鬱陶しい。少々乱暴な手段ではあったが飛び道具の代わりに投げたボールペンが上手い具合に壁に刺さったのを目撃されてからはそんな輩も激減した。
しかし完全に無くなったとは言い切れないから続けて警戒は必要だろう。
「多少痛い目にあったら諦めてくれっかな…」
関係のない人間がどれだけ傷つこうがあまり気にならないため、そんな物騒なことを呟きつつ、背後からすさまじい勢いで追いかけてくる気配から逃れるべく、己のかけるスピードを速める。
直線になるとカメラに捕らえられてしまうため、あらゆるところで曲がって己の姿を隠すことも忘れない。
「こんの、ちょこまかと…!お前こそいい加減諦めて俺に掴まれ!!」
幸村の命令めいた言葉が聞こえてくるが、それを無視して手近な教室へと飛び込む。
「hey、テメェが気配に気づかねぇとは珍しいじゃねぇか」
「…っ!!」
教室に飛び込んだところで、扉の影に政宗が佇んでいた。
普段あれほどうるさい気配を放っているというのに、今日に限って欠片もその気配を感じ取れなかった。油断していた佐助の不覚だ。
「く、そっ」
咄嗟に手で顔をかばい掛けたところで、相手が持っているものがカメラではなく木刀だと気づく。
「え?!何それ?!」
写真を撮ることが目的だと思っていたが、木刀を構えるということは何かが違ってしまっている気がする。
写真ではなく、むしろそう、命とかそういう感じのものをとろうとしている…?!
「ちょっ嘘ぉ?!」
あり得ない速さで繰り出される攻撃を紙一重で避けつつ、何とか距離をとろうと図る。しかし中長距離戦では佐助の方が有利なのは政宗も承知しているのか、なかなか距離をとらせてもらえない。
「避けんじゃねぇよ猿!手加減できなくなるぜ?」
「ちょっ…今もしてないだろあんたっ!!」
なるべく身を低くしながら攻撃を避けつつ、何とか政宗に隙ができないかと伺う。長物を扱う政宗にとって、こうも机が立ち並んだ教室内で刀を振るうには障害物が多すぎる。しかも、身を低く屈めて逃げる佐助を獲物とするならそれも尚更のことだ。
「ちっ」
元来短気な政宗が、その片目に剣呑な光を宿す。どうやら小賢しく逃げる佐助の動きに早くもしびれを切らし始めたらしい。
そろそろ感情に任せた力技でくるだろうか。
その隙をついて逃れてやろうと算段をつけたところで、追いついてきた幸村の鋭い声が響いた。
「政宗殿!!佐助に怪我をさせるのはご法度でござるよ!!」
「Shut up!そういう言葉は動くこいつをぶれずにフィルムに捉えてから言え!」
「……。」
そういえば二人が撮った写真を盗み見ても、影にしか見えない何かしか写ってはいなかった。撮られた際に危ないかと思われた瞬間も何度かあったが、現物を確認すればそれでさえ人と認識できるようなものが写った写真は一つもなかった。
どうやら佐助の動きについて来れるのは本人たちだけだったようで、写真の撮影技術はまだ底辺を張っているらしい。
だから政宗は多少荒っぽい手段にはなるが、佐助を動けなくしてから写真をとるつもりだったようだ。
理屈は分かるが、かなり乱暴すぎる手段だ。
「こんのちょこまかちょこまかとっ…!」
「う、ぉ」
左右に障害物がある状態でとれる木刀の動きはそう多くない。上下か、それとも前後か。
今繰り出されたのは鋭い突きだった。当たったら肋の何本かいってただろう。
しかし当たらなかったのだからこれは危機ではなく好機だった。
まっすぐ伸ばされた政宗の腕が戻る前に、その隙をついて逃げる。
「ちぃっ」
「のゎっ」
どこの喧嘩戦法かという動きで、まさかの体制で蹴りが飛んできた。やはり油断できないと思いつつ、その蹴りをはじきながら上へと体を翻した。
「幸村!!」
「逃がさんぞ佐助ぇぇ!!」
途端幸村が腕を逃して佐助を捕まえようとしてくるが、これも計算の内。
このまま何の力も加えられず、重力に身を任せて落下していたらきっと捕まっていただろうが、佐助はそうはしなかった。
「よ、っと」
そう軽く呟いて、天井を蹴りつけてスピードを上げる。
そして懐に忍ばせておいた礫を窓に向かって投げつけた。
パリン、とガラスの割れる音。
「「なっ?!」」
「じゃあね」
空を切った幸村の手を見ながら佐助はひらひらと手を振り、窓の外へと飛び出した。
***
「じゃあね」
天と地が真逆になったような体制で外へと飛び出していく佐助を目にしながら、政宗は追いかけるために足を踏み出した。
足の下でガラス片が砕ける音がしたが、それを無視して足を進める。
「猿!!待ちやがれ!!」
そう叫びながら、掴んだのは幸村の胸倉だった。
そして目は佐助の姿を捉えている。
地面に危なげなく着地して、どこかへ走り去ろうとしているその姿を。
「Hey、逃げて良いのか?」
呟きのような声は普通の人間には聞こえない声量だろう。しかしきっと佐助には聞こえるのだ。1階と4階という数メートルの距離を隔てていても、あの恐ろしく耳の良い佐助には。
政宗の予想は当たっていたのか、既に走り始めていた佐助が政宗たちの立つ4階の窓へと訝しげに目を向けた。
…かかった。
確信とともに、にやりと己の口角を上げる。
精々悪役らしく見えるように。
「大事なもんが壊れちまうぜ?」
一つ宣告のようにそう呟けば、一瞬あの佐助が目を見張ったような気がした。
それを無視して己の剛腕へと力を込める。
「へ?」
間抜けな声は、幸村のもの。
その幸村が、ぽかんとした表情で政宗を見据えている。
そして政宗も幸村を見据えている。
さっきの佐助のように、天と地が真逆になったような体制の幸村をだ。
「てめぇなら落ちても死にはしねぇだろう」
「へ?!」
そのセリフで一体自分がどんな状況に陥っているのか理解したようで、幸村は体制を整えようと手をばたつかせた。
しかしその体は宙にある。
もっと詳しく言えば、窓の外へ放り出されている。つまり、掴まるものなどどこにもないのだ。
「ちょっ政宗殿ぉ?!」
「せめて頭は庇えよー?」
人一人外へぶん投げておいて、そのセリフはどうかと自分でも思うが、それよりもまず、だ。
「さて、あの猿はどう動く?」
にやりと笑んだ己は相当悪い顔をしているだろうと当たりを付けつつ、政宗は腰に携えていたカメラを手にした。
あの猿が絶対に動かない状況など、これを無くして他に何があるというのだ。
***
「大事なもんが壊れちまうぜ?」
落ちてくる。
落ちてくる。
落ちてくる。
自分でも何を考えて行動しているか分からなかったが、とりあえず目に映った状況だけが頭の中でぐるぐると反響する。
頭を庇った状態で落下してくる人の姿。
少しでも落下の衝撃を殺そうとしているのか、体を丸めた体制をとって。
けれど向きがいけない。足から落ちるならまだ安心できるが、あんなふうに頭を下にしていたら。
駄目だ。
落ちてくる。
駄目だ。
「旦那っ…!」
切羽詰まった声は自分のものだのだろうか。
この人を旦那と呼ぶのは自分だけだったが声色が自分らしく無さ過ぎてそれすら実感が沸かない。
「…っ!!」
のどが締まる、周りの音が聞こえなくなる。
駄目だ、落ちてくる。
そして体が動く。
動いている。
ずざ、と何かを滑る音が響いて己の腕に結構な重さの負荷がかかった。
肩が外れそうだ。
腕がもたなかった場合、この人は地面に直撃。
それをちゃんと頭で理解していたのか知らないが、己は地面と幸村の間に体を滑り込ませた上で受け止めるような形をとっていたらしい。
それを幸いと言うべきか、腕だけでは支えきれず体が落下してきた幸村につぶされる。
「ぐ、」
漏れ出た声は自分のものではなく、幸村のものだった。
「旦那っ?!怪我は?!」
ど、ど、ど、ど、と早鐘のように脈打つ己の鼓動の音がうるさくて、それをかき消すように声をはった。
受け止めた体制はおかしくはなかったし、ちゃんと衝撃も殺せていたと分かる。骨や筋がいかれる変な音だってしなかったから、きっと平気なはずだ。
けれど無事な声を聞くまでは、大丈夫だと言ってくれるまでは頭がまともに動いてくれない。
「旦那!」
「大丈夫だ、すまん」
顔を上げた幸村と目があった。
苦笑した顔はいつもの笑顔で、困ったように頭を掻いている。
その動きも別段いつもと変わらないから、どこか痛めたところもないのだろう。
「怪我したてってのはあんまり痛みとか感じないもんだけど、ほんとにおかしなところとか無いよな…?」
「ああ、平気だ。それよりお前だろう。…すまんな、一応受け身はとったつもりだが上手く落ちられたか?」
「落ちるのに上手い下手があるかっての!」
「はは、それだけ怒鳴れたらお前も平気だな」
呆れたように笑われて、その笑顔に思わずこっちも力が抜けてしまって。
…それからやっと頭が切り替わった。
己の優先順位の一番目が幸村の無事の確認だとしたら、二番目は幸村の無事を脅かしたものの排除だ。
ふつりふつりと己らしくない感情が腹の底から湧きあがってくる。
「……。」
「…佐助?」
いきなり切り替わった佐助の気配を疑問に思ったのか、幸村が佐助の名を呼ぶ。
その声を遮るように手を伸ばして、幸村の目を覆いながら何かを隠すように引き寄せた。
そして怨敵の名でも呼ぶかのように声を張り上げる。
「独眼竜…!!」
睨みつけた先に、その男はいた。
それもカメラなんぞを構えて。
「chekkmate、だな」
まるで悪役のような笑みを浮かべて、何度もシャッターが切られる。
「っ?!」
咄嗟に顔を隠そうとしたが、遅かった。
気づかないだけでもう何度も撮られていたかもしれない。なんていったってこの直前まで幸村以外のことは頭から飛んでいたのだから。
完全に嵌められたのだ。
「テメェらしくないじゃねぇか。今完全に頭に血が上ってるだろ」
「あんたな…やって良いことと悪いことがあるだろ」
「さぁな、俺は目的のためなら手段は選ばない男なもんで」
「……。」
何でもないことのように言われて、佐助は深く決心した。
いつかこいつ殺してやろう、と。
しかしそんな佐助の心中など気にしていない様子で幸村が顔を上げる。
「政宗殿!写真は撮れたのでござるか?」
「おーおーバッチリな。ちょっくら現像行ってくるわ」
「お頼み申す!」
笑って手を振る幸村に、まさか今の全部幸村と政宗の作戦だったのでは、と息をのんだ。
「あ、あんた…まさか」
「ん?何だ佐助?」
「俺様を嵌めるためにわざと落下した…とか?」
おそるおそる聞いてみれば、幸村は笑ってこう言った。
「俺がそんな器用な真似できるわけなかろう。頭から落下した時はどうなるかと思ったが、なるほど。全部政宗殿の作戦であったようだな」
関心したようにうなずく幸村に、安心半分呆れ半分で思わずため息がこぼれる。
「何を呑気に。あんた俺様が受け止めてなけりゃ確実に怪我してたでしょ…」
一般人なら死んでいただろうが、幸村の場合酷くても怪我する程度だろう。だとしても、佐助の腹は収まらない。
「現に俺もお前も無傷だろう。ならば問題あるまい」
「問題大有りだっての!!そこは流しちゃだめだろ!」
いくらお互いが無事であろうと、政宗が幸村の身を危険にさらしたことには違いない。
幸村が問題無いと言ってもそこはやはり流せはしない。同じ目にあってもらうか、それ以上に痛い目にあってもらうかしなければ割に合わないだろう。
いくつか物騒な報復手段を頭に思い描きつつ、立ちあがろうとすれば幸村か佐助の腕を掴んできた。
「どこへ行く」
「いや…まぁ、その」
流石に仕返しに、何て口にはできずに言いよどむと、幸村はもう一方の手でも佐助を拘束してきた。
「現像を邪魔しにいくなら俺はお前を離すわけにはいかんぞ」
「……あ、写真」
うっかり失念していたが、政宗は現像に行っているのだ。早く止めなければいけない。
「もう観念しろ。多少乱暴ではあったが俺と政宗殿の勝ちだろう」
「勝ち負けの問題じゃなくてさぁ…」
もっとこう、幸村には自分の身を大事にしてほしい。
そうでなければ佐助の身が持たない。そしていつか神経性の胃炎でも患いそうで怖い。
「いいや、お前の負けで終わりだ。もう俺から逃げるなよ」
「…だからさ、人の話を聞けって」
「もう良いだろう。流石に連日これだと俺も疲れた」
「どっちかってーと俺様のがすんごい疲れてるような気がするんだけど」
「ああ、だから終わりだ。俺の勝ちだ」
「……はいはい」
結局佐助はこれ以上言うのを諦め、座りこんだままの状態でため息をついた。
思えば気を抜いた状態で幸村とこの距離で話すのは本当に久々である。
「別に掴んでなくてももう逃げないけど?」
「そうか」
幸村はそう答えたものの、まだ疑っているのか手を離さない。
振り払おうと思えば振り払えるほどの力だが、佐助はしばしそのままでいることした。
手を伝ってじんわりと染み入ってくる幸村の体温が心地よい。
「ま、いっか」
佐助も少し疲れたのだ。
少しくらい、休んだっていいだろう。そう思って力を抜いた。
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筆頭ってこんなしょーもない追いかけっこくらいなら効率優先で囮とか餌とか使いそうだなぁと。
そして幸村は細かいことは気にしない性格だろうなぁと。
で、佐助が一番かわいそうかな、と思ったのでこんな流れになりました。
次で本当に完結です。
(10.05.23)