流血・微エロ注意
「見なければ良いのだよ」
優しげな声が耳のすぐ傍で囁かれた。
ずるりと頬を滑ってくる幸村の手の感触は、血でぬるぬるしていて気持ちが悪い。
しかしそれよりも肌の熱さが酷すぎて、触れられるたびにこの身が焦がされていっているのかと思った。
ゆっくりと鼻の上を滑った人差し指が、右目のすぐ下で止まる。
「見なければ良いのだよ」
もう一度囁かれた言葉に、これから行われるであろうことを悟った。
この熱い手が今から、殺したくなるような幸村の表情を見なくて済むようにしてくれる、と。
即ち、視覚の欠如。
目を抉られればこれからの忍としての人生に多大な影響を及ぼすことは明白だった。
戦に出ることなど出来るはずもなく、偵察にすら使えない。
只の役立たずだ。
死ぬのと変わりはない。
それなのにどうして、抵抗しようと思うことすら出来ないのだろうか?
佐助は人事のようにそんなことを考えた。
それなりの苦労をして築き上げた忍としての技能も、空を駆けると言わしめた二つ名も、忍の中の忍よと称えられた強さも。
全部がこれで消える。
痛いのは常人と同じく嫌いだし、目を抉られて喜ぶ趣味もない。
主の手でなら。
そこまで心酔した思想も持っていない。
でも、体が動かない。
感じる予感は救済めいた黒々とした希望の光だ。
思考の海はひたすら暗く、動きを封じ、意志を掻き消し、思いすら沈めてゆく。
しかしすぐにその思考は終わりを告げた。ぷちりと途切れ、すぐにすべての感覚が吸い寄せられる。
下瞼の薄い皮膚に触れる幸村の指だ。
皮膚が薄い分感じる熱は強くなる。
触れられているだけで焼け爛れてゆきそうな気がした。
そしてその熱を発しているのが幸村の体なのだ。
「…熱い」
うわ言のように呟くと、その声を合図にしたかのように己の瞳から涙がこぼれ落ちた。
泣くのなんて何年振りだろうか。
どうでもいいことを思い浮かべて、その瞬間には瞼に触れる手の熱に意識が引き戻される。
熱い。
人の発する体温を遥かに超えた、爛れる様な熱さ。
気配も声色も幸村とはほど遠く、触れられて伝わる熱さは人の定義からも遠ざかっている。
一体何から幸村を感じとればいいのだろうか。
瞼を焼くような熱は断続的に痛みすら与え、掻き立てるような焦燥感を生む。
「……っ」
旦那、と声にならない声で呼ぼうとした瞬間、不意に疑問を覚えた。
さっきまでの黒々とした思考の繰り返しなどではなく、現状に対するとても大切なことだ。
目を抉らると悟ってから時間が経ちすぎているのではないか?と。
瞼に触れる幸村の熱い指の感触は確かに感じるし、不気味な気配も消えた様子はない。
しかしそれだけなのだ。
時間が止まってしまったかのように、そこから先へは絶対進まない。
あとほんの少し、指をこの両目に突き入れるだけなのに。
不思議に思い、顔をずらして視界を塞いでいた指から逃れた。
それを止めようともしない。
やはり変だ。
そして上体を起こして改めて幸村の顔を見る。
「…旦那?」
佐助の喉から、掠れた声が漏れた。
蝋燭の不規則な炎の揺らめきに照らされているのは、苦しげに眉根を寄せて、額に脂汗を浮かべた横顔。
中途半端な状態で止められた右手は、佐助の両目を抉ろうとした形をとったまま動かない。
「旦那?」
佐助がもう一度声をかけると、空中で止められた腕がガタガタ震えだした。次いで呼吸が大きく乱れ始める。
まるで何か相反する命令二つを、体が同時に実行しようとしているかのように。
さっきとはまるで違う。
壊れたように震える体も、ぽたりと伝い落ちた汗も、絞り出されるように洩れる吐息も、さっきとはまるで違う。
そこかしこから漏れだしてくる、生きた気配。
「だんな?」
焦燥からか、上手く紡げない相手の呼称を、少し難儀して無理やり押しだした。
その言葉が幸村に届いた瞬間、ほんのわずかな空気の震えに揺らされたように、幸村の体がぐしゃりと崩れ落ちた。
「旦那っ!」
伏した幸村の体は、苦しげに畳に爪を立てて必死に何かに耐えていた。
咽喉からは悲鳴のような吐息と、時折漏れ出るくぐもった呻き声。
そして滴り落ちる汗。
体が限界に来てしまったのだろうか?
「旦那っ!しっかりしろ!」
「…ぁっ」
声をかけると苦しげな声が耳へ届いた。
汗だくの体がガクガクと震えている。
咄嗟に手を伸ばし、震え続ける肩に触れてみると、人ではありえないような発熱、そしてじっとりとした汗の感触がした。
「っ…旦那、大丈夫か?…畜生っ」
ただ震え続ける主を前に、何をすることも出来ない。
己の無力さを噛み締めつつも、諦めることなど出来るはずも無く。
出来ることと言ったら、名前を呼ぶことくらいなのだろうか?
失意の中己の拳に力を込めると、震える何かが伸ばされた。
はっとして目に捉えると、それは幸村の手だった。
それがゆっくりと佐助に伸ばされている。
「旦…っ」
その手を取ろうとした瞬間、がつり、と音がした。
視界いっぱいに幸村の顔が映っている。
何故幸村の顔がこんなに近くにあるのだろう?
一瞬呆けて、すぐさま理解した。
「んぅ…」
気づいた時には既に遅く、生暖かい何かが噛みしめようとした歯の間から滑りこんできた。
それは頑なに逃げようとする佐助の舌を絡め捕り、舌先をきつく吸い上げ、口腔を蹂躙する。
「…んっ」
口の中に血の味が広がった。
痛みが無いことから切れたのは己の唇ではなく、幸村の唇だということが分かる。
相手の舌が絡みつく度に、血の味が濃くなってゆく。
冗談じゃない。
咄嗟に距離をとろうと腕に力を込めたが、首の後ろに回された幸村の腕がそれを許さない。
違う、幸村の腕じゃない。
違う?腕は幸村のものだ。
違う、幸村はこんなことしない。
じゃあ今舌を絡めてくるのは?首に手をまわして離さないのは?さっき目を抉ろうとしたのは?胸糞悪い笑みを浮かべるのは?
「…っう」
ちゅ、と嫌な音が響いた。
やめろと声を出そうにも口を塞がれてはそれも出来はしない。
むしろ開いた口の分、深くまで貪られる。
苦しい。
無遠慮に口腔を犯す舌は、持ち主の意思などまるっきり無視してただ卑猥な水音を立てた。
鼓膜を震わすその音が酷く耳障りだ。
聞きたくない。
首を振って逃れようとしてみたが、首に回された方とは逆の手で顎を掴まれ引き戻される。
強引に続けられるその行為に、抵抗らしい抵抗も出来ない。
「っは…」
戯れ程度に離れた合間を縫って、乱れ始めた息を整える。
近すぎて照準の合わない目の前の顔が、にたりと笑った。
「息、乱れてる」
「るせぇ…」
眼光鋭く睨み返しても、不気味な笑みは揺らぐことすらなかった。
こちらの表情などお構いなしに、気配のない動作で佐助の首に回された腕を項へと這わす。
「鼓動も」
「……」
さっき、幸村の意識が一瞬戻ったのかと思った。
体の主導権が移り替わったのかと。
そう思って、凍てつかせた心をわずかに溶かしたのがいけなかった。
不甲斐無いことだが不意を突かれたのだ。
ほんの僅かに差し込んだ光に、一縷の望みを抱いてしまった。
そんな馬鹿みたいな油断のせいで、今息を乱している。
鼓動は焦りと不安と一瞬にして砕かれた淡い希望のせいでとくとくと早鐘を打っているし、凪いだ心はさざ波が立ち始めている。
良くない傾向だ。
「少し、分かった」
「……」
何が、とは問いかけ無かった。
己の内側が乱れていることを悟られたのだと、聞くまでもなく分かっていたからだ。
まったくもって不甲斐無い。
「痛みより、やはり良い」
弧を描いた唇はそのままに、目を猫のように細めたソレはいきなり身を起こした。
音すらしなかった。
「…っ」
身構える暇すら与えられることなく、相手との位置関係は逆転していた。
背に畳の感触、首の後ろに熱い掌。
眼前には怖気立つような笑みを浮かべる大切な人物の顔。
その後ろに無機質な木目の天井。
視界の端に、静かに揺らめく蝋燭の灯り。
「続きだ」
ささやき声が耳に届く前に、血の滲んだ唇が己のそれを塞いでいた。
さっきの余韻か知らないが、触れた唇の温度は己とそう変わらなかった。
それはこちらの体温が高くなってきているという事だ。
相手の熱を移されて。
へたな悪夢より性質が悪い。
血と唾液でぬるりと滑る唇の感触。
その行為は触れるだけで終わり、なんてことあるはずもなく、噛みしめて拒否するこちらの口を強引に割って舌が入り込んでくる。
もちろん歯を開いてやる義理など無い。
佐助は口を引き結んで眼前の顔を睨みつけた。
すると、不意にぼやけていた相手の顔がはっきり見える。
唇が離されたのだ。
「…あーあ」
一度も外さなかった視線が、相手の瞳に別の何かが宿るのを捉えた。
色で例えるなら濃蘇芳。
赤黒い何かだ。
怒りと呼ぶには闇が強く、憎悪と呼ぶには鮮烈過ぎた。
近い表現を探すと、湾曲的な苛立ち。
そんな類の意思の光だ。
「お前は愚かだ。私は二度も同じ過ちを許すような慈悲は持ち合わせていない」
幸村の姿を借りた何かは、言い終えると薄く口を開いた。
あまりに自然な動作だった。
そうすることが当然のように、何気ない仕草で動き出した口元。
なにもおかしなところは見つからない。
当り前の行動のように映る光景。
「っぁ…」
しかし佐助は動いた。
握り絞めていた拳を開きながら、開かれた唇へと手を伸ばす。
加減する余裕はなかった。
全力で手を動かした。
今までこの動作のためだけに己の体を研ぎ澄ましてきたのだ、とでも言うように。
一番長い中指を伸ばし、最小限の動作でそれを幸村の口元、歯と歯の間へ押し込む。
「待っ…!!!」
制止の言葉になど意味はない。
言って止められる行動では無かった。
しかしそのあと指に走った激痛には意味があった。
間に合ったのだ。
「…っ」
噛み切られようとしていた幸村の舌は何とか無事で、変わりに佐助の指が傷ついた。
嫌な音が響いた。
爪が割れて、皮膚も喰い破られた。
骨はおそらく無事だ。
罅が入っていたとしても、どうせ治る。
大丈夫だ、問題はない。
「もう、抵抗はしねぇよ。好きにしろ…」
指を口に突っ込んだ状態のまま、佐助は絞り出すように答えた。
声には焦燥と後悔が滲んでいる。
その声にこたえるように、体温の高い手が佐助の手首を掴み、そっと押し返す。
ぽたぽたと、幸村の口から佐助の血が滴った。
「馬鹿だね」
言葉が紡がれるたびに、口の端から血が流れる。
ふと、幸村の顔がまたも笑みを模った。
笑みと呼んでいいのかも躊躇う程の、いびつな口元の歪み。
それこそ妖怪か何かのように弓なりに引き攣られた唇。
人間の出来る動きでは無かった。
「頼む、」
そんな顔させないでくれ、そう続けられるはずだった言葉は、ぷちりという小さな音にかき消された。
「うぁ…っ」
佐助の喉から、悲鳴に似た声が漏れた。
目を驚愕に見開いて、口元を戦慄かせる。
「これくらいで許してあげよう」
そういって表情をもどした幸村の顔は、唇から多量の血が流れていた。
その血は先ほどまで滴っていた佐助のものでは無かった。
見る間に溢れ出る幸村の鮮血。
無理に歪められた唇の皮膚が変化に耐えられず、数か所千切れてしまったのだ。
「旦那…」
呟いた言葉は無意識だった。
耳が拾った己の声に、口走った呼称に気付き、酷く自分が動揺していることを自覚した。
落ち着かせようと息を吸い込むが、喉が震えて上手くいかない。
酷い状態だ。
自嘲的に笑みを浮かべようと口元を歪めたけれど、荒々しく噛みついてきた唇にその笑みは掻き消された。
「…っ」
さっきよりもずっと深い口付け。
拒むことは許されず、従順に口を開いて受け入れる。
「んんっ」
舌先を強く吸われて思わず声が漏れた。
嫌だ。
しかしそれが相手を煽ったらしく、何度かその行為は繰り返される。
深く差しこまれては絡み捕られて、吐息をつくことすらままならない。
口の端から飲みきれなかった唾液と、幸村の唇からあふれ出る血が伝う。
赤く走った血の筋は項へと続き、首の後ろを固定している幸村の手に行き着く。
そして酷く不快な手つきでぬるりと撫でつけられる。
こみ上げる不快感から、くぐもったうめき声が漏れ出た。
それでも行為は休まることを知らず、荒々しく口腔を蹂躙する舌は未だ深く差しこまれたままだ。
長く続くはずの息が切れはじめ、空気を求めて顔を傾けると、角度を変えて口づけられる。
息が出来ない。
「ん、…ぅん」
息が苦しい。
何とか耐えようと畳に爪を立てた。
しかしさっき割られた指から激痛が走り、びくりと体が震えてしまう。
その震えが気に入ったらしく、近くで揺れる不気味な光を宿した瞳が、さっきみたいに弓なりに細められた。
それが悔しくて、せめてもの抵抗に冷たい視線で睨み返した。
しかし乱れた呼吸の熱さの前に、それは大した威力を持たない。
「―っん、ん」
鼻で呼吸するにも限度があり、目の前が暗くなり始める。
このまま窒息死というのも魅力的な選択肢だが、死を選ぶならせめて主に巣食うこの得体の知れない何かを道連れにしてやりたかった。
何とか誘惑を断ち切って、死を己から遠ざけるべく動く。
抗議の意味で相手の背を軽く叩くと、意味を理解したのか差し込まれた舌が引き抜かれた。
そしてやっと唇が離れる。
「…は、…っ」
肩で大きく息をして、乱れた呼吸を無理やり整える。
野を一つ駆けてもここまで呼吸が乱れることはそうないことだ。
体力的な面ではなく、精神的な面で追い詰められているのだろう。
「気持ち良いかい?」
「気色悪い」
掛けられた的外れな問いに、反射的に声を返す。
どう間違っても気持ち良いなんて答えは出るはずは無い。
得体の知れない何かにこうも好き勝手されるのははっきり言って怖気立つほど気色悪い。
しかも体は幸村。
何の嫌がらせだろうか。
少なくとも自分の命よりは大切な、本当に大切な主なのだ。
他の誰かなら体ごと始末しているところなのに、よりによってこの人。
冗談じゃない。
佐助はあらゆる苛立ちを込めて不気味な笑みを睨みつけた。
「ふふ…もっと睨みたまえ。外見は主のものでも似ても似つかないと言ったのはお前だろう?ほら、…遠慮することはないよ」
「黙れ」
「その目だ。凄いね…視線一つにさえ闇が宿る。…瞬く間に消えゆく脆いヒトの中に、こんな掘り出し物を見つけるなんて…私は運がいい。…ヒトの世では憑いてるというはずだったね?」
「黙れと言っている」
「皮肉な事にこの人間に憑いているのは私だけれど、ね」
「黙れっ…!!」
「…嫌だよ。空気を震わす意思疎通方法などそう出来ることではないからね。せっかくこの体にも慣れてきたことだし、楽しんでおかないと」
「憑くなら俺にしとけば良い」
「…ほう?」
「闇の気配が濃いと言ったのはそっちだろ?あんたにゃ都合のいい体のはずだぜ」
「それは…その通りなんだけどね、困った事にお前には厄介な守りが付いていて媒介無しでは近づけない」
「守りだ?んなもんある訳無えだろ…!!っそんなものがあったらそれはこの人守るためのもんだろうがっ」
「そう思いたければ思えばいい。信じる信じないはお前に残された僅かな自由だ…」
妖しく笑ったソレは、睨み続ける佐助の視線を真っ向から受け止めて、低い声で話し始めた。
「今のうちに足掻け。すぐに意思は消え自由という名のつくもの全て…闇に呑まれる」
うっとりした様子でソレは目を細め、佐助の頬へと手を這わした。
乾き始めていた眼尻の傷をそっとなぞり、ゆっくりとそこに口付ける。
幸村の唇から未だに流れ続ける血が、佐助の眼尻に新たな朱を落とした。
「仄暗く揺らめく闇、身に纏った他者の血、消えかけた灯火、繋がりを絶った心と体、仮初の振舞い、虚偽ばかりの誓い、繋ぎとめるは脆弱な紅…」
呪文のように続けられる言葉が、佐助の中に沁み込んでくる。
人間という器におさまっていたあやふやな何かが、その言葉によって形を成していく気がした。
それは絡み捕られるように佐助を淡々と包み込む。
「もうすぐ消える蝋燭の炎、あたりを満たすぬばたまの闇、その身に刻み続ける他者の鮮血…」
首筋に軽く歯を立てて、幾つか痕を残しつつも下へ下へと移動する唇の感触。
同時に言葉でも佐助に痕を残す。
「お前はもう人ではないよ、猿飛佐助」
「…っ」
初めて呼ばれた己の呼び名。
何かがかちりと音を立てて嵌った気がした。
今までぐちゃぐちゃに絡みあっていただけだった無数の呪縛が、呼称を口にするだけで複雑な枷となりこの身をがんじがらめに戒める。
足掻けども、動けない。
体中からどっと汗が噴き出た。
いつもならそんな言葉など気にも留めない。“人じゃない?それがどうした…俺は忍だ”と一蹴して終わらせている。
けれど揺れ動く。
存在すら疑わしかった心が。
「俺…、は」
動揺を悟られたくなくて、とっさに反論しようとした声は情けないほどか細いものだった。
のどが不自然に引き攣る。絞り出した声は掠れて消えかけた。
もう言葉の一つすら自由にならない。
(闇に、呑まれる)
言われた通りになっている。
体が上手く動かない。力が入らない。息が苦しい。声も出ない。
自由が零れ落ちてゆく。
そこで気づいた。
己の動揺の理由。
情けないほど他愛ない、忍らしくない馬鹿みたいな理由。
似ても似つかないと思っていた、幸村の顔で、声で。
“人ではないよ”
誰よりも忍を人として扱う風変わりな主。
そういうものだと割り切ることが出来ず、けれど立場がそれを許さない。
まだまだ幼く、未熟で、青臭さの残る精神。
けれどまっすぐで優しい。
そんな主の声で、そんな主の顔で。
己にとっては呪詛にも等しい言葉を与えられた。
平然としていられるはずだった。
何を言われても平気だった。
そのはずだったのに、己はこんなにも動揺している。
どれだけ心の内に押し隠そうと、己をこちら側に繋ぎ止めていたのはあの紅の炎だったのだ。
その炎が弱まり、消えかけ、そして蹂躙された。
それを目の当たりにしてここまで己が崩れ落ちるとは。
なんと無様な。
佐助は目を閉じた。
今まで何をされても逸らさなかった視線を、初めて閉ざした。
それは心が折れ始めた合図となる。
「ふふ…、外見と内面の一致は完成された美の一つ。ほら、己の姿を見てごらんよ?見事に体現しているじゃないか」
優しげな声音に導かれて、佐助は言われるままにぼんやりと目を開き、視線を己の体へ落とした。
そこには。
呼吸が止まるかと思った。
いや、実際止まった。
さっきまであれだけ乱れていた呼吸がぴたりと、まるで元から存在していなかったかのように。
中途半端に止められた息は無様な音を立てて喉で砕け、消え去る。
それによって止まった肺の伸縮が胸の上下も静止させる。
さっきよりもっとよく見えるようになった。
幸村の血に染まった己の体を。
薄闇の中で忍の鍛えられた視覚が捉えた傷だらけの体、夜に生きるモノ特有の青白い肌、その白さのほとんどを覆い隠すように散った血の赤。
それもただの血じゃない。
唯一人の主、真田幸村の血なのだ。
この人に血を流させないために己が在るのじゃなかったのか。
この人が進むために己は共に駆けると誓ったのではなかったか。
この人が行く先を存在ごと信じたのではなかったのか。
嘘だらけのこの身にたった一つ宿った真実ではなかったのか。
「殺せ」
無機質な声とともに、佐助の体からすべての力が消え去った。
ぼたりと不自然な音を立てて畳の上に転がった。
瞳はもはや何も映さない。
光一つない闇が渦巻き、瞳孔が無気力に伸縮する。
何もなかった。
もう疑問すら浮かんでこない。
「いらっしゃい」
佐助に覆いかぶさったままだったソレは、穏やかに声を掛けて、優雅な所作で手を動かした。
行き着く先は佐助の首。
噛み痕と凝固し始めた血の跡と、幾つかの欝血の痕跡を残した白い首。
そこに手を掛けて、指を絡め、数度撫でつける。
そして、一瞬の躊躇もなく徐々に力が込められていく。
ひゅう
締め付けれられた事により、喉から空気が漏れた。
外へ逃れた吐息は霧散し、二度と戻ってくることはない。
空気の循環はとまり、喉は入口を閉じた。
圧迫された気道を意識が認識することはなく、聞くことをやめた頭はどくんどくんと脈打つ堰き止められた首の血管からの鼓動をただ振動として捉えた。
それが早く止まってくれることを、死んだ思考の片隅で祈って。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
名前は呪縛の第一歩。
幸村は佐助の神様で光で未来。
(08.9.26)
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