佐助にとって一番馴染み深い戦場とは、多様な色彩を操って絵を描くように陣形を変化させる信玄の見事な采配と、馬に跨り二槍を振りかぶる紅蓮の人。
その二つだ。
犇めくような人の声と剣戟の音が飛び交う中で、その二つだけが燃え盛る炎のように存在している。荒々しい炎のような勢いを持っている癖に、ともすれば華にさえ例えられそうな絢爛の様相を見せ、いつの間にかこんな風に焼きついて離れなくなった。
もう忘れたくとも忘れられない。
けれど今は、そんな馴染み深い戦場とは打って変わり随分不慣れな場所に立っている。
視界を埋め尽くすのは目に新しい軍旗と紫の色彩。耳を打つ音は馬の蹄では無く波のざわめき。そして取り巻く空気は新緑とはほど遠く、潮の香りに満ちていた。
どれもこれもあの馴染み深い二つを連想するにはほど遠い光景だというのに、自分の頭は戦場に立っただけですぐにあの赤を思い起こしてしまう。
それを振り払うように軽く頭を振ると、目に映る景色を焼きつけるように目を見開いた。
今回の戦は警戒していたザビー教がついに動きを見せたことから始まった。
もともと元親は四国を戦場にするつもりはなかったらしく、布陣をするなら瀬戸内の海上、出方を見てこちらから九州へ直接攻め込むことも考えていると言っていた。
しかしザビー教の動きは思ったよりも早かった。こちらが攻め込む前に、九州から将が差し向けられてきたのだ。
それが、あの毛利元就だった。
本来ならば同盟を結んでいる国の国主であるはずその男は、サンデー毛利とかいう洗礼名を掲げて中国へ陣を布いた。偵察に出た佐助も驚くほど元就の様子は以前と違っていて、信仰心厚く祈る対象が日輪からあのザビーへしっかり切り替わってしまっていた。元親が笑いながら頭を抱えるなんていう複雑なことをするはずである。
そして相対する側の元親は宣言通り瀬戸内海に陣を布いた。
流石に海賊と自らを称しているだけあって、二つの陸に挟まれたあの海にずらりと軍船を浮かべる姿はそれだけで圧巻だった。
しかしその指揮を執る元親は苛立つようにこう告げた。
「今回の戦は、とっとと終わらせるぞ」
戦なんてものは早く終わらせるに越したことはない。そんな当たり前のことを告げたのではないことくらい、佐助にも分かった。
元親が言いたかったのは、敵の殲滅でも壊滅でもなく、戦の終結だ。
つまり、大将をさっさと押さえるぞ、と言ったのだ。
理由は物見へ出た佐助が一番良く分かっていた。今回の戦には、あのザビーが来ていないのだ。
あれだけ四国を欲しいと言っていた癖に、この出兵に参加していないということ。その理由は少し考えればすぐに分かる。
長曾我部と毛利を戦わせて兵力を削り、その隙をついてザビーが攻め入ってくるつもりなのだ。
それに対応するには毛利に構っている暇はない。一刻も早く片を付けて、後からくる本命へと備えなければいけなかった。出来ればこの予想は外れていて欲しかったが、実際九州では戦の準備が進められていた。佐助が必死になって走り回って見てきたのだから、間違いはない。
それを聞いた元親の行動は早かった。瞬く間に人を集めると、使えるものは何でも使うと笑い、佐助さえも作戦の枢軸へと組みこんでしまったのだ。
まるで忍のような考えをする男だと佐助は思ったが、その思いは情に溢れすぎている。
目的のために他を排する忍と違い、元親はまず目的自体が他を守ることを主軸に置いている。根本から違うというのに、何故忍と似ているなどと思ってしまったのか。
それについて考えていたら、丁度元親から声が掛った。
「おい、忍」
「はいはい何でしょ」
思考を中断して答えを返せば、元親は眉根を寄せて、なにやら複雑そうな顔をしていた。
「何?俺様もうすぐ出るんだけど」
「ああ、…いや」
なおも言い淀む元親に、佐助はひらひらと手を振りながら笑って言ってやった。
「言いたいことあるなら言っちまった方がいいぜ?何てったってこれから始まるのは命の遣り取りなんだからさ」
努めて明るく言えば、元親は困ったような表情でぐしゃぐしゃと髪を掻き交ぜた。
そして一呼吸分逡巡すると、腹を決めたのか佐助をまっすぐに見て口を開いた。
「毛利の、ことなんだが」
「ああ、敵の大将ね」
毛利元就のことだと分かれば、何を言われるかは予想がついた。
今から佐助が付く任務は、一番元就に近い場所へ行くことになる。
ならば、
「殺さないよ」
言われる前に、佐助は口に出していた。
少し考えれば分かることなのだ。元親はどうにも身内に甘い。決めるところはびしっと決めるが、一度懐に入れた人間には不安になるほど心を傾ける。
そして毛利だ。
長曾我部は毛利と同盟を結んでいた。その時点で元親の中では、身内との垣根が低くなっていることだろう。
そんな折に、ザビー教が中国へ攻め入った。佐助の記憶が正しければ、長曾我部軍は要請に従い中国へ援軍に駆けつけたはずだ。同盟中ならば普通にあることだから特におかしくはない。
しかし、駆けつけた時にはもう遅かったのだろう。毛利元就の姿は無く、追撃しようにも毛利軍は大将を欠いてそんな状態では無い。
援軍という形で駆けつけたのなら、わざわざ長曾我部軍が追撃のために兵を出すわけにもいかない。
原因は援軍要請が遅かった毛利軍にあっただろうに、情に厚い元親が気にしない訳がないのだ。
そして更に、次会った時には毛利元就ではなく、あのサンデー毛利だ。
そりゃあ責任を感じるのも分かる。
「殺さないで、生かして捕らえるよ」
もう一度はっきりと佐助が口にすれば、驚いた表情で固まっていた元親が慌てて口を開いた。
「お前、まさか人の心まで読めたりするんじゃ…」
「いや、それは無理」
「んじゃ今のは何で」
「あんたの考えが顔に出やすいからじゃないの」
「何だそりゃ!」
「とりあえず鏡見てみれば?」
「おっ前は本当に可愛くねぇな!せっかく人が真面目に礼を言おうかと思っていたのによ!」
「野郎に可愛いなんて思われたくはないんでね」
そう言って佐助は一歩下がると、会話を終わらせる意味も込めてその場に膝をついた。
「何だァ?いきなり…」
折角佐助が格好をつけたというのに、締まらない声が上から降ってきたがそれは無視する。
そして顔を伏せたまま、声を発した。
「それでは俺様はこのへんで。どうか御武運を」
「!!」
忍が場を辞する姿をあまり目にしないのだろう。素で驚いた気配を感じつつ、佐助はぶわりと天高く飛びあがった。
空はいやになるほどの快晴で、雲一つ見当たらない。これは晴れの国の空だ。
その空から降り注ぐ強すぎる光を邪魔だと感じつつも、闇に馴染んだこの身を埋めるように隠すと、下の方で大きな声が響いた。
「ありがとよ!テメェもな!」
その声も内容も、何とも戦場に似つかわしくない快活なもので。
その癖この晴れた空にはこれ以上無いほど似合いの声で。
佐助は思わず笑ってしまった。













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(09.5.15)