人が生きるという五十年の月日の中、その約半分近くを生きた元親だが今の今まで忍者という存在とはそんなにかかわりが無かった。こんな乱世と呼ばれる激動の時代だというのにだ。
もちろん情報収集に忍を使うことは当り前のように行っている。
しかしそれは忍というよりも諜報活動を担当している只の人間という認識であって、元親の中での『忍者』という生き物は、どこからともなく姿をあらわしたり、煙とともに掻き消えたり、人には不可能なことを可能にしてしまう妖怪のような生き物だと認識していた。
元服前の小さな童子であったころは、それを真っ正直に信じていたりもしていたが、大人になった今ではその認識が間違っていることは知識として一応持っている。だから認識と知識が別ものだとしても、そんな生き物が本当に居るとは、今はもう思ってはいなかった。
だから忍者は架空の生き物だと。
しかしだ。
最近この忍を雇ってから、元親はやはりその『忍者』という生き物はいるのではないのだろうかと、そんな風に思い始めてしまっていた。
「お前実はとんでもねぇほど優秀なんじゃねぇのか」
元親が腹の底から驚きの思いを真っ正直に口にすると、その言葉を受けた男は肩をすくめつつ答えを返した。
「わぁ…それって褒められてんの?それとも見た目から想像出来ないって貶されてんのかね」
「その減らず口さえなけりゃ両手放しで褒めてやらぁ」
態度だけは全くもって世間一般の忍者像と違うその忍に元親はそう返してやると、たった今目の前で完成した数枚の設計図へ目を戻した。どこからどう見ても完璧な設計図で、今この男が「えーっとこんな感じ」だとか「あー何か肩こってきちゃったかも」とかいう実にやる気の感じられない呟きとともに描きだされたものとは到底思えない。
しかしこの完璧な設計図は現に今元親の目の前で完成され、疑いたくとも、真っ白な紙に初めから終わりまで一気に描き切るという芸当を見せつけられてはそれも敵わない。只ひたすら『忍』という存在の認識を頭から塗り替えるほどにこの男の力量を賞賛するしか無いのだ。
「信じられねぇ…これ丸暗記してたのかよ」
「記憶力には自信がありますからね」
「にしても規模が違うだろうが。…こりゃ凄いぞ」
元親はまだ乾き切っていない墨の部分へ触れないように紙をずらすと、ぐるりと全体を見渡した。
一番目につくのが見たくなくても目に入ってしまう独特の姿を模した設計図。胴体の形や手足の均衡などが記憶にある通りの奴の姿のまんまで、悪趣味な肖像画に見えなくもない設計図だ。
しかしこれはそんな一文の価値もないような絵画などでは無く、あのメカザビーの骨格図面なのだ。
一度見れば忘れられない外見のあの兵器は、見た目の気持ち悪さに反して案外性能が良い。何度かやり合ったことはあるが、苦戦した記憶は未だしっかりと残っている。どうにか弱点でも探れればと部品のいくつかは保管してあるが、こんな風に図解してあるのならばこれほど嬉しいことはない。
駆動の仕組みが分からなくとも、解体するのにはとても役に立つからだ。
そして二番目に目につくのが墨で紙のほとんどが真っ黒になっている設計図。元親が驚いたのはこれのせいだった。下手すれば最重要機密と言っても過言ではないほどの情報。
設計図の内容は、メカザビーの核についてだった。
忍は機械類に詳しくないと言っていたが、こんな詳細まで描き起こせるような記憶力とは如何程のものか。
長年そういった兵器にかかわってきた元親にさえ分からない言葉や部品名まで事細かに書き記されているのだから、空の状態でここまで図解までしてみせたこの忍は本当に底が知れない。
実はメカザビーを調べる上で一番欲しかったのがこの部位についてだった。長曾我部軍で保有している木騎や滅騎と違い、メカザビーは中に操縦者が居ないのだ。
つまり、メカザビーは敵と味方を独自に判断し、その上で攻撃を加えているということになる。遠隔操作の線も一応は疑ってみたが、どこをどう探ってもその痕跡がないのだ。
一体どんな理屈でそんな芸当が可能になっているかはまだ分からないが、それが解明できれば自軍の血を流す必要がなくなる。兵士の代わりに大量生産した無人の兵器を投入すればいいのだから、仲間が傷つかなくなるのだ。
ザビー教がその技術を持ちながら、戦に投入してこないのが不可解なところだが、それもまたこの設計図から読み取れば良いことだった。
「さーて、それじゃあ技術者連中には頑張って貰わねぇとな」
元親はそう言って笑うと、手にした設計図を携えて意気揚々と解析へ乗り出した。
「がぁぁぁぁぁ!!!!!!!こぉんのド畜生ぉぉぉぉがぁぁぁぁあっ!!!」
喉に裂けよと言わんばかりの絶叫を元親が放ったその瞬間、同じ部屋にいた数人があまりの剣幕にくらりと座り込んだ。びりびりと鼓膜を震わしたその絶叫は、頭に思いっきり響いたようでぐわんぐわんと人の脳を揺らしてしまったらしい。その部屋の隅でひっそりと佇んでいた忍も煩そうに耳をふさいでいたが、人の大声に慣れているのか平然と「あーうるせ」などとぼやいている。
しかし今は元親の絶叫などという些事は気にしている状況では無かった。
「おっ前!これを見て何も思わねぇのかよ!平然としやがって!」
「つっても俺様機械とか良く分かんないんだよ。メカザビーがどうかしたの?」
「どうもこうも、あのイカレ宗教はとんでもねぇもん作ってやがったんだよあんチキショウ!」
怒りのあまり目の前がぐらぐらするのを無理やり抑え込み、元親は一度深く息を吸い込んだ。そして意識してゆっくり息を吐くと、低く抑えた声で振り絞るように言葉を紡ぐ。
「あれはもう兵器なんかじゃ無ぇ」
そう言って元親は、連日徹夜で臨んでいたあの設計図の解析書をぱしんと叩いた。
「これはただの大量殺戮人形だ」
「はぁ」
部屋に集っている面々は元親と似たような表情をして、親の仇でも見るような視線をその解析書に向けている。しかし忍は未だによく分かっていないのか、不思議そうな顔で生返事を返してきた。
一人だけ呑気なその様子に僅かに頭が冷えた元親は、ぐしゃぐしゃと髪を掻き雑ぜつつ頭の中から分かりやすい言葉を必死になって引っ張り出してきた。
「分かりやすく言うとだな、あの量産されているメカザビーは敵味方の区別がつかねぇんだよ」
「あー…ってことは、とりあえず生きてるやつを見境なく攻撃してくわけ?」
「そうだ」
「んじゃ兵器として意味無いと思うんだけど…」
「そうだな」
忍の言ったことは当たり前だった。敵軍を攻撃してくれるのなら有効活用はできようが、味方まで攻撃されては堪らない。戦力としては役に立たないことになる。
「だがな、お前の報告にあっただろうが。既にあいつらは量産を進めてやがるんだよ、…しかも二十二体も完成させてるときた」
そう言って元親はぎりりと拳を握り込んだ。一番腹を立てているのはその部分なのだ。
「敵味方の区別がつかないってんなら、味方のいない所に放り込めばいいってだけの話よ。…よく考えてみやがれ、あいつらが狙ってんのはこの四国。そしてここはどういう場所だ?」
そこまで言うと、一人不思議そうな顔をしていた忍が、目を眇めて淡く口元に笑みを浮かべて寄こした。
寒気がするほどの、壮絶な微笑だった。
「なるほど、四方を海に囲まれた“島国”ってわけね…。メカザビーを放り込んでも、敵さんらは海にでも逃げちまえば後は高みの見物が出来るってわけか」
口調は変わらず明るいのに、声も変わらぬ飄々としたものなのに、なぜかぞくりと背を這うものがある。部屋の照明すら光を弱めたと錯覚するほどだ。
しかしそれに飲まれるような元親では無い。むしろ一緒になって身の内に抑え込んだ怒りを爆発させたいくらいだ。今は無理やり平静を装ってはいるが、ほんの些細なことでその自制が緩んでしまいそうになる。
さっきだって大事な部下達の前だというのに、加減を考えずに絶叫してしまった。ああでもして発散しないと、この部屋一帯は火の海になってしまっていただろう。今の元親はそれくらい怒り狂っている。
「はっはっはー!漸く理解しやがったかこの忍!俺もこいつらも怒り心頭でどうにかなっちまいそうなんだよ!」
「はいはい」
「その怒りのままにあの腐れメカザビーの弱点を探しまくったからその耳かっぽじって良ぉく聞きやがれ!」
「わぁなんつー怒りの有効活用」
余計な茶々を入れてくる忍をさくっと無視すると、元親は杭を片手にその解析書を指し示し、その一点を思いっきり突き刺した。
「まずここ!肩の付け根!腕に無駄な銃器を取り付けたせいで荷重が酷い!叩くならここ!」
「へい兄貴―ッ!」
「そして頭!機械に二足歩行なんつーもんは無用の長物!こいつは設計者が馬鹿なんだよ!思いっきりぶっ叩いて均衡崩してやれ!」
「へい兄貴―ッ!」
野太い声がそれに答え、元親は今度は窓の外の海を指差した。
「次はあれ!水だ!メカザビーの動力は電気!水をぶっ掛けりゃあショートする!」
「しょーと?」
空気を読まずにきょとんと問いかけた佐助に、凄味を効かせた笑みで元親は答えた。
「電気回路の乱接触による故障のことだよ!とりあえず水掛けたらぶっ壊れるって覚えとけ!」
「へーい」
「おう野郎共!戦になったら雨が降ることを祈っとかねぇとな!」
「へい兄貴―ッ!」
やっぱりここでも野太い声がそれに応え、端の方では忍がぶつぶつと「水、水、水遁…」と呟いていた。
「あとは電気!これも天任せだが、雷雲が出るようなら金属の塊の奴らに雷が落ちることは間違いなし!」
「へい兄貴―ッ!!」
「舐めた真似しやがったあいつらに、鬼の怖さを教えてやれ!」
「へい兄貴―ッ!!!!」
「おうそれじゃあ戦の準備だ!野郎共!俺について来い!」
「へい兄貴―ッ!!!!!!」
耳に馴染んだ部下達の声は、未だに身の内で猛る元親の怒りの念をほんの僅かに和らげてくれた。
この四国の地はまだ荒されてはいない。敵の手を知り、備えることができるのだからまだ遅くはない。
どんなに卑劣な手で来られようと、この手で守って見せる。そんな思いと共に拳を握りしめ、その背に背負うものの重さを改めて確認した。
踏み出す一歩の下の大地と海に、決して仲間の血を吸わせるものかと誓いながら。
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良く考えてみたらメカザビーって凄いんじゃないか、と気付いた今年のGW。
それを作ったザビーって実はかなり頭良いのかも…、とか思いました。
(09.5.13)