潮風に吹かれながら、気の良い仲間たちと馬鹿みたいに騒ぐ日々。
そういう他愛のない日常こそ、元親の性に合っていたはずなのに、今の状況はそれとは真逆を突っ走っていた。
いっそ海に飛び込んでしまいたい程の多忙な日々が元親を拘束し、今現在も頭の中には解決を待っている問題が山積みになっている。
一つめが毛利。
いや、毛利というか、突き詰めていけばザビー教に行き着く。
訳の分からない教えを説き、そのどこに惹かれたのか元親がどう頭を捻っても理解できないあの宗教は、何故か着々と信者を獲得しつつ、今や九州のほとんどを掌握しているという。しかも元親の元から盗んでいった兵器の製造技術を使い、戦力を強化して今度は四国への進攻を目論んでいるようなのだ。
その上少し前にあの中国まで攻め入られ、あろうことか国主の毛利がザビー教入信したとか言うあり得ない情報が入ってくるわ、それを鼻で笑い飛ばせば本人がサンデー毛利とか言う洗礼名を掲げてあの輪刀を振りかぶってくるわで、本当にここのところ頭を悩ませる嫌な情報に事欠かない。
性格に問題があることに関しては一目瞭然の毛利元就ではあったが、あの感情の見えぬ端正な顔の下には確かにこの瀬戸内への思いを秘めていると思っていた。
だというのに今のあの毛利は瀬戸内のことはおろか、一族のことすら頭から抜け落ちてしまっているように見えてならない。
人を駒と言い、更には己までを駒と称するあの冷血の男。
それが今やサンデー毛利だ。
名前に準じて受ける印象も大分明るくなってはいるが、あんな弾けっぷりは出来れば見たくなかった。
そんなこんなでザビー教と毛利だけでも頭が痛いというのに、それに加えて市井で妙な噂が流れているらしい。
それが、謎の幽霊騒ぎだ。
詳細を聞けば本当に幽霊かどうかも疑わしい内容だが、噂の中心である人物がこの世にいない人間なのだから、やはり一応は幽霊騒ぎということになるのだろう。
その幽霊の名は、真田幸村という。
あの大阪の陣で獅子奮迅の戦いぶりを見せ、勇ましく散ったという猛将だ。少人数で行った烈火の勢いの特攻は未だ耳に新しい。
天下の覇者となった徳川の敵であるというのに、まるで英雄のように語られる真田幸村の噂は、元親の元までしっかりと届いた。
口伝で流れてきたやや脚色された噂ではなく、友人である家康本人から聞いたのだから、これ以上に確かな情報はない。
あの日のことを、家康は「恐怖を感じてしまった」と苦笑交じりにこぼした。
それと同時に「惜しい男を失くした」とも。
ほんの僅かに負け惜しみのような感情も含まれているような気もしたが、あれは紛れもない本心からの言葉だったように思う。
畏怖と、追悼と、悔恨と敬意。そしてほんの少しの憧憬。
色んな感情が渦巻いていたけれど、そのすべてがこの世を去った者への手向けの念だった。
だから、真田幸村は死んだのだ。
遺体はどこを探しても見つからなかったと聞いたが、家康が死んだというなら間違いはない。
しかし、どうにもおかしいのが件の幽霊騒ぎだ。
その内容と言うのが、真田幸村が生きている、というものだった。
二槍を操り馬を駆り、時には山賊を撃退して民を守り、別の場所では一瞬姿を映して消え去ったり。
訳が分からない。
どこから聞いてもただの作り話にしか聞こえないが、目撃証言が後を絶たない。
その上この噂が京を通り越して江戸にまで届いてしまったらしく、どうにも家康が人を使って探らせているようなのだ。
流石にこれを冗談で済ますにはことが大きくなりすぎている。取り返しがつかなくなる前に片づけなければいけない。
つまり、これもさらなる頭痛の種だった。
しかもまだある。
頭痛の種と称するには流石に言いすぎだとは思うが、少し前に仲間に一人変わった男が加わったのだ。
名はまだ知らず、とりあえず皆で“忍”と呼んでいる。
出会った時は今にも死にそうな顔で笑いつつ「あんたのとこ面白そうだし、俺様を雇わない?」などと実に様相にそぐわない言葉を口にしたが、次の日には前日の顔色が嘘のようにけろりとしており、皆で不思議がった『忍者』という不思議な生き物。
その存在に興味を覚え、二つ返事で答えを返せば、いつの間にか周りとすんなりと馴染んでいて驚いた。
本当に変わった男だと思った。
元親のような特異な色彩は持っていないものの、黒と茶の中間のような色合いの髪はどこか異質で人目を引く。忍びの技だという俊敏な身のこなしは皆を驚かせ、軽薄な笑みで茶化す仕草は元親の知る忍者像からは大きく外れている。
しかし、悪い印象はない。
粗野な男たちの中で目立つこともなく、立ち振舞いも砕けて親しみやすい。しかしふとした瞬間の仕草がいやに清廉されているように見えて、それが目の錯覚であったかのように次の瞬間には乱雑な態度をとったりもする。
仕草一つ読ませてはくれない。
その際に感じるはずの違和感すら有耶無耶にしてしまう程、人の中に紛れて埋もれてしまう。
どうにも個の感じにくい存在だと思っていた。
そんな不思議な忍に、元親は昔戦場であったことがあるかもしれないと気づいたのはつい最近のことだった。
思い起こすのは、無駄に暑苦しい上に声がでかくて煩い男。…の傍にいたような気がする忍。
というか、その暑苦しいのは真田幸村以外の何ものでもないのだが。
その真田幸村の傍に影のように付き従っていた忍の顔が、確かあの男と同じだったような気がするのだ。
僅かに風体を変えているものの、記憶にある“あの忍”との違いなんて、纏う装束の雰囲気と髪の色くらいしかないだろう。
やはり、あの男は“あの忍”なのだろう。
ここまで分かりやすく正体を主張しているのだから、元親が正体に気付くことを前提に雇用を求めてきたということだ。
しかしそうなると、芋づる式に疑問がひっ付いてくる。
主である真田幸村はどうした?と。
家康の言うとおり幸村が死んでいるというのなら、雇い主を失ったため新しい主を求めたという理由で元親の元へ来たのは理解できる。忍の失業事情など知らないが、主が死んだというのなら失業ということになるのだろう。
件の幽霊騒ぎに関しても、死んだはずの幸村が生きている、何て噂に引き寄せられてここまで流れついたと考えれば筋が通る。
やはり一番証言と合っているのがこの幸村死亡説だ。
しかし仮に真田幸村が実はどこかで生きていて、怪我を癒しながら情報収集を忍に任せているという可能性も無いわけではない。家康の言葉を疑いたくはないが、家康自身も人を動かして探らせているのだから考えないでいる方が無理な話だ。
それに、生きているなら巷で噂の幽霊騒ぎも、本人の姿を見ただけという何の不思議もない現象で片づけられる。
尾ひれのように付いている英雄譚のような盗賊退治の噂も、あの大阪の陣の活躍が話を大きくさせただけだろう。
と、こっちの可能性でも一応は筋が通るのだ。
考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
しかもその思考は、既に仲間となった忍を疑うことから始めなければいけないのだ。仲間を疑うなんて言う虫唾が走る行為は慣れないのも手伝ってそれはもう疲労が溜まって仕方がない。
「ちっ…」
嫌な想像を振り払うように舌打ちして、元親はそこで考えることを放棄した。
何がどうあれ、一度受け入れたのなら信じて守る。
それが元親の性分だった。
確かに考えなければいけないことは多いが、仲間は疑わない。
それに今一番に片づけなければいけないことはあのザビー教だ。何て言ったってこの四国へと攻め入る動きを見せているのだから。
「とりあえずは敵方の戦力把握。…ちょっくら見てきてくれねぇか」
元親がそう空へと呟けば、波の音に混じって答えが返ってきた。
「へーい。まぁ給料分くらいは真面目に働くんで」
正直本当にいるとは思っていなかったので、答えが返ってきた時はぎょっとした。しかしそこは根性で顔には出さずにひらひらと手を振ってやる。
すると、場を辞す合図なのか風がぶわりと音をたて、その忍が離れてゆくのが分かった。
最後までどこに潜んでいたのかは分からなかったが、たまたま掛けてみた鎌に上手い具合に引っ掛かってくれただけでも良しとする。
そうでもしないと、意外と小さなことで火が付いてしまう元親の負けん気が動きだしてしまいそうになるのだ。
とりあえずあの忍が戻ってきた時には、しっかりその位置を把握してやろう。
そんな風に小さく決意し、元親は空へそっと溜息をついた。
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アニキって包容力ありそう。
(09.5.10)