波が打ち寄せる影の落ちた海岸の一角。
砂はどこにもみあたらず、ごつごつと黒い岩がせり出したどこか寂しいその風景。
その中に、鋭く陽の光を跳ね返す刃を手に佇む人影があった。
「日没、か」
その影はひっそりと一言呟くと、眼下に収めた景色を睨み据え、秀麗なその顔を不快げに歪ませた。
視線の先には、海から何かを運び込んでいる数人の姿がある。
「地形、死角、時間、音…。潜入するとしたら我もここを選ぶだろうな」
波の音で打ち消されて聞こえぬ声を見下すように投げかけつつ、その傲岸不遜な態度の影こと、元就は、手にしていた輪刀を弓へと持ち替えた。矢の切っ先には油をしみこませた布を巻きつけてある。
「火を寄こせ」
「はいよ」
元就の声に答えたのは、元親が元就の名ばかりの監視役、もしくは世話役として置いていた者である。この男は無駄に職務に忠実な男で、元就が皮肉のつもりで持って来いと告げた畳やら衝立やら燭台やらを、すべて大真面目な顔をして揃えてしまった。
今も監視の名目でくっついているのか知れないが、元就が己の武具一式を身にまとって一人で出歩いていても何も口応えはせず、ただ黙々と働いている。
「元親へ報せは送ってあるか」
「そりゃとっくの昔に最速便で」
「なら、いい」
そう言って元就は差し出された火種から鏃に火を灯すと、ぎりりと音を立てて引き絞った。自ら好んで弓を引くことは無いが、武家に生れた以上弓術とは切っても切れぬ縁がある。引けばある程度的に当てられるほどには慣れたそれを、ぎりぎりまで引き絞ると、元就は素早く狙いを定めてその矢を射った。
狙いは、せり出した岩の合間のそれ。
「火矢?!」
突然飛び込んできた火矢に驚くその数人の侵入者たちは、その一拍の後に凄まじい勢いで爆ぜた火薬によって吹き飛ばされることとなった。
「フ、他愛もない」
落ち付いた声音で響く元就の声が落ちる間にも、その火薬はまだ爆発を止めない。どれほどの量を仕掛けたのかという話だが、わざわざ数人の人間のためだけにこれほどの火薬を使おうとは元就だって思わない。いくらこの火薬が長曾我部軍のものだったとしても、だ。
元就は視線を黒煙の立ち込めるその先へ固定すると、蠢くものがないかと目を凝らした。
確かめたいのは人間の生存の有無ではなく、運び込まれていた荷物の方だ。
数人掛かりでも持ち上げることすら出来なかったそれは、わざわざ板で橋を渡してまで運びこまれていた。
大きさは人一人が十分に入れそうなほどの箱。元就はその箱に見覚えがあった。
今は黒煙に紛れてはっきりと見えないが、この爆発で箱の中身諸共消え去ってほしいと思っている。
「貴様、あれが見えるか」
「ええ、箱に少し罅が入ってますね。…中身はここからだと黒煙が邪魔で見えませんが」
「………っ」
元就は小さく舌打ちすると、輪刀を手に立ちあがった。
「そこの油壺を落とせ」
「はいよ」
命令された言葉に従って重い油壺を持ち上げる男を視界の端に映しつつ、元就は手にした輪刀の柄を掴み、それを目の前に構えた。意識を集中させれば、丁度下方に油壺が三つ投げ落とされたところだったようで、がしゃんがしゃんと陶器の割れる音が立て続けに響いた。
そして壺が割れたことによって飛び散った中身、油はさっきの爆発の名残で未だに燻っている火に接触する。後はもう考えるまでもない。ただ、燃えるだけだ。
どこか一か所に火がついた瞬間、それはまるで紅蓮の海のように瞬く間にその海岸を浸食した。箱は加熱されて赤く染まり、打ち寄せる波をものともせず燃え続けている。視界に映る様は、赤と青の二色。その酷く対照的な二つ色彩が海と陸の狭間で踊っていた。
「………。」
それを見つめつつ沈黙したまま待つと、加熱されて赤く変色した箱が小さく震えたのが見えた。
その震えは徐々に大きくなり、その中で何かがもがいているかの様に右へ左へと箱の形を変えるほどに蠢いている。
只でさえ外から炎で加熱されているのだ、中から衝撃を加えられれば長くもたないことは分かり切っていた。
結局元就の予想通り、そう間を置くことなく箱は衝撃に耐えられなくなり。ばりん、と音を立ててその一部が砕け散った。
その中から、何かがぬっとはい出してくる。
見えたのはまず手だった。下手をすれば人の足程の太さのそれが、内から箱を破壊して突き出している。それだけで十分異様な光景だが、そう間を置くことなくもう片方の手もぬっと飛び出してきた。そしてその突き出された両手が軋みながら蠢き、完全に箱が破り去られる。
元就の目に映ったのは、それが纏っていた法衣の燃え残りがばらばらと散っていくところと、周囲を囲う箱の残骸が蹴り飛ばされて、炎の中に灰の飛沫を舞ったところ。
そして、視界を遮る障害物が無くなったことで、鮮明に見えるようになってしまったその異様な物体の全貌だった。
ぬらりと海岸を這う炎の中で、まるで熱など感じていないように佇む姿。
頭身は人としておかしく、頭に対して体が異様にでかい。そして大小様々な武器がその体中に備え付けられた、怖気が立つような殺人兵器。
それはまごうこと無きメカザビーだった。
その数、全部で七体。
「…っしぶとい奴め」
正面からやり合って勝てない相手ではないだろうが、それでもこちらを無傷でと考えるなら厳しくなってくる。
こんな足場の悪い場所で、しかも敵ではあっても味方では無い相手のためにそんな馬鹿馬鹿しいことなんてやっていられない。
元就は構えた輪刀を手に更に意識を集中させると、眼下の炎の海の先、本物の海の海底を意識した。浅瀬で良い。只その場所が重要なのだ。
浅瀬のその一点に意識を集中させると、手にした輪刀を回転させ、その意識した場所に印を刻む。
そして、命令を口にした。
「先の手『発』、…爆ぜよ」
元親と違い、気合いのような類のものは一切感じられない声だったが、芯の通った声は炎の中を冷たく響き、その瞬間海の一部が内側から爆ぜた。それは水しぶきを立ててメカザビーへと降り注ぐ。
炎の熱せられていた岩壁が水を被ってじゅうと音をたて、それが水蒸気となってあたりに白く立ち込めた。
視界が遮られることとなったが、水の蒸発する音に混じってメカザビーが上げる軋んだ壊音が鳴り響く。
「クク…水が弱点とな。四方を海に囲まれたこの島へ攻め込むとは愚劣の極み。そのまま鉄錆となり朽ち果てるがいい」
「うわぁ…こりゃ、また」
元就の冷徹な声に被せて、元親の部下の間延びした声が響いた。
この態度さえなければ、まともな駒になるが、やはりどうにも長曾我部の人間の大体はこうらしい。その諸悪の根源たる元親の態度に慣れてしまっていたせいで、この部下の口調もそれなりに対応することは出来たが、これがもし自軍の人間なら即刻処分しているところだろう。
そうやって元就は近くで下を覗き込んでいた男を睨んだ瞬間。
それがきた。
硬い岩壁にいくつも突き刺さる、弾丸の音。そして飛び散った破片が己の肌を掠めていく小さな痛み。
狙いがずれていたことだけは救いだが、立て続けに響くその音は、発生源が一体ではないことを知らせてくる。
「あの海賊…!!水が弱点と言うのは嘘か!!」
「いえ、弱点だと思いますよ。動いている三体以外は完全にショートしてますし」
銃撃から身を隠しながら怒鳴った元親への怒りの一言に、律儀にその部下が返してくる。何故かそれが妙に苛立ったが、この際その苛立ちは敵への闘志に置き換えた。
元就は手にしていた輪刀の柄を握りなおすと、隣で身を低く潜めている元親の部下へと声をかけた。
「貴様は使える駒を調達して参れ」
「いや…でも毛利の兄さん、それじゃあんたは」
「黙れ。…丁度あの虫唾の走る馬鹿面をこの手で屠ってやりたいと思っていたところ。本物の方は元親にとられた故、こやつらは我の獲物ぞ、邪魔をするなッ」
最後は殺意すら込めた声で言い捨てると、元就は岩壁より身を躍らせた。何か上の方で聞こえた気がしたが、そんなものを元就が聞いてやる義理はない。
第一、 元就の心情として、あんな男に借りを作ったままだというのも怖気が走るのだ。
頼んでもいないのに助けにきて、頼んでもいないのにこうやって元就を生き永らえさせて。
そう、怖気が走るのだ。
元就は落下の勢いを使って手にした輪刀を振り下ろすと、一体目のメカザビーを叩き斬った。本来ならこのような太刀で斬れるような代物ではないが、爆炎、火炎と立て続けに加熱され、そのあとすぐに冷水を浴び、急激に冷やされたのだ。どれほどの強度を持った金属だろうと、熱疲労で脆くなる。
「どうしたメカザビー共…、我はここぞ」
残った二体に対してそう言い放つと、元就は手を返して近い方のメカザビーの首を払った。気持ちの良いほどに軽やかに飛んだ首は、下から見れば本物の首のように見える。
しかしすぐ傍の胴体の方は、首から火花を散らしているためどう見てもカラクリにしか見えなかった。元就からしてみれば、己から正気を奪った憎き怨敵そのものであるため、これが本物であったら寸刻みに切り刻んでやっているところである。しかしこれは偽物だ。多少ザビーの面影を重ね合わせて全力で叩き斬るくらいにしか役に立たない物体だが、それでも多少の気晴らしにはなるだろう。
「その腕の飛び道具は邪魔だな」
今も元就を狙っているその銃口が、照準を合わせようと僅かに動いている。それが定まる前に、元就は二体の両腕を斬り落とした。
人の腕の場合はもっと重い音が響くが、これの腕は金属らしい硬質な音が響いた。
確かに斬ったという実感が欲しいのに、これでは何の感慨も湧かない。
「飽いた、去ね」
元就は心情のままにそう言い捨てると、組み換えた輪刀を振るってその胴を薙ぎ払った。流石に分厚いこの部分は簡単には断ち切れず、肩に重く衝撃が伝わってくる。しかし一撃、二撃、三撃、と繰り返し叩き込めば、分厚い胴体もばらばらと破片をまき散らしながら壊れていった。
金属以外にも、手にぶちりと伝わってきたのは何かの配線を断ち切った手ごたえ。そして時折ばち、と火花が散って手にびりりと電流のような痺れと痛みが伝わってくる。
本来なら己の手を使って、こんな痛い思いをしてまでやるようなことではない。けれど元就は痛みを無視して剣を振るい続けた。
そして、最後の一撃は。
分裂させた輪刀を両手に携え、散々抉った胸の部分。一番分厚い壁に守られていたそれに、切っ先を力いっぱい突き刺した。
ガチン、と金属同士が噛み合う耳障りな音が響き、元就の輪刀によって貫かれたその部分が僅かに光った。
そしてその部分が小さく爆ぜる。
「…っ」
金属が爆ぜるのだから、破片が飛んでこないはずがない。尖ったそれが僅かに体を切り裂いていったが、元就は腕で防いだだけでそれを凌いだ。
周囲を見渡すと、完全に動きを止めたメカザビーが四体。そして原型をとどめていないものが三体分目に入った。どれももう脅威にはなりえない。
念のために更に遠くにも目を走らせ確認するが、ここへ潜入しようとする敵の姿はどこにも見当たらない。
ここにあるのは静寂と、陽が完全に落ちた空。そして僅かに燻り続ける燃え残った炎。それだけだ。
「……っ」
声は漏らさずに、ひとつ深く吐息を漏らすと、突き立った己の愛刀を引き抜きその場から遠ざかるように一歩、二歩と足を動かした。
その足が、鈍く痛みを伝えてくる。
今だって、体のあちこちが痛い。
水を降らせたからといって、炎に熱せられた岩壁はまだまだ熱い。草履は既に焼けてぼろぼろで、足袋が少し残った程度。冷やしたくとも一番近くの水は海水。すなわち塩水だ。どこの馬鹿がそんなものに火傷した足を突っ込むだろうか。
しかし今歩いている完璧も、蒸発した海水の名残のせいでできた塩がざりざりと足の火傷を突き刺すように痛ませている。
元就は仕方なくその場にうずくまって、袖を引き裂いて足に巻きつけた。酷く不格好だが、素足で移動するよりましなはずだ。
気を取り直して歩き出そうとした元就だったが、不意に髪を揺らした浜風に誘われて、西の方角へと顔を向けた。
何が見えるという訳ではない。ただの海岸から続く陸地が見えるだけだ。
しかし。
「…元親よ」
元就はその方向を見据えたまま、この場にいない男へ一つ宣言を口にした。
「これで借りは返したぞ」
もうこれで何撃目だったろうか。
一つ一つが岩のように重い一撃を受けて、逸らして、反撃しようとして、吹っ飛ばされて。
集中しようにも四国に残してきた連中が心配で頭がどうにかなりそうになる。
一刻も早くこの目の前の敵をぶちのめして、仲間のもとへ戻らなければいけないのに、思えば思う程心が焦って、それが元親の動きに隙を生む。
致命傷を受けていないのが救いと言えば救いだが、それでも体中に傷が走っていた。これでは赤揃えという意味では真田幸村といい勝負だ。
「アニキサン、早く皆サンのところに帰った方が良いデス!」
そう言いながら、また振り下ろされるバズーカを己の長槍で受けとめる。また腕が軋んだ。
「今頃、サンズリバーを渡っているところデス!アニキもすぐに追いかけた方がイイヨ!」
言われた言葉に、頭が真っ白になる。
四国。
己の国。
帰るべき場所。
皆。
三途の川。
を、渡る。
「……、…ぁ」
こうやって掛けられる言葉が、全部揺さぶりだと元親には分かってはいた。精神を乱して、そこに生まれた隙に付け込んで、身心共に嬲るように疲弊させてゆくつもりなのだと。
けれど。
分かっていても、我慢なんてできなかった。
「貴様ァァァァァッ!」
脳裏に己を慕ってついてきてくれる子分達の姿が浮かぶ。最も守るべき存在である穏やかに暮らす女子供の姿も浮かぶ。
海と、船と、街並みと。喧騒渦巻く煩い酒場、桟橋に出れば潮風が吹きこんで。
その全てが、血の染まるなどと。
「あああああああああっ!!!」
目の前が真っ赤になって、力の加減ももはや分からず長槍を叩きこんだ。己の怒りに呼応してか、さっきから周囲に踊る火炎が止む気配はない。その火すら巻き込んで叩きつけた一撃は、僅かにザビーの武器を破壊した。
「アッ、もうザビー怒ったヨ!本気出すんダカラ!」
「煩せぇっ」
喚くザビーの声を遮るように再度長槍を叩き込めば、後ろから子分達の声援が聞こえた。
焦燥で壊れそうになる元親を唯一支えてくれるのは、この声。
「アニキ!アニキ――ッ!!」
この声援が、己の守るべきものを教えてくれる。
そう思って、何を言っているのかと耳をすませば。
「アニキ!今報せが届きやした!!」
「四国に向かった部隊は、返り討ちにしてやると!」
「毛利の兄さんが動いてやす!」
「あっちは心配無えっす!!」
その声は、そんなことを言っていた。
声は聞こえても、意味を理解するのに少しだけ時間がかかる。
その言葉の意味。
報せ。
無事。
毛利が。
返り討ち。
心配無い。
「………っ!!」
言葉の意味を理解すると同時に、様々な感情が駆け巡った。
体中を苛んでいた痛みが遠のいて、頭の奥が焼き切れたような熱を覚えた。
そして、一瞬にしてさあっと冷えた己の思考。
この瞬間を言うのだろうか、戦極ドライブゲージが振り切れる瞬間というものは。
「そうか」
抑えきれない思いが、その声を震わせた。
「アニキ、気を抜きすぎデスヨ!オ覚悟召サレヨーッ!」
馬鹿な言葉ももう気にならない。
元親は片手を上げると、振り下ろされたザビーの一撃を素手で受けとめた。
じりじりと体の中からよく分からない力のようなものを感じる。こんな一撃、痛くもかゆくもない。さっきまで重くて仕方がなかったそれも、もう何も感じない。
「覚悟、ってか…?」
片手でがっちりと掴んだバズーカを、更に強い力で握りしめると、メシリといういびつな音を立ててその武器が軋んだ。指の形に徐々に歪んでゆき、元親の纏った炎がそれを絡め取ってゆく。
「じゃあ、見せてやるよ」
「ナ、何デスカ?!」
「俺の覚悟をっ」
言いきると同時に、さっきまでと比較にならない炎が噴き上がった。
相手の力も炎だろうに、それすら焼き尽くす勢いで唸りを上げる。
「その目ェかっ開いてよっく見とけよ!!」
それが開始の合図だった。
まずは横凪ぎに長槍を払い、手首を返して逆からもう一撃。
相手がのけぞっているところに再度同じく長槍をくれてやり、畳み掛けるように何度も何度も繰り返す。視界を炎の赤が埋めて、何がどの色かすら分からなくなって。
振りかぶって叩きつければ、ザビーの巨体が吹っ飛んだ。それを尚も追撃して槍を叩きこむ。
手には確かな手ごたえが返ってくる。これほどの巨体なのだから、他の人間と違って全ての感触が重い。しかし振るう槍を折るような勢いで叩きつけ、穿つには貫通させるつもりでやればそれも大差なかった。
「らぁっ」
最後の仕上げとばかりに跳ね上げた体を上空から地へと叩きつければ、そこから爆発のような炎が噴き上がる。
目を焼くほどの光がその場を満たし、同時に熱がざっと駆け抜けた。それを追いかけるようにして、音が通りぬけてゆく。
「……っ、はっ」
一瞬の衝撃が去ったあとは、ところどころ砕けた上に焼け焦げ、小さく煙を上げている石造りの床が見えた。
その上に染みを作るようにぽつぽつと散ったのは、元親が流した汗と血。
すぐに熱で蒸発したそれは、血の部分だけが不格好に黒ずんだ染みを残した。
視線を上げれば、かなり壊れてはいるけれど祭壇のようなものが見えた。ここに突入した際はそんなもの見えはしなかったのに、今頃目に入るとはやはりかなり頭に血が上っていたのだろう。
そう思って息を吐こうとしたら、未だに呼吸が整っておらず、肺が忙しなく収縮を繰り返していた。己で呼吸を制御しようにもそれすらままならず、ひたすら空気を中に取り込もうと動いている。
「ぁ、くそ」
己の体が自由に動かないことに情けなさを覚えて悪態を吐こうとすれば、呼吸すらままならないのに言葉がまともに話せるわけがない。カラカラに乾いた口が弱く震えた言葉のようなものを洩らしただけだった。
「………っ」
一度こくりと喉を鳴らし、顔を伝った汗を乱暴に拭うと、後ろを振り返った。
そこには変わらず子分達の姿がある。
そちらに向かってにいと笑いかけてやると、その瞬間、またも空間が爆ぜた。
割れるような歓声と、子どもみたいに群がってくる子分達。
「アニキーッ!」
忘れていたように体中が痛みだしたが、その痛みなど無視して元親は破顔した。
全部これで終わったのだ。
この賑やかな子分達を連れてここを引き上げて、海を渡って。
そう今日は勝利祝いでどんちゃん騒ぎだろう。
元就とも盃を交わす約束をしていたし、早く帰るのだ。
一応報せが来たとは言え心配には違いないのだから、その意味でも早くここを引き上げなくてはいけない。
そう思って元親が出口へと目を向けた時だった。
「幸村、佐平次…」
その二人が、遠くからこちらを見つめていた。
離れているため良くは見えないが、忍の方は返り血を大量に浴びたのか、赤揃えの幸村の隣に佇んでいても違いの分からない程に全身赤に濡れているように思えた。
二人は元親の視線に気がつくと、幸村は礼儀正しく頭を下げて、佐平次の方は軽く手を上げて応え、そしてそのままこちらに背を向けようとした。
「なっ、おい!」
相手の視界に己が映っているうちに、と慌てて元親はだるくて力の入らない片手を持ち上げると、ぎっと拳を握って空へと突き上げた。
体中に走った傷が悲鳴を上げたが、この際それも無視だ。
元親のこの仕草に、向こうにも何か伝わったのか、幸村が同じようにぐっと空へと拳を突き上げた。そして佐平次は相変わらずの飄々とした態度でひらひらと手を振っている。
幸村と過ごしたのは十数日の間で、佐平次とは半年くらいだったろうか。そんな月日の中でこの目に馴染んだそんな仕草。
何て事はない見慣れた姿ではあったけれど、このとき元親の頭の中を一瞬過ぎったのは別れの気配だった。
「……っ」
咄嗟に呼びとめようとした元親だったが、その衝動は何とか抑え込んだ。
多分これからあの二人が、この問題だらけの状態に結論を出しに行くのだと、元親には何となくそれがわかったから。
だから元親は静かに見送った。
ゆっくり遠ざかっていく二人の背を。
24へ戻る ・ 26へ進む
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
対ザビーなので、髭の生えた天使をどう書こうか最後までめちゃくちゃ悩んだ。
結局カット。
(09.08.18)