思い出すのは、あの人の首と胴が離れた後のこと。
未だに熱の残るその首を抱き込み、丁寧に布にくるんで立ちあがって。
けれど、体は…?
佐助が貰ったのは首だけだ。
体はどう足掻いても守れそうにない。
だから、体は別のモノが守った。
紅い、紅い、紅い。
あの人の血よりも鮮明な朱色の柄がてらりと光り、その柄に滲むように主の血を吸わせ。
まるで泣き叫ぶかのようにごうと炎を吹き上げた。
その炎が、あの人の体をゆるりと包み込む。
こんなになってもあの人には紅が似合う、と。
そう思ってそれをぼんやり眺めていれば、それは更に強さを増して。
目を焼くような光と熱と、空間すら焼きつくそうとするようなその鮮やかさ。
絢爛の炎。
圧倒的なその紅蓮の翼は、主の体をこの世の誰からも隠すように優しく包みこみ、そして。

ひと欠片の灰も残さずに、空へと消し去ってしまった。























































あの爆発からそう間を置くことなく窓から外へ飛び出した幸村の背を追って佐助も駆ければ、その場所は陽炎が立ち上るほどの熱気に包まれていた。
「うわぁ…」
思わず顔を覆って呻いたのは目の前の惨状があまりにも酷いものだったので。
佐助の記憶にある風景との違いが凄すぎて呻き声しか出てこないのだ。
元親の武器庫というのは自然に出来た岩の亀裂をそれらしく加工して作られた特殊な場所にあった。
その理由と言うのが元親の火の異能にある。
普通の武器ならいざ知らず、元親が振るう武器には火の気が宿っている。そのせいで普通の木造の蔵などにその武器達を納めておけば火事になってしまうこともあるのだ。
そのため元親が扱う武器は実用のものも観賞用のものも全てその洞窟のような岩壁の武器庫へと収められていた。これなら多少火を吹こうが燃え上がろうが熱を吐きだそうが火事になることはない。入口だって仰々しい鉄の扉で覆ってあるし、焼けおちる心配もない。その上扉を閉ざす鍵は元親の凝り性の部下の一人が無駄にやる気を発揮して物凄いものを作ってしまったらしいので、盗みに入る気も失せるようなものががっちりと嵌っている。あらゆる意味で頑丈な武器庫だ。
けれど、今は。
「こりゃ中は大丈夫かねぇ…」
思わず佐助がそう呟いてしまう程の火が入口からごうごうと噴きだしている。
中に人はいないと聞いているが、元親の武器がこの炎で使い物にならなくなっていればそれこそ大問題だ。
普通の炎なら火の気を宿した武器がどうにかなることなんてありえないが、この炎、あいにく普通の炎じゃない。
「うわぁ…ある意味懐かしいというか何というか」
佐助の記憶の中では、この炎には何度も焼かれそうになったり焼かれたり焦がされたり火傷させられそうになったり実際火傷したりと色々あった気がする。肌が感じる感覚というものがびりびりとそれを感じていて、どうにもこれを勘違いと片付けるには無理がある気がするのだ。
しかも近くでまっすぐに立っている幸村の姿を見ればそれも尚更だ。
「…旦那」
「ああ」
呼びかければ首肯と一緒に簡潔な答えが返ってくる。
未だにさっきのあれがこの現実を夢かもしれないという気にさせるが、しこたま殴られたせいで夢じゃないと痛いくらい思い知らされた。
返された声もちゃんと本物の幸村の声で、耳へと響くこの心地も夢じゃないし嘘でもない。
本来ならさっき幸村が口にしていた諸々の事情も詳しく聞いておきたいところだが、今はそれどころじゃなかった。
「これ、どうすんの?」
思考を振り払うようにそう言って、入口から噴き出してくる炎を指させば幸村は当たり前のような顔でこう言った。
「俺が鎮めるしかあるまい」
「いや、まぁ…」
確かにそれ以外に道はないかも知れないけれども。
佐助も頭では分かっているが、この勢いの炎を目の前にしてしまえばそれも不安になってくる。
「いくらあんたでも流石にやばくない?俺様が行こうか?」
「馬鹿者、お前が行ったらそれこそやばいだろうが。丸焼きになるつもりか」
そう言って佐助の気も知らず幸村は颯爽と歩きだした。
ぴんと伸ばした背筋だとか真っ直ぐ前だけを見る目だとか、仕草の全てに迷いというものがない。
「ちょっと旦那!」
「よい、下がっていろ」
呼びとめる佐助を手で制して幸村は僅かに顔を傾けて見せた。そして佐助へ合わせた視線を緩め、ほんの僅かに笑む。
「お前がそうであったように、あやつも俺を間違えることなどあるまい」
だから心配するな、と。
そう一言言い置いてまた颯爽と身を翻して歩いてゆく後ろ姿が男前すぎてどうにも腹立たしい。
「…畜生っ、一回死んでも恥ずかしい台詞をさらっと言っちまうところは全然治ってねぇっ」
佐助も大真面目にそんな台詞を吐き捨てつつ、その背を追いかけた。
下がっていろと言われはしたが、近づける限りはすぐ傍に在りたい。
「何か作戦でもあんの?この火の勢い、多分相当キレてると思うけど?」
「とりあえず顔を見せる。駄目ならねじ伏せる」
「何だそりゃ!!」
力技もいいところなその言葉を聞いて佐助が叫んだ瞬間、またも爆音が響いた。
「?!」
慌てて幸村を背に庇おうと動けば、なぜか襟首を掴まれて後ろへ抛られた。
「ぐえっ」
喉から呻き声が出るほど絞まったその乱暴な仕草に文句を言おうとすれば、幸村が先に怒鳴った。
「下がっていろ!来るぞ!」
「来るって何がっ?!」
敵らしきものは見つからないのでとりあえず警戒はしつつも周囲を見回す。
とりあえずあるものと言えば海と砂浜と岩壁の武器庫の入口と、噴き出した炎。
そしてその中から飛び出してくる、炎の…。
「槍ぃ?!」
普通自力では動かないはずのそれが、勢いよく入口から飛び出してきた。
しかも二本だ。
「うぇっちょ…!!あんた丸腰…!!」
頭では分かっていても、やはり武器が幸村へ向かって飛び出して来れば庇いたくなる。体が反応するままに大手裏剣を手にして飛びだそうとした。
しかしそれを幸村が手で制してくる。
その間にも飛び出してきた槍はくるくると回転しながら方向を違うことなくこっちへと落下していて、時折その刃を彩る炎が陽の光と混ざって不思議な色合いを見せた。そして相変わらず鋭く光る白銀の刃は、まるでつい今鍛冶師の元からやって来たかのように曇りなく冴え冴えと光を照り返す。
その背には青空。
名前にある一対の翼の字の通り、彼の槍は空すら舞って見せるらしい。
不意に思い浮かんだその言葉に佐助が苦笑を浮かべた瞬間、幸村が叫んだ。
「炎凰!!」
その声にこたえるように一度炎をごう、と唸らせて、その二槍は地へと突き立った。
それも幸村の目の前にざっくりと。
朱色の柄は色あせること無く鮮やかに艶めき、主人の手がそれへと触れる瞬間を渇望しながらもじっと待っているように思えた。
「相変わらず、めちゃくちゃな…」
佐助がそう呟けば、幸村が苦笑した。
「ああ、めちゃくちゃだな」
けれど、俺の牙だ。そう言って幸村は手を伸ばすと、迷うことなくその柄を握り締めた。
途端に炎がごうと鳴る。
ゆらゆらと陽炎と立ち上らせるほどの熱を吐きだしながら、それはぐるりと幸村を取り巻いて紅蓮の飛沫を躍らせた。
「もうこの手に戻らぬと思っておったが、ここにも見上げた忠義者が残っていたか」
ともすれば焼かれそうなほどの熱に巻かれつつ、幸村はそんな呑気な事を口にした。
炎越しに佐助の目に映るその姿は、簡素な麻の小袖だというのに紅の戦装束を纏っているように見えた。熱風に煽られる髪も、あの赤鉢巻を彷彿させて。
「やっぱ、赤が似合うねぇ…あんたにゃ」
思わず零れた賞賛の声に、炎がまたもごうと鳴った。そして一際強く唸りを上げると、それを最後にふつりと掻き消える。
さっきまで火を吹き上げていた武器庫へと目をやってみれば、そこも同じく炎が途絶えていた。
やはり間違いなく炎凰の仕業だったらしい。
「旦那の気配を嗅ぎ取って大暴れとは…。流石というか何というか、やっぱりあんたの槍だよな、それ」
自分も似たようなものだった事を棚に上げて佐助がそう言えば、幸村は手にした二槍の柄を確かめるようにぎゅっと握りしめた。
「…まさかこんな所に炎凰が眠っていたとは。俺が死んだ後、ここへと流れついたのだろうか」
「いんや、多分鬼の旦那の宝の一つじゃねぇの?炎抜きにしてもかなりの業物だし、しかも飾っておいても見栄えは良い。宝っていうにはちょっと物騒な代物だけど、やっぱ値打ちものだと思うぜ」
そう言って佐助が肩をすくめた瞬間、遠くから大声を張り上げて名呼ぶ声が聞こえた。
「真田幸村!佐平次ィ!!」
その声に振り向けば、長槍を担いで元親が走ってくるところだった。
「今の何だったんだ?…俺には槍がぶっ飛んでいったように見えたんだが」
「いや、見間違いではござらん。この通りこの槍が飛んで参ったところで」
そう言って幸村が炎凰を掲げて見せれば、元親が目を見開いた。
「ああ、あの曰くつきの番いの槍か!」
「い…曰くつき?」
幸村のいぶかしげなその問いを耳に受け、佐助も答えを聞くために幸村と同じように耳を澄ました。佐助もそんな噂など聞いたことがない。
「詳しくは知らねぇけどよ、何かこれの持ち主は皆灰になっちまうらしいぜ?家康から貰った物なんだけどよ、見つけた時には小さな森の中に出来てた焼け野原のど真ん中にぽつんと二本が突き立ってたとか何とか」
聞けば聞くほどその行動すべてが炎凰らしくて嫌になる。
というか、そんな物騒な物を元親へ送ってよこす家康の気が知れない。
「実際手にしてみりゃあとんでもねぇじゃじゃ馬だったからよ、望みの通り眠らせてやってたんだが…」
ああやっぱりか。
そんな風に佐助が納得すれば、元親は納得したように淡い笑みを浮かべた。
「そいつ、あんたの槍だったのか」
「はい」
答える幸村も嬉しそうに微笑んだ。
しかしそんな和やかなやりとりをやっている場合ではない。
「いや、それよりそっちは大丈夫だった訳?そうとう炎の勢いが強かったみたいだけど、あんたの得物は…」
佐助のその言葉に表情を硬くした幸村は、慌てて元親へと向きなおり答えを待った。
まるで死亡宣告でも受けるような表情である。
しかし元親は幸村の表情とは対照的に明るく笑って口を開いた。
「ははっそんな顔すんじゃねぇよ!中身は全部無事だ。そいつの槍もそうとう癖のあるやつみてぇだが、俺のも似たようなもんでな。こんくらいじゃびくともしねぇのよ。…まぁ入口の扉が少し焼かれたみてぇがどうってことはねぇ。怪我人も出てねぇし、ま!問題なしだろ」
「ち、長曾我部殿…!!」
またも寛大な元親の言葉に胸にくるものでもあったのか、幸村は不意に拳を握り締めた。
そして佐助は思った。
あ、ヤバイと。
この雰囲気はあれに似ている。忘れもしない武田主従の暑っっっ苦しいやり取り。気合いが入るとかなんとか言っていたが、あんな本気の殴り合いで気合いが入っても別の大切なものが抜けてゆくのだ。
主に命とか。
「ちょっと待った真田の旦那ぁぁ!」
「む、何だ佐助?!」
ここで元親に幸村が殴りかかるなんてことになったら流石の元親でも切れるだろう。だからそれは何としてでも阻止しなければ!そう思って佐助は背後から幸村の腕をがっちり掴んで幸村を拘束した。
しかし幸村はその行動の意味が分からなかったのか、とりあえず後ろを振り返ろうとした。
「!!」
「!!」
が、顔が近い。
一瞬触れそうになった唇にさっきのあれを思い出して、思わず二人して飛び退いてしまった。
「おいおい…お前らこそ何やってんだ?」
呆れた声で問いかけてくる元親の声に「え、何も!」と慌てて返しつつ、とりあえず佐助は騒ぎ出した鼓動を抑えることに努めた。

何だかもう、色んなことが起こり過ぎて訳が分からない。













15へ戻る ・ 17へ進む











−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(09.6.28)