真田幸村の処遇についての話をつけ、腰の軽い元親が自らその場所へとやってきた瞬間。
何かがぶつかる鈍い音と、廊下まで煩いほど響く怒鳴り声が聞こえてきた。
その煩い声の持ち主は「大馬鹿者」だとか「お前が俺を間違えるはずない」だとか「何を腑抜けたことを」だとか実に暑苦しいことばかり口にしている気がする。
言うまでもなく声の主はあの真田幸村だ。
大人しくしていろと伝えた元親の言葉をさっぱりと忘れてしまっているのだろうか。
その上部屋に物凄く入りにくい。
会話の内容が外に駄々漏れのせいでどんな内容で喧嘩しているのかが丸わかりなのだ。
「二人にしたのは間違いだったか…?」
気を利かせたつもりが逆効果だったか。そう元親が呟いた瞬間、またも鈍い音が響いた。
しかも今回は「ミシッ」という嫌な効果音付きだ。絶対これは木製の壁が上げた悲鳴だろう。
「佐助ぇっお前はまだそんなことを!!」
ごん、と鈍い音。
「今の痛みも夢だと言うのかお前はぁぁぁっ」
がん、と更に鈍い音。
「その軟弱な根性を叩きなおしてやるっ」
ざわ、と壁越しの覇気が肌を焼く。
「さぁ立て佐助ぇぇぇっ」
メシバキッ、と完全に何かが折れた音。
「うおおおぉぉぉおおいおいおいおいおいちょっと待てぇぇぇっ部屋を壊すんじゃねぇっ!!!」
このままじゃ部屋ごと粉砕される。
そんな危機感を覚えた元親はなりふり構わず部屋の扉を思いっきり開いた。
そして目の前に飛び込んできたのは修羅場も修羅場。
実に勇ましい仕草で佐平次の胸倉を掴み上げている幸村と、力の抜けきった四肢をだらりと下げて幸村へひきつった笑いを浮かべている佐平次。かなり殴られただろうに口の端を切っただけのようで、顔は二目と見られぬものという程ではない。
そして一番酷いのが、ぶん殴られている佐平次なんかよりも一番可哀想なのが部屋の壁だ。
どうしてぶん殴るだけでこんな穴があくのだろうと、真田幸村の拳の形を確かめてみたい程の大穴があいている。
しかも傷はそれだけではなく、色々なところに拳型の凹みが刻まれているのだ。
まるでここで猛獣でも飼っていたような惨状だ。
「あ、そうかコイツが猛獣か…」
そういや虎の若子とか呼ばれていたっけ、と二つ名を思い出して元親は遠い目をした。
しかしそんな場合ではない。
目の前には未だに佐平次の胸倉を掴んだままの真田幸村と、まるで抵抗する気がないような態度の佐平次がいる。
部屋が駄目でもせめて佐平次がこんな“猛獣飼ってました状態”になる前に止めてやらなければいけないだろう。
「おい、真田幸村」
「長曾我部殿、…お騒がせして申し訳ない」
答えた幸村の態度は冷静ではあったが、声にまで怒りに満ちた覇気が宿っていて怖すぎる。
「騒がしいと思ってるならよぉ、とりあえず落ち着けや」
「…申し訳、ない」
ぎこちなくもそう答えた幸村は、がっちりと掴んでいた佐平次の胸倉から手を放した。
この時意外だったのは、佐平次が床に崩れ落ちそうになったのを幸村が手を出して支えた事だ。あれだけ怒り心頭の様子で思いっきり怒鳴っていたのに、こんな冷静な頭が残っていたのは驚きである。
「あれ?あんた…」
そこで元親はあることに気がついた。
真田幸村の服装だ。
元親がここへ来るまでかなり時間があったというのに、未だに小袖を引っかけただけで帯すら締めていない。
「あんたなぁ…あれだけ時間があったのにまだ着替えて無ぇのかよ。…ったく何してたんだおい」
一体どれだけの時間喧嘩していたのだと、そう揶揄しての言葉のつもりだった。
しかし元親がそう言った瞬間、幸村は顔を真っ赤にしてあわあわと手をばたつかせ、佐平次の方は幸村の支えを失って床にべしゃんと座り込み、顔を伏せたまま動かなくなった。
人以外何もない部屋の中に、妙な沈黙が落ちる。

本当に一体、何をしていたんだ。





















































「まぁ、そんなに畏まらなくていいぜ。楽にしてくれ」
そう言って元親が胡坐に肘を立ててにやりと笑って見せれば、まだ強張ってはいるもののほんの少し幸村は頬を緩めて見せた。
あの妙な沈黙を切り裂くように場所を広間へと移すと、幸村は勢ぞろいした長曾我部の家臣たちに表情を引き締めたようだった。
こういう時の幸村の態度はやはり様になったもので、元親の目の前、ずらりと並んだ家臣たちの目の前に座す仕草も姿勢も、全てがまるで手本のように整っている。
これだけでもう武士だ。
佐平次の方はさっきまでの情けない態度を消し去り、当たり前のように幸村の僅か後ろで膝をついている。
殴られた頬ももう跡すら残っていない。一体どんな体をしているのか。
「それじゃ役者が揃ったところで始めようかい」
膝をぱしりと叩いて元親が宣言すると、律儀に全員が頭を垂れて一礼した。
それを見届けてから元親は口を開いた。
「まどろっこしいのは好きじゃねぇから単刀直入に言うぜ」
「はい」
砕けた態度の元親に対して、幸村は姿勢を正したまま凛々しく答えた。
その姿の後ろで佐平次が静かに膝をついている。
もしここで元親がとんでもないことを口にすれば、動くのはこの男なのだろうと確信しつつ、元親は先を続けた。
「こんだけ仰々しく家臣集めて話したけどよ、結局特に何も無しってことに落ち付いたわ。まぁ行くところが無ぇならうちに居りゃ良いさ」
笑ってそう言ってやれば、真田幸村はきょとんと眼を丸くした。
確か享年二十数歳と聞いていたが、この表情だけ見れば十代のようにも見える。もしかしたら本当に十代なのかもしれないが。
そして佐平次の方は、幸村よりも更に驚いた表情をしていた。
「おう佐平次、お前何か言いたそうだな」
聞きたいことがあるなら言ってしまえ、そう意味を込めて告げれば、佐平次は困ったような、というよりは“しょうがないな”という諦めを含んだような苦笑を浮かべつつ肩を竦めてみせた。
「徳川が煩いんでしょ?…いいの?」
「ああ、家康には適当に言っておくさ」
「独自に人放ってるくらいだぜ?あの執念は油断ならねぇと思うんだけど」
「まぁそう細かいことを気にすんな。当の本人は死人だぜ?何言われようがどうってこと無えさ」
「つってもそれであの狸が納得すんの?」
「はははっ狸か!確かにあいつは狸に似てるな!」
もともと佐平次は徳川が嫌いだったようで、家康の話をする時はこっそりどこかに棘を含ませていた。
しかし今みたいにきっぱりと皮肉を口にするのは初めてで、未だに真田幸村に外された感情の箍がきっちりの嵌っていないことを伺わせた。読めないと思っていた男だというのに、途端に理解できるようになってしまったのだから、やはり真田幸村はそれほどの男らしい。
しかし『狸』ときたか。
そう言われてみれば確かにあれは狸だ。小柄でまるっとした雰囲気と良い、あれは狸にしか見えない。もう少し若ければ小狸に見えていただろう。
この状態で家康に会ったりすれば絶対に本人を目の前にして笑ってしまうに違いない。次顔を合わせるまでに頭に浮かんだ家康似の狸の姿を忘れてしまわないと大変なことになってしまう。
「ちょっと鬼の旦那?俺様が言いたいのはそっちの意味じゃないんですけど…」
控えめにそう告げてくる佐平次を無視してしばらく笑い続けていると、幸村は僅かに視線を落として何事かを考えるような表情を浮かべていた。
短い時間ではあるが、真田幸村を見ていれば大体の性格ぐらいは分かる。
超がつくほど、クソ真面目だと。
どうせ今も元親に迷惑がかかるならここを去ろうかとでも思案しているのだろう。
「おいおいおい、二人ともあんまり俺を見くびってくれちゃあ困るぜ?」
そう言って笑いつつ元親は立ち上がり、どんと足を前へと踏み出し辺りを見回した。
そして窓から吹き込んでくる浜風を受け、周囲へ向かって声を張る。
「おう野郎共!!」
その声で、一斉に家臣たちが顔を上げた。
「この世で一番強い男は?」
「アニキー!!!」
間髪入れずに返ってくる答えを受け、更に続ける。
「この世で一番いけてる男は?」
「アニキー!!!」
家臣一同一斉に立ち上がっての大合唱に、部屋がびりびりと震えた。
「この世で一番海が似合う男は?」
「アニキー!!!」
今度は部屋の外からも聞こえてくるその声に笑みを深め、元親は最後の問いを腹の底から思い切り叫んだ。
「野郎共ッ!鬼の名前を言ってみろ!!!」
「モ・ト・チ・カ―――――っ!!!」
問いの答えは名前だけにとどまらず、野太い叫び声まで後に続く。
その声を受けて元親は幸村の目の前へ歩を進めた。
姿勢を正したまま真直ぐに元親を見上げてくる視線をこちらも真っ向から受け止めて、元親は雄々しい笑みを浮かべた。
「聞いての通りここは鬼の住まう鬼ヶ島だ。…幽霊の一人や二人居ても何の不思議も無ぇんだよ!!」
「…っ!!」
元親の言葉を受けて、幸村が一瞬顔を歪めた。そして何かを堪えるようにその表情を笑みへと変えて、振り絞るように口を開く。
「貴殿のような熱き魂を持つ漢に相見えることが出来たことを、心より感謝致す…っ」
言葉の端々に暑苦しい単語が混ざっているその感謝の言葉を言い終えると、幸村は綺麗な仕草で手をついて一礼して見せた。
その後ろで佐平次までもそっと頭を下げている。何も言わないところがこの男らしいが、それを差し引いてもこの男がこんな神妙な表情で頭を下げる仕草などやはり違和感たっぷりだ。
「あーあー!もう感謝してるってのは分かったからよ、頭上げろ!」
もともと長曾我部軍にはこんな風に如何にも『武士』といった礼儀正しいものが少ない。
幸村の言葉遣いや仕草などまるで手本の具現化のようで、この軍の気風の根源たる元親にはどうにも堅苦しく思えて仕方がなかった。どうせなら酒でも飲みながら砕けた態度で話をしたい。
「ああ、じゃあ酒宴でも開いちまうか」
ぽん、と手を叩きつつ思いをそのまま口に出せば、周囲で未だに野太い声を響かせていた野郎共が一斉に歓声を上げた。
「新参者の歓迎の宴ですかい!」
「酒蔵開けますか!」
「今日は活きの良いのが上がりましたからねぇ!酒の肴にゃもってこいですよ!」
「おーしそれじゃあ舟盛こさえろ!」
そうやってわいわいと騒ぎながらあっという間に宴の準備に入ってしまいそうな家臣たちの様子を眺め、そのままゆるりと視線を落とし、元親は幸村へと目をやった。この砕けた空気の中でなら、さっきのような堅苦しい態度も和らいでいるだろうと。
しかしいざ目をやってみれば、幸村は何故か緊張した面持ちで視線を周囲に走らせ、何かを探すような仕草をしていた。
「何だぁ?」
その動作の意味が分からず元親がそう口にした瞬間。
空を切り裂くような爆音が響き渡った。
それは腹へどすんとくるような衝撃を響かせ、一拍遅れて届いた音は鼓膜を破りそうなほどの大きさだった。
「ちぃっ敵襲か?!」
咄嗟に武器を掴んで窓へと走り寄れば、少し離れたところから煙が上がっている。
「砲撃か…?!」
それにしては船団がどこにも見えない。
そう思った瞬間、遠くから子分の一人が叫びながら近づいてくるのが見えた。
「どうした!」
「アニキ…っ!!」
切羽詰った様子のその子分は、元親の元まで駆けてくると息を切らしつつこう告げた。


アニキの武器庫が爆発しました、と。













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台本全集のアニキの台詞はどれも心のバイブル。
(06.6.19)