「おはよぅ…おおうっ?!」
我ながら随分間抜けな叫び声だと思ったが、こんなあり得ない事態に陥った時ならどんな人間だろうとこんな声を上げるだろう。
せっかく気持ちよく晴れた日の朝に、元気よく挨拶を口にしている真っ最中にこんな未知の場所へ突然飛ばされては。
そりゃあ昨日佐助とはあんなことがあったばかりだし、どんな顔をして会えばいいのかとか、顔合わせたら何を言おうかとか、ほとんど眠れないくらい悩みまくったせいで爽やかな朝だというにはかなり無理があったけれども。
それでもやっぱりこれは無い。
いくら何でも酷過ぎる。
幸村はどこかに八当たりしたい気分をかなり努力して押し込めつつ、そのあり得ない事態とやらを認識するために、周囲を見渡した。
木と、木と、木と、木…。
木ばっかり。
つまりは森ということだ。
「さ、佐助…?」
一応今さっきまで目の前にいた人間の名前を読んでみるが、もちろん答えはない。
「ああ…どうしよう。これはもう戻ったら絶対何か言われるっ!嫌になるほど文句を言われる!昨日のことも含めてめちゃくちゃ文句を言われる!!」
周囲に誰もいないのを良いことに、幸村は頭を抱えてじたばたと喚いた。
もちろん誰からも声は掛からない。
「しまったな…。まさかこのタイミングでこれがくるとは…、最近なりを潜めておったというのにっ」
昨日の今日でこれでは、約束した手前恰好がつかない。もちろんあの男を残して死ぬつもりはないが、それでもこれでは説得力が無さすぎる。
今だってこうやって幸村が一人喚いている間も、向こうでは同じだけ時間が進んでいて、その間佐助は一人なのだ。
ヤバイ。
「…くっ何分経った?!ああああこれはまずいっ!帰らないと!!」
以前佐助の前でこっちへ来てしまった時は、確か5分くらいだったように記憶している。あれが今までの最長記録で、今回もそう長くはこっちへいないだろうとあたりをつけている。
しかし気は焦った。
「むむむ、早く帰らねばならんというのに!まず帰り道はどこだ?!というかここはどこだ?!」
木以外に周囲に何か無いだろうかと辺りを見まわしてみれば、木々の合間からほんの僅かにちらちらと何がか光っているのが見えた。
それにじいと目を凝らしてみれば、風が潮の香りを含んでいることに気付く。
どうやらここは海辺らしい。
「いや、しかし日本は島国だから海はそうそう珍しいものではないし…」
ぶつぶつと声に出しつつ整理していけば、過去の自分が生きていた場所は海から遠い土地であったと思いだした。
「こういう時は大抵己に一番近しい場所へと還ってくるのが道理ではないのか…?」
それならば、まだ土地勘もきくのに。
そんな合理的な考えが浮かんだものの、心に浮かんだ思いは別だった。
もし、時代が時代なら。
「お館様がご存命かもしれん…」
口に出してしまってから、その声の頼りなさに情けなくなってくる。
幸村が生きている今の世で、悔しいことにあの熱き師と再び見えることは出来ていない。望みはまだ浅ましいながらも捨てていないが、佐助がああやって幸村の傍に在るというのに、比べて自分はどれほど不忠者かと時折情けなく思っていた。
そして今、こんな非現実的なことでその可能性を見出し、縋ろうとしてしまった。
やはり、未熟者だ。
「はは、ここで“叱って下され”などと言っては本末転倒か…」
自嘲的にそう笑って、暗く沈みかけた思考を振り払うように頭を軽く振ると、思いきるようにその場から足を踏み出した。
本来ならその場から動かない方がいいのかもしれないが、なぜか足が勝手に海へと向かったのだ。
木々を揺らす潮風は新鮮で心地よく肌を撫でてゆく。
詰襟の学生服では少し暑いような気がして、普段はきっちりと止めているボタンを二つほど歩きながら外した。
辺りに立ち並ぶ草木の様子を見ていれば、僅かに色を変え始めたものも窺える。季節はどうやら秋らしい。
こんな道から外れたところを歩いていては人に会うこともないだろうが、海まで出てみれば必ず誰かに会えるだろう。
そう思ってまっすぐ海を目指して歩いていると、前方に早速人の気配を感じた。
じっと目を凝らしてみればどうやら数人いるらしい。
「ふむ…」
声を掛けてみようか、と思案しつつも真っ直ぐ歩いて行くと、その前方にいる人間達の姿がはっきりと見えてきた。
過去の記憶では見慣れた服と、具足。
そして手には鈍く光る長槍や刀。
一般的な足軽具足のように見えるが、着崩し方がかなり奇抜である。しかも五人ほどいる人間の全てがその奇抜な着崩し方をしているのだ。
やはり幸村が生きていた時代とは違うのだろうか。
そう疑問に思って首をかしげていると、そのうちの一人と目があった。
「もし、貴殿らにお尋ね、」
したいことがあるのだが。
そう続けようとした。しかし目があった瞬間何故か男たちは憤怒の形相に顔を染め変えると、一斉にこちらへ飛びかかって来た。
「てんめぇぇっ!!」
「なななな何だ?!」
怒声とともに振り下ろされた長槍を慌てて避けつつ、こちらに戦意がないことを伝えるべく会話を試みた。
しかし駄目だ。
「よくもそんなナリで俺たちの前に顔出せたなぁっ」
「は?いや、申し訳ないが某には貴殿らにお会いした記憶がないのでござるがっ」
「ふざけんじゃねぇっ!」
ふざけてなんかいない!全力でそう主張したいが、目の前の男たちは完全に頭に血が上っているようで言葉が通じない。
「てめぇはこの間の戦の残党か?!それとも間者か?!」
「か、間者?!」
「どっちにせよ、良くもそんな恰好でここいらをうろつけたもんだぜ!」
「格好?!」
一体何をこんなに怒られているのか皆目見当付かないが、相手はこっちを殺す気で来ているのは良く分かる。
まだ避けられる範囲内だが、大人数で向かってこられれば無傷では済ませられないかもしれない。
…心配しているのは相手の身の方だが。
「ちょっ…何か誤解があるように見受けられるが!話を聞いて下され!」
「黙れ!ザビー教の奴なんかの話なんて聞けっかよ!」
「ザ、ザビー?!何のことでござるか!!」
「しらばっくれるんじゃねぇっ!その格好!ザビー教徒の南蛮の装束じゃねえかっ!!」
「装束ぅ?!」
そう言われて自分の恰好を見下ろしてみれば、そこには何の変哲もない学ランがあるだけだった。
一体何故この格好が。
そんな風に疑問を覚えた瞬間だった。
不意に思い出した過去の記憶。
昔佐助に調べさせたあの南蛮の宗教とやらは、確か黒く裾の長い洋装を身に付けていたような気がする。記憶はかなりあやふやだが、確かに学ランに似ていないこともない…気がする。
しかしそんなことが分かってもこれっぽっちも嬉しくなかった。
「誤解でござる!!これは学校の制服でっ」
「訳分かんねぇこと言って惑わそうったって無駄だぜ!テメェらが信者を洗脳してんのは分かってんだよ!」
「だから違うと言っておろうっ!!」
ここまで話が通じないとなると、実力行使に出るしかないのかもしれない。
相手の体力が底をつくまで攻撃を避け続けるというのも手だが、それだと幸村も結構疲れる。
どうせ相手を動けなくするなら、拳一つで済ませる方が良いに決まっている。
「某は何度も忠告したでござるよ!」
「あぁ?!」
「そしてまだこっちから一度も攻撃はしていない!」
「何だこの…」
「御免!!」
幸村は一つそう叫ぶと、飛びかかってきた人間を一気に沈めた。
何人かは信じられないものを見るかの様な目で幸村を見ていたが、ほとんど何をされたかは分かっていなかっただろう。
つまり、それほどまでに早く幸村は相手に拳をお見舞いしたのだ。
「はぁ…、力加減が得手では無いから言っておったというに…」
地面に伏してぴくりとも動かなくなった者達へ溜息を一つ送ると、幸村は再度周囲を見渡した。
流石にこの大声での応酬は周囲に響きまくっていただろうし、聞こえていたなら誰か人がやってくるだろう。
しかし人が来なければ、この者達は倒れたまま放置されることになる。
そのうち目を覚ますであろう事は分かるが、何分幸村は怪力だ。下手したら明日の朝まで目を覚まさない可能性もないとは言えない。
「やはり人を呼んでくるべきか…」
何で丸腰の幸村へ斬りかかってきた相手にここまでしなければいけないのか、とため息を吐いた瞬間だった。
「ッ?!」
幸村が咄嗟に傍にあった刀を振るったのと、銃声が鳴り響いたのは同時だった。
一瞬遅れて高い金属のぶつかる音が聞こえて、手にじん、と痺れが返ってきた。
「火縄銃か!」
打ってきた方向へ向かって刀を構えれば、離れたところにある茂みの中から人が何人も立ち上がった。丁度幸村の風下に位置しているため、火縄の匂いが嗅ぎとれなかったらしい。勢いの強い浜風も手伝ってか、音すら気付けなかった。
こんな至近距離まで接近を許すとは、やはり少し昔よりも鈍っている。
苦々しい思いでかつての勘を取り戻すように刀を握る手に力を込めると、その火縄銃を構えている人間たちの中で、リーダーと思わしき人物が一歩前に進み出てきた。
「あんた強いな…まさか銃弾を刀で防ぐとは思わなかったぜ」
「…恐れ入り申す」
油断なく構えつつその男の様子を窺っていれば、男の身に付けている装束にあるものを見つけた。
丸に七つ方喰。
長曾我部の家紋だ。
「あんたの傍に倒れてる奴ら、うちの仲間なんでな。ちょっと頭に血が上ってつい撃っちまった。不意打ちみてぇになって悪かったな」
「それはこちらも失礼致した」
「で、今またこっちが撃って、あんたが刀で弾を防いじまうと跳弾でそいつらに当たっちまいそうでね…どうにも動けねぇんだわ」
「……ほう」
どうやらこの男は幸村に降参を進めているらしい。
酷く遠まわしだが、さっきの人間たちよりもまだ話は通じそうである。
「俺らも丸腰の人間相手にもうぶっ放したりしねぇしよ」
「……。」
ここで幸村が折れずとも、飛んでくる銃弾を叩き落として全員を伸すことくらいはできるだろう。しかし無傷で済むかと言えばそれは違う。
流石にこの距離から撃たれた弾を全て防ぐことは不可能。いくつかはこの身を掠るだろう。
そうなれば幸村というよりも、佐助が傷つく。
「分かり申した」
思考は僅かなもので、幸村は決断するとすぐに刀をおろした。
しかし相手の名くらい知っておきたい。
「我が名は真田源二郎幸村!その家紋は長曾我部家の御仁とお見受けするが如何に!」
そう叫んだ瞬間、その場の空気が騒然となった。
何故か口々に「真田幸村?!」と名前を連呼している。
そんなにこの名前は有名だっただろうかと考えを巡らせば、さっきのリーダー格の男がこっちへ歩いてくる。
「確かに俺は長曾我部の人間だ。…それよりあんた、今名前なんつった?」
「…真田幸村だが」
そっちも名前を名乗れ、と言いたいが、ここはなんとか我慢する。
「いや…真田幸村って、あの真田幸村?!」
「あの…とは?」
幸村が大真面目に問いかければ、その男はぼそりと「やっぱニセモンか…?」と呟いたあと、衝撃の言葉を口にした。
「大阪の陣で死んだって言う真田幸村だよ」
「………なっ!!!」
これには本気で驚いた。
自分の知っている時代だろうな、という認識はあったが、まさか死んだ後だったとは。
「ということは今は徳川の天下でござるか!!」
思わずそう叫べば、長曾我部家の男は呆れたように肩をすくめる。
「おいおい…ザビー教のやつってのはこんなに世情を知らねぇもんなのか?!」
「だからそれは違うッ!!」
「その格好でそれ言っても説得力無ぇよ。…それよりあんた、ちょっと来て貰えねぇか」
「はぁ…?!」
「ザビー教の間者の線と、真田幸村の幽霊騒ぎ、その上あんたのその剣の腕。…どれもこれも問題ばっかでな」
だからザビー教じゃない!と叫びたかったが、もうこれ以上言っても無駄だと悟ってしまった。
ぐさぐさ突き刺さってくる周囲の視線が痛すぎるのだ。
こうなったらしかるべき場所まで行って身の潔白を証明しなくてはいけない。
「承知した。…同行しよう」
承諾の意を口にすれば、あからさまに相手の男はほっとした。
何をそんなに、と思ったが、周囲の人間はまだ「真田幸村…」だとか「なんでザビー教に」だとか、好き勝手ざわざわと囁き合っている。
幸村はこの瞬間、学ランが嫌いになった。
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学ランとザビー教の皆さんの服ってちょっとだけ似てるよね。っていう話。
…学ラン着てる学生さんに全力で土下座。
(09.6.2)