サンタにとって最も忙しい一日といえばもちろんイブの夜だ。
それに異論はない。異論云々とか関係なく間違いなく一番忙しい。あの寒い中吹きっさらしのソリに乗って大空を駆け回り不眠不休で働くのだ、そりゃあもう忙しいだろう。
…しかしだ。
クリスマスを過ぎたからと言ってサンタが暇になるわけではない。
帰ったらとりあえず仮眠くらいはとるけれども、報告書の作成や自分のトナカイの世話、ソリの整備にプレゼント受け渡しの照らし合わせ処理などなど。毎年“間違って違う子にプレゼント渡しちゃった☆”なんてミスが実はいくつかあったりするので、それをやっちゃった時などは上司からの説教が恐ろしい上に原因対策書の提出など面倒な書類仕事まで増える。ただでさえ自分の担当先の調書を書かなければいけないのに、そんな仕事まで増えたら泣けてくる。
しかもそれで終わらない。
事後処理でばたばたしている間にもう目の前に新年だ。クリスマスと比較しても遜色ないくらいの一大イベントがやってくる。サンタだって年越ししなくてはいけない。
クリスマス前の多忙な準備期間中に混沌空間と化した自宅と職場の掃除もしなければいけないし、仕事も並行してこなさなければいけない。
はっきり言って万全の状態で新年を迎えられるサンタなんてほとんどいないだろう。
だからもう本当に、言葉では言い表せないほどクリスマスシーズンからその後にかけてはめちゃくちゃ忙しいのだ。
切実に。
かくいう幸村も例にもれず、毎年仕事も掃除もどこをどう手をつけたらいいのかさえ分からないような状態で新年を迎えている。多少は見られるような状態まで片づけられるのはクリスマスを終えて一ヶ月くらい経ってからで、今年もその例に漏れず幸村はクリスマスから一カ月と少しが経ってやっと落ち着いて仕事を出来るようになった。
そしてその日、幸村は日常が戻ってきた己の仕事場で通常業務をこなしつつ、空腹を訴えてくる腹に促される形で時計を見ていた。針はちょうど12時を指す手前であり、もうすぐ昼休憩である。
今日は一体何を食べようか、…そう幸村が思案した瞬間だった。
遠くで誰かの絶叫が響く。
一体今の声は何だろう。
空腹7割、疑問3割といった耳半分でその声をなんとなく拾って、幸村は再度昼食のメニューについて熟考した。
ほんのあと数分で知らされることだが、その絶叫の正体は、幸村がかなり前に提出していた報告書にやっと目を通した上司が、幸村の鈴の受取人欄に書かれた「氏名:佐助、職業:黒サンタ」というその一文を見て思わず叫んだものだった。
赤と黒の再会
「ゆ、ゆゆゆ幸村」
「はい」
なんで自分の名前をこんなに難しそうに呼ぶのだろう、などとぼんやり疑問をいただきつつ、幸村は上司の呼び出しに応じて机の前で直立不動の姿勢を保っていた。
もうすぐ昼休憩だから何を食べようかと思案していたときにこうやって呼び出されたせいで、腹は空腹に鳴きかけている。いくらなんでも上司の前で腹が鳴るのは不味いだろうと思い腹筋に力を入れて耐えているが、それもいつまでもつか。
「実はだな、その…」
「はい」
普段は冷静で有能なこの上司がどうして今はこうも歯切れの悪い言葉を紡ぐのか、そして視線が泳いでいるのは何故なのかという疑問も残るが、幸村はとりあえずはっきりと返事した。
幸村の後ろでは同僚が何事かといかにも興味津津といった視線を送ってきている。まじめな幸村がこうやって上司に呼びつけられ、しかも結構な時間こうやって立たされているとなると注目されて当たり前だろう。
しかしただの野次馬にしては空気が張り詰めているのはどうしてだろうか。幸村がここへ来る前にこの上司の絶叫を聞いたような気がするけれど、もしかしたらそれが理由なんだろうか。
幸村としては早く昼食を取りに行きたいが、上司の前から空腹を理由に去るわけにもいかない。ここは上司が話しだしてくれるのを待つしかないか。
そう思ったところで、件の上司が思い切ったように口火を切った。
「お前の鈴の件だがっ…」
「ああ、はい」
そういえば佐助は元気だろうか。あれから時間が取れなくてまだ会えていない。鈴もまだ鳴らされていないし、こっちも名前を呼べていない。きっと向こうだって忙しいのだ。
クリスマスが終わってからそう何度も思い返してきたが、そろそろ会う時間がとれそうだ。
会えるとしたら、いつだろうか。
「まだ鳴らされてはおりませんが…」
今すぐにでも、鳴らないだろうか。鳴ったら聞こえるのに。
無意識に耳を澄ます幸村へ、上司の言い聞かせるような低い声が届く。
「お前は鈴を、贈ったんだな」
「はい。譲渡先は明らかにするよう指示を受けております故、報告書に必要事項を記入して提出しましたが…」
ちょうど今上司が握りしめている報告書がそうだ。指の形がくっきり残ってしまうくらい強い力で握られている。
「では、この報告書に記入間違いは無い、と…?」
「はい」
あっさりと肯定すると、上司が祈るような顔で天を仰いで机に突っ伏してしまった。後ろでも何人か同じような動きをしたものがいるらしく、ばたばたと机に伏す音が聞こえる。
一体何事だ。
「あの…何かまずいことでも書いておりましたか…?」
幸村が恐る恐る問いかけると、机に伏していた上司がガバリと起き上がってこう叫んだ。
「当たり前だこの野郎!!いくら俺でもびっくりするわ!何でお前黒サンタに鈴プレゼントしてるんだよおいいいい!!」
「は?」
上司の絶叫は廊下まで響いていたらしく、部屋の外から「えええええっ?!」という絶叫が響いて何人か部屋に駆け込んでくる。
そんなに驚くようなことなのだろうか。
「何がどうなって鈴をプレゼントするとかいう事態になったかは詮索しないが、あれは赤サンタと相容れない存在だってことは理解しているな?」
「…っですが、黒サンタであっても人それぞれで!」
「だとしても!お互いの仕事の性質上向こうもあまり赤サンタに良い印象は抱いていないだろう」
「佐助はそんな男ではありませぬ!!」
バン、と机が鳴った。
どうしてこんな音が鳴ったのかと思えば己が上司の机を叩いていたらしい。
「佐助はっ、仕事熱心で、見た目の割に真面目で勤勉ないい奴です!俺のトナカイも懐いておりました!」
「お前の弾丸トナカイが懐いたのは素直にすごいと思うがな、それでも黒サンタに鈴を贈るのは前代未聞だぞ…」
「禁止されていないのであれば責められる云われはありませぬ!」
「責めてるわけじゃないんだが…まぁそう熱くなるな」
「黒サンタというだけで佐助が認められぬというなら一度会ってみれば良いのです!そうすれば…っ」
一度激した頭はなかなか冷めずに熱くなる一方だ。
普段なら考えられない勢いで上司に詰め寄れば、引き留めるように誰かが腕を引いた。
邪魔だ。
「放せっ今俺は…!!」
振り払おうとした瞬間に目に入った一面の黒。
赤サンタの詰め所ではあまり見かけないその色が、なんとなく佐助を彷彿させて。
「や、旦那。久しぶり!」
…本人だった。
何でここにいるんだ。
むしろどうやってここに来たんだ。
気配もなかった。
というかいつ来た。
「え、ちょっ佐助?!」
「あ、うん俺様。いやぁ久しぶりだねぇ、元気にしてた?ってかやっとあんた名前呼んでくれたね。てっきり忘れられたのかと思っちゃったよ」
「忘れてなどおらぬ!ただ、その、色々と事後処理が…」
「あ、やっぱり赤サンタのほうも大変なんだ。いやぁこっちも大変でさぁ。クリスマス終わったってのにまだ一回も家に帰れてなくって…」
「はぁ?!」
聞きたいことは大量にあったのに、佐助の言葉で疑問のすべてが吹っ飛んだ。
クリスマスからも一カ月以上たっている。一度も帰れていないということは。
おい。
「毎日毎日紙の束と格闘。仮眠室で寝ても夢で報告書書いてたよ。…あ、風呂はちゃんと入ってるよ?壊れててたまに熱湯出るけど」
よく見れば佐助の顔には今まで見たことがないほどの隈がくっきりの浮かんでいる。
「だ、大丈夫なのか?」
「へーきへーき。こうやって旦那のお陰で抜け出せたし!」
明るく答えて笑った佐助は一応元気そうだが、疲労のにじむ顔で言われてもあまり説得力がない。よく見れば顔色だって悪い。
「…少し、いや。思いっきり休んだほうがよさそうだな」
そうっと頬へ手を伸ばせば、こちらの手が温かかったのか心地よさげに佐助が目を細めた。
「せっかく会えたのに勿体ないからそれは後回しで。だって一カ月ぶりだよ?」
にこにこと上機嫌そうに笑うのは、もしかして疲れすぎてハイになってしまっているのだろうか。それとも本当に機嫌が良いだけなのか。付き合いがそう長くはないため判断がつかないが、この状態の佐助を休ませずに連れまわせるわけがない。
「本当に久々に会えたが、やはりここは休息優先にしておけ。…お前本当にすごい顔色だぞ?室長!仮眠室をお借り…」
したいのですが。
幸村が目の前の上司へそう許可を得ようとしたところで、場の空気の異様さにやっと気付いた。
全員固まっている。ある者は顔をひきつらせて。そしてある者は白目を剥いて。
そして何でか物音ひとつしないほどに静まり返っている。
「あの…室長?」
その例に漏れず固まっている上司へと遠慮がちに声をかけると、その声でやっと我に返ったのか、室長はゲフンゲフンと変な咳払いをした。
「幸村」
「はい」
「こいつが、その…件の黒サンタか?」
「はい」
「何故ここにいる?」
「え、…っと?」
答える術を持たない幸村が佐助をちらりと見ると、心得たように佐助が代わりに答えてくれた。
「名前を呼ばれたので」
「名前?」
「管理職の人なら知ってるでしょ。決めた人が呼んだら聞こえる“黒サンタの名前”っての。聞いたことありません?」
「あ、あれは…都市伝説ではないのか?!」
「いやいや、事実ですよ。現に俺様ここに来てますしね」
「…いや、しかしどうやってここに来た?」
「走って」
走ってだと?!と幸村が驚いて佐助を見た。
黒サンタの詰め所は確かトナカイの足で半日かかると聞いたことがあるはずだが。
しかし室長はなぜか動じずに淡々と問いを続けてくる。
「いつ来た?」
「ほんのすぐ前ですよ。名前呼ばれて気付いて…、そんでまぁ、ちょっと力づくで抜け出す感じで」
「どこから入った…?」
「窓から」
佐助が指差した窓を見ると、きっちりしまっていた。
凍りついた窓からは一面雪に包まれた外の景色が僅かに見えていて、ちらりちらりと雪が舞っている。今朝方から降りだして今も止まぬ雪のためか、詰所の建つ丘の下に広がる街並みが見えない。煉瓦の街並みは見慣れない者にとっては壮観だろうに。
どうせなら晴れているときに呼びたかった、とため息を吐くと、幸村のものより数倍大きなため息が前から聞こえた。
室長の吐いたものだ。
「まぁ事情は大体分かった。幸村、お前もう今日は上がれ」
「は、はい?!」
「で、おい。出口付近のやつ…そう、お前。仮眠室の使用許可取ってこい」
「あの、室長…?」
話が見えず動揺する幸村へ、上司は呆れたようにこう言った。
「こんな顔色のやつ前にして他にやることがあるのか?とっととこの黒づくめを休ませて来い」
「は、はい!」
敬礼でもしそうな勢いで幸村が返事をすると、佐助が「え、そんなお世話になるわけには…」と遠慮しながら後ずさっていく。
幸村はそれをがっしと引き留めるように掴んだ。途端、踏ん張りきれなかったのか、佐助の体がぐらりと傾ぐ。
そのままなんとか姿勢を立てなおそうとしたようだが、結局体に力が入らなかったのかゆっくりと黒づくめの体が倒れこんできた。
気持ちではまだまだ元気だったらしいが、体が限界を迎えたらしい。
「…はやく休ませてやれ」
再度言い聞かせるように響いた室長の声に賛同するように、出口までの道を開けるように人が避けてくれた。
もともと黒サンタには良い印象を持っていない者の多い職場ではあるが、やっぱり根は赤サンタ。
ここまでくたくたになるまで働いて、その末にぶっ倒れた男相手に同情しないわけがない。
「お心遣い痛み入りまする」
開かれた通路を佐助を担いですたすた歩きつつ、礼を言って幸村は仮眠室へ急いだ。
…この時この瞬間、今まであまり良いイメージを持たれていなかった“黒サンタ”の印象が、赤サンタ内でがらりと変わった瞬間だった。
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赤黒サンタの続きが読みたいと言ってくださった方がいらっしゃったので、思わず続きを書いてしまいました。
1/3にメッセージ下さったお方に捧げます。
…というか、不甲斐ないことにまだ終わってないので、あと一話ぼちぼち完結させます。
何でお祭りテキストってはっちゃけると止まらないんだろう。
(10.1.28)
…というわけで続きの続きを書いてしまいました。
纏まりのない文章になっちゃいましたが完結です。
読んでくださる心の広い方は下よりお進みください。
(10.5.4追記)
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