いつでもどこでも何度でも








この街で一番目を惹くものといえばそれはやはり時計塔だろう。
一番高い建物で、一番豪華な装飾がされていて、そして夜通しその文字盤を照らす明かりが途切れることは無い。
とても綺麗な建物だ。
その屋根は鋭角な三角屋根で、実のところソリを止めるのにふさわしい場所では全く無い。
けれど、赤サンタの詰め所で「待ち合わせをするなら時計塔!!」と力説されてしまえば仕方が無い。
理由は分からないといえど、そういうルールがあるのなら従うまでだ。
「うーむ…どこにとまろう…」
尖がった屋根の上に止めるわけにはいかない。間違いなくソリが壊れる。
だからと言って屋根の上に止めても間違いなく滑り落ちる。
「…浮いてるか」
結局そう結論付けて、幸村は時計塔のすぐ傍で足を止めた。
時間を見れば、大きなその文字盤は5時の20分前を示している。
あの時は余裕を持って告げた時間ではあったが、こんなにギリギリになるとは思っていなかった。
遅れないようこれでも頑張ったというのに、例年より時間はかなり遅い。
しかし遅れた理由は分かっている。
あれからあの黒サンタの行動の意味をずっと考えていたからだ。普段はあまり悩まない性分だというのに、一度ドツボに嵌れば中々抜け出せない。
そんな状態で効率よく働けるはずがない。
「それにしても…あいつは無事であろうか」
ソリの上で街を眺めながら呟くと、答えるようにトナカイ達がくるりと振り向いた。
「お前達もあいつが気に入ったのか?普段は俺以外触らせぬ癖してやつの言う事は素直に聞いていたな」
少々恨めしげに言ってやれば「何のこと?」とでも言うように首を傾げてみせる。
動物はこういうときずるい。でも可愛い。
「そういえばソリに乗せるのもお前達は毎年当たり前のように受け入れていたな…。あんなありえない途中乗車だというのに」
紅い弾丸いう異名が幸村に付くほどの勢いで疾走するこのトナカイ達。
そんな超速のソリに、いとも簡単に乗り込んでくる黒サンタ。本当にあの男は謎だらけだ。
「俺よりずっと受け持ち範囲が広く、走ってトナカイより早くて、…そう言えば分身がどうのこうの言っていたな」
口に出して分かっていることを上げていけばいくほど、訳が分からなくなる。
黒サンタのことにはそんなに詳しくないが、あんな黒サンタ見たことが無い。
「でも、嫌いではないのだ」
それは確かだ。
仕事は真面目に頑張っている…むしろ頑張りすぎている感じだし、軽薄そうに見えてそうでもない。
話していて楽しいのも事実で、悪い奴ではない。
でも、謎だらけ。
「まぁ、結構前からの知り合いとはいえ会うのは一年に一度だけだしな…」
呟いた瞬間、何故か周りの音が遠くなった気がした。
理由は分からない。けれど何故か、急に一人になったような気がした。
この感覚には覚えがある。家に一人ぼっちで取り残されたときと似た感じのものだ。
でもそれが何でこの瞬間に?別に一人ぼっちというわけではない。
第一もうそんな年ではない。
「ええいっ訳が分からぬ!それより黒サンタはまだなのか…?5時を余裕と言い切った癖にっ」
八つ当たりが八割を占める文句を口にして、時計台にもう一度目を遣った。
時間はさっきからあまり進んではいない。長針がほんの少し動いただけだ。
その針の指し示す数字を見て、ため息を吐く。
待つのはもともと苦手な性分だが、これでは堪え性が無いにも程がある。せめてあと十分くらいは落ち着いて待ちたい。
けれどどうにも不安が胸をやんわりと抉ってくるのだ。さっき分かれたときのあの表情。
悲しそうな、苦しそうな顔で、突き放すようにソリを出させた。
会いたくなかったのだろうか?
そんな思いがこみ上げてくる。
それと同時にもう一つの不安がよぎる。
「来なかったらどうしようか…」
口に出したらますます情けなくなった。訳も分からないのに泣きそうだ。
そんな幸村の様子に気付いたのか、トナカイ達があたふたし始める。
トナカイ同士を繋いである綱がきしきし鳴った。
「すまん…俺は元き、んん??」
元気だぞーと続けるはずの言葉が奇妙な形に跳ね上がった。
屋根の上になんか変なものを見つけたからだ。
雪の積もった鋭角の屋根の端っこに、黒い点が一つ。
…というより一人?
「あれ…黒サンタか?」
思わずトナカイに語りかければ、ソリが勝手に動き出した。
これは肯定と取っていいのだろう。
「何をやっておるのだあいつは…?人型の大の字が出来ておるではないか」
真っ白の屋根の上に黒い塊があれば酷く浮き上がって見える。あんな端っこにいなければ直ぐに見つけられたのに。
「…おーい黒サン、タ?!」
またも語尾が奇妙に跳ね上がった。
しかしそんなことはどうでもいい。慌ててソリから飛び降りると、屋根の上を走って男の方へ駆け寄った。
ぐったりと目を閉じたまま、動かない男。
「おいっ黒サンタ!どうした?!怪我でもしたのか?!」
すぐ傍に膝を着いて、大声で呼びかけても答えが無い。
抱き起こそうとその体に触れれば氷のように冷たかった。
「黒サンタ?!」
その冷たさに愕然として、体がびくりと震えた。
慌てて自分の手袋を外して脈を確かめれば、とくりとくりと脈打っている。
一体何が?
「おい黒サ、」
「あれ、旦那」
半ば恐慌状態の幸村に、黒サンタがいきなり目を開けてあっけらかんとそう言った。
しばし、呆然とする。
「あちゃー俺寝てた?ってうお寒っ!!雪に埋まってたの俺様?寒―っ寒っ!あんたあったけー」
あんなに冷たかったというのに、普通に身を起こして大げさに震えて見せている。
かと思えば幸村と手を握ってまったりと顔を寛げたり。
「貴様…」
「え、何?あ、ごめん。手ぇ冷たかった?いやーあんた温かく、」
「違うわ阿呆!!こんな紛らわしい寝方をしおって!!普通雪に埋もれて転寝するか?!死んでるかと思ったぞっ」
「あ、ごめんごめん。ちょっと今日は疲れてさぁ、ここたどり着いた瞬間落ちちゃったみたいだわ」
「……っ」
この男の多忙ぶりを知ってしまった後ではこれ以上怒ることが出来ない。しかもこんな場所で待ち合わせと言い出したのは幸村の方なのだ。
ここでこいつが紛らわしい寝方をしてしまった原因は、幸村にもある。
「とりあえず…、ソリに乗れ」
俺も悪い俺も悪いと自分に言い聞かせつつ、激してしまった自分の感情を落ち着かせた。
雪の中で寝こけるほど疲労した男に無体な真似をしてはいけない。
「雪と変わらぬ程冷たくなるまで体を冷やすな…」
「あはは…心配掛けて悪かったね。俺も起きてる気満々だったんだけど…時間に間に合ったと思ったら安心しちゃってさ」
へらへらと笑いながらソリへと乗り込む姿はいつものあの軽薄な態度だ。
あの時の辛そうな気配など欠片も見当たらない。
トナカイ達にひらひらと手を振り、慣れた様子で座り込む姿にも違和感は無い。
仕事中は今とは違う態度なのだろうか。
「…何?俺の顔なんかついてる?」
「いや、…すまん」
気付けばじっと睨んでしまっていたらしく、咄嗟に謝ってしまった。
しかし聞きたいことはある。
「その、」
「あの子供なら元気だよ。…どこも怪我して無いし」
問おうとしたことを、先に言われてしまった。
驚いて顔を上げれば、あの顔をしていた。
「お前…」
「一方的にあの場から退場してもらったのは悪いと思ってるよ」
聞きたかったことを的確に答えてくれるのはありがたい。けれどこのまま黙って聞いていては駄目な気がする。
しかしそう思っていても何を言っていいかわからず、結局沈黙で返してしまう。
「でもさ、やっぱり黒サンタの仕事は見ていてあんまり気持ちの良いものじゃないから。しかも俺全年齢対象だし…?」
最後はおどけて言う男の本音が見えない。
「あーいう事があるから赤黒で仲が悪くなったりするんだろうね」
「別に俺はお前と険悪になる気はない」
やっと言えた言葉はどこにでもあるような陳腐なものだった。
この男が何を考えてあの場から幸村を離脱させたのかがよく分からないが、見せたくないものがあったのは分かる。
だから別に怒ってなどいないのだ。
「お前は良いやつだ」
「そりゃどうも」
重ねて言っても、返ってきたのはそんな適当な相槌だけ。
明らかにこれはこちらを信じていない口調だ。
真意の見えにくい男だが、それくらいは分かった。
「お前信じていないだろう?」
目を覗き込めばその視線が彷徨った。
「俺がいい奴と言ったら良い奴なのだ」
「どんな理屈?」
「赤サンタだからだ」
断言すれば、男がきょとんとした顔をした。
黒衣のサンタ服だとしても、こんな邪気の無い顔をすればサンタっぽく映るものだ。やはり仕草だけは無駄に可愛い。
「いい子にプレゼントを配る赤サンタが言うのだから間違いない。…ほら、手を出せ」
「…へ?」
未だ反応を決めかねている様子の黒サンタは、どこか間抜けは表情のまま手を差し出した。
真っ黒な手袋に覆われた手だ。手袋だけは赤黒サンタでお揃いの黒色だが、使われている革が違うらしく黒サンタの方が分厚い。しかし各々の衣装の色彩の共通点といえばこれとベルトとブーツくらいでは無いだろうか。
全部黒だというところが少し複雑ではある。
「手袋は外せよ」
「え、…ああ」
素直に片方の手袋をすぽんと外すと、もう一度黒サンタは手を出した。
寒さのせいか色の無い肌が少し心配になったものの、それは今は無視してその手にちょこんと小さな包みを乗せる。
「…え?」
「お前にやろう」
「いや、これ…」
「俺が物を渡してそんな“意味がわかりません”みたいな顔をされたのは初めてだ」
赤サンタが渡すものと言えばプレゼント以外無いだろうに、と笑って続ければ、黒サンタが目を見開いて固まった。
そして数秒の沈黙の後、おそるおそる包みをつつき始める。
「こ、これマジで貰っていいの…?」
「だからプレゼントだ」
「う、ん…。あ、ありがとう」
礼を言いつつも表情は未だに手の中にあるそれを信じられていない顔だ。
いつまで指先で突っついているつもりなのか。
黒サンタにあるまじき間抜けな姿に苦笑しつつも、重ねて言ってやる。
「仕事を真面目に頑張ってるのだからいい子だろう、お前は。プレゼントをあげても何の問題も無い」
「黒サンタに最もふさわしくない名称のような気がするよ…“いい子”って」
「決めるのは赤サンタだから気にするな」
少々納得しきれていないような顔をしたものの、黒サンタはそーっと包みを開け始めた。
幸村が即席で作った包みだが、一応可愛らしくリボンで口を結んである。
「縦向き蝶々結び…」
くすりと笑いながら呟かれた言葉に、少し恥ずかしくなる。
有り合わせでこれだけ出来たのだから、幸村としては上出来だった。しかしリボンの形までは気にしていなかった。
赤サンタとして少し不甲斐ない。
「すまん、即席で作ったから多少不恰好なのは我慢してくれ」
来年リベンジを誓いつつ告げれば、黒サンタはそーっと包みから中身を取り出すところだった。
手つきが慎重すぎて面白い。
「そんな丁寧に扱わなくても大丈夫だ。繊細な物ではない」
そう言って幸村がたしなめても黒サンタの手つきが変わることは無かった。
ゆっくりゆっくり丁寧に取り出され、ちょこんと手の平に乗ったものは小ぶりの鈴。
赤サンタの鈴だ。
「来年はちゃんと用意してくる。今年は有り合わせだがそれで許せ」
「…うん」
「鈴は赤サンタで個々に用意するものだからそれは俺の私物だ。備品じゃないから安心しろ」
「…うん」
「ちなみに鈴はたくさんあるから一つ無くなったくらいでは問題にならない。気に病む必要は無いぞ」
「…うん」
「しかし赤サンタの鈴には意味があってな…っておい、お前聞いているか?」
「…うん」
返事は確かに返ってきたものの、明らかに生返事だ。
実際黒サンタはと言うと、鈴を時計台の光に透かしてみたり、指でつついてみたり、指先で摘まんで振ってみたりと話を聞いている様子は全く無い。
はっきり言うと鈴しか見ていない。
「おーい黒サンタ」
ためしに呼びかけてみたが、返ってきたのはさっきのものとそう変わらない生返事だけだった。
その間も一心に鈴を眺めている。
そのまましばらく好きなようにさせておいたが、幸村が沈黙し始めたことで逆に自分の状況に気付いたのか、慌てて顔を上げた。
「あ、ごめんっ、何だっけ?!」
「お前本当に聞いていなかったのか…」
呆れて言えば、困ったように笑いながら黒サンタは言う。
「プレゼントとか貰ったの初めてでさー。いやー嬉しいもんだねぇこれ」
「は、初めて?」
「赤サンタってやっぱ偉大だわ。俺今プレゼント貰って喜ぶちび達の気持ち分かったもん。こりゃマジで嬉しい」
「そ…そうか?」
花でも飛ばしそうな勢いで喜んでいる黒サンタの勢いに若干呑まれつつ、それでも喜んで貰えるのはやはり嬉しいと思う。
こういう笑顔のために、赤サンタは聖夜を翔けるのだ。
「あ、そういやさっき鈴が即席の備品とか何とか言ってなかったっけ」
「内容は全く違うがな」
単語はところどころ拾えてはいるが、話していた意味と真逆の方向へ繋ぎ合わされている。
「よく考えてから言え。備品をプレゼントする何ていう罰当たりなサンタが居て堪るか」
「あ、そうか。うん、やっぱ普通はそうだよね」
サンタクロースという存在の認識に関してお互いの差異が激し過ぎる気がしたが、そのあたりを今とことん話し合ってしまうと時間が来てしまう。
色々聞き捨てならない言葉もあったが、聞こえなかったふりをした。
「とりあえずそれはいい。…その鈴について説明しておくぞ」
「え、何か曰く付き…?」
「だからどうしてお前はそう思考が基本マイナス方向なんだっ!もっと良い方に考えろっ!そして話の腰を折るなっ」
「す、すんませんっ黙って聞きます!!」
びしっと居住まいを正した黒サンタはぎゅっと口を噛み締めて黙った。
少しきつく叱りすぎたかと心配になったが、ここで謝罪するのもまた変な話だ。
いちいち余計な茶々を入れてくるこの男が悪い。
「鈴に関してはさっきも言ったが、俺の私物だ。鳴らせば何処にいても聞こえる」
「……?」
黙って聞きます、という言葉の通り、無言で首を傾げる黒サンタ。
灰色のボンボンがころりと揺れた。
「つまりだな、毎年会うといっても一年に一度だろう?しかも時間は限られておるし」
言いよどむこちらの真意をちゃんと理解しているのかいないのか、黒サンタは表情を変えない。
「何か奢ってやると言ったからな。…しかし今からでは時間が無いと気付いてな、ならば今日ではなく明日でも、明後日でも良いと思ったのだ」
「明日…?」
信じられない言葉でも聞いたかのように、黒サンタがぽかんと口を開けた。
今日はこの男にたくさん驚かされた。だからこれで少し仕返し出来たのなら嬉しい。
「時間が空いた時にでも鳴らせ。迎えにいく」
「え」
「その時なんでも好きな物を奢ってやる」
笑ってそう告げれば、黒サンタはまたも固まった。
しかしさっきよりも立ち直りは早かったらしく、一呼吸分の沈黙の後動き出し、その瞬間ぐわっと顔に朱が昇った。
「お前顔…」
「いや、そこは何も言わないで…。うん、っていうかもーさ、あんた」
自分でも顔が赤くなったことを分かっているようで、片方だけ手袋に覆われている手で顔を押さえた。
「いやーまさか俺様がねぇ…、こんな、あーもー…」
耳まで赤く染めたままぶつぶつと何かを呟いている。言っている言葉は拾えるものの、内容に関してはさっぱりだ。
そんな意味の分からないことを言われ続けても面白く無い。
「お前は一体何の話をしておるのだ…」
呆れ半分でそう言えば、黒サンタがぱっと顔を上げて幸村を見た。
顔はまだ少し赤いがさっきよりもましになっている。その顔色を気にするように頬を自分で抑えながら、黒サンタは唐突にこんなことを言った。
「俺の名前、佐助って言うんだけどさ」
「…?」
何でいきなり自己紹介?と思ったが、何年も前から知り合いだと言うのにお互い名前も知らないのだ。
ならばここは幸村も名乗るべきだろう。
そう思って口を開こうとした瞬間、黒サンタ…もとい佐助が先に口を開いた。
「名前、呼んでくんない?」
「…名前?」
「そう、俺の名前」
「名前って…“佐助”でいいのか?」
言われたままに名を呼べば、その男はとても嬉しそうに笑った。
こんな風に名前を呼ぶだけで喜んだり、さっき渡した小さな鈴一つで喜んだり、この男は意外と欲が浅いらしい。
些細なことで心底嬉しそうにするから、赤サンタという性質上少し対応に戸惑う。
「名前くらいでそんなに喜ぶものか?」
「そりゃ嬉しいよ。来年まで待たなくて良いんだから」
「…?」
またもこの男は意味の分からないことを言った。
来年までと言ったら一年後の聖夜のことだろうし、待つ云々に関してはさっきの鈴で解決した。
ということは名前とは関係ないはずなのだが。
その考えが顔に出ていたのか、佐助は幸村の疑問に答えるように先を続けた。
「いつでもどこでも好きなときに呼んで。…聞こえるから」
「え?」
「あんたの鈴と一緒。何処にいても聞こえる」
「名前が…?」
「そう」
「本当に?」
「うん本当」
平然と肯定された言葉に呆気にとられていれば、佐助が得意げに先を続けた。
「あんたは明日でも明後日でも良いって言ってくれた。なら会いに行っても良いってことだろ?」
楽しそうに言う佐助は、嘘を吐いている雰囲気ではない。
「佐助?」
「そう。…呼べばすぐに会いに行くから、好きな時に呼んで」
重ねて言われて、何故か納得してしまった。
サンタの鈴と違って物ですらない、ただの個々としての名だけでそんな芸当が出来るなんて普通なら信じられることでは無い。
それなのに、この男が嘘を吐いているとは思えなかった。
「…わかった」
自分への確認の意味も込めてそう答えれば、佐助は笑みを深めた。
「いつでもいい。絶対呼んでね」
「そう念を押さずとも呼んでやるぞ?」
何度も念押しのように言ってくる男の、何処か落ち着かない様子が気にかかる。
名前を呼んでと何度も言いながら、うろうろと視線を遠くへ飛ばしたり、立ち上がろうとしたりしている。
「さっきからどうにも様子が変だぞお前?…何かあったのか?」
「何かあったっていうか、うん…まぁお別れかな?」
「はぁっ?!」
幸村の何度目か知れないその声と同時に、佐助が身軽に立ち上がった。
「お、お別れってもうお前…仕事は終わったのだろう?」
慌てて自分も立ち上がれば、佐助が困ったように笑う。
「俺の分は終わらせたけど、他のところがね」
「他?!」
「俺の担当地区のお隣さんが大変なんだってさ」
「あれだけ働いてまだ働く気か?!」
行きにあれだけ驚かされたのに、それをこなした後で他の助っ人にも行ってしまうらしい。
どう考えても働きすぎだ。
「お前体壊さないのかそれで?!いくらなんでも…」
「大丈夫大丈夫。さっきちょっと寝たし、それにこれ放っておくと後々響いてきそうだから」
「だからってお前っ」
「大丈夫」
あの時と同じように人差し指で口をふさがれ、有無を言わせぬ口調でそう言い切られた。
納得していないのに、それでは黙るしかない。
「心配してくれるのは嬉しいんだけど、今はホントに何でも出来そうな気分だから」
そんな風に根拠が無さそうなことを自信満々に宣言されても困る。
何でも出来そうとか、確かにこの規格外の黒サンタはやってのけそうで怖いが、それでもやはり心配は心配だ。
やはりここは行かせるべきではない。
「何でも出来そうだろうが何だろうが働き過ぎだっ。黒サンタの仕事に俺が口を出すべきではないのは重々承知だが、これは見過ごせん」
「あらー旦那ってばやっぱ優しいねぇ」
「冗談を言っている場合ではない!!」
「冗談じゃないって。あんたは優しい、優しすぎて…ちょっと、困る」
そう言ってことんと預けてくる頭を、肩で受け止める。
「言ったでしょ、黒サンタは優しさに慣れて無いんですって。こういう心地良い感情ばっかり与えられると、俺みたいな馬鹿は調子に乗っちまう」
肩口でぽそぽそ呟かれる言葉に、幸村が答えを返す。
「何にどう困っているのかはさっぱりだが、お前はもう少し調子に乗ったほうが良い。…でないと色々不憫で泣けてくるんだが」
真っ当な感性で心配して、それだけで優しすぎるとか言われても唖然とするだけだ。こんな当たり前のことで感謝されるとどうしようもない。
一体黒サンタはどういう環境で普段を過ごしているのか。
「一度黒サンタのことについて詳しく聞かねばならんな。上に掛け合って少しでも改善してもら…、え?」
続けようとした言葉が、また不自然に途切れた。
今日はこの男に言葉を遮られてばかりだ、なんて考えが頭の隅に浮かんだが、現状をどう処理するかという考えを放棄して別の思考に逃げただけだ。
しかし逃げたと言っても、別に現状に問題があるわけではない。
佐助の頭の位置が少し上に動き、今肩には顎が置かれている。そして、痛いくらいの力で締め付けてくる腕が背に回っている。…それだけだ。問題なんて無い。
寒いからこうやって抱き着かれるのは温かくて良い。
本当に問題なんて無いのだ。
なのに何故、こんな風に落ち着かなくなってくるのか。
「さ、さす」
訳も分からぬまま名を呼ぼうとすれば、耳元で間延びした声が響く。
「あんたはさぁ、俺が来年まで待たなくて良いってことにどんだけ喜んでるか知らないでしょ。…それだけで面倒で仕方が無い過剰労働にもやる気が出るし、会えるかも知れない明日からの邪魔になるかも知れないものを片付けに良く気力も湧く。なのに、それに加えて“調子に乗ったほうが良い”何て言っちゃう?」
そう言って、背に回った腕の片方が上に滑り、帽子からはみ出た髪を梳いてゆく。
「佐助」
冷えた指が時折首をかすめ、その冷たさに震える。
なのに体が熱い。
「佐助」
名前を呼べば、回されている腕に更にぎゅうっと力が込められた。
雪に埋まっていたときはあんなに冷たかったのに、今触れている体温はちゃんと温かい。それに安心したいのに、さっきからさざめく胸の内は収まってくれない。むしろ力を込められたことで、酷くなったような気もする。
抱き締めてくる力が強すぎて苦しいからなのだろうか?そう考えても、息苦しさは別のところから来ている気がしてならない。
じゃあ理由は?
浮かんだ疑問を片付けようと、さっきから逸らしてばかりいたその考えへと思考を向ける。
そして、理解しようとした瞬間、ふわりと風が動いた。
それと同時に感情の薄い声が響く。
「それじゃ、そろそろ行って来ます」
「え?」
落胆の滲んだ声が無意識に飛び出て、それを肯定するかのように体の戒めが解けてしまった。
密着したことで止められていた熱が、吹き込んでくる冷風に攫われていく。
「おい、佐助っ」
引き止めようと伸ばす手から逃れるように、佐助が一歩ずつ後退していく。
「あんたのお陰で楽しかったよ。いい夜をありがとね」
笑いながら言われたのはお礼の言葉。
そして手袋に覆われていない手の中で振られたのはさっき送った鈴。
ちりりと音を立てるそれに何気ない仕草で唇を寄せて、黒サンタが最後の一歩を踏み出す。
「また会おうね」
「待て、おいっ」
「それじゃ旦那、メリークリスマス!」
制止の言葉を無視して宙へ身を躍らせた佐助は、そんなクリスマスにお決まりの台詞を残して消えてしまった。
慌てて下を覗き込んでも、もう姿は見えない。
再会で肝を冷やし、今夜二度目の離別はまたも突然。
本当に謎だらけの男だ。
「このっ…またあいつは人の話も聞かずに消えおってっ!!!」
未だ明けぬ闇夜に向かって悪態を吐けば、空から雪が降って来た。
もう少し早く振って来てくれていれば、これを理由に奴を引き止めることが出来たかもしれないのに。
そんな八つ当たりのようなことを考えて、慌ててその思考を振り払った。
過ぎたものはもう仕方が無いのだ。今更どうこう言っても時間は戻りはしない。
「…あの大馬鹿者」
それでも収まりきらぬ怒りを罵ることで発散し、むすっと顔をしかめて視線を落とす。
機嫌が下降すると、下を向いてしまうものだ。
しかしその視線の先に黒い何かを見つけた。
「…手袋?」
自分と似た形のそれは、確かにサンタクロースの身につけているもので。
見覚えのある材質は、あの男が嵌めていたものだ。
「…忘れ物か」
毎年毎年会うのはこの一夜だけで、残るものと言えば僅かな時間に交わした他愛ない会話の記憶しなかった。
けれど、今年は向こうに鈴を残せた。
そして今、幸村の手元にこの手袋がある。
不鮮明な思い出という名の何かではなく、確かに会ったという証になる形ある物。
「……。」
ちょっとした出来心で、自分の手袋を外してそれを嵌めてみた。
指先まですっぽりと納まり、指もきつくはない。手の大きさはそう変わらないようだ。
そしてもう一つ、出来心で。
ちゅ。
あの男が鈴にやっていたように、手袋にそーっと一度口付けた。
「メリークリスマス」
雪降る虚空へそう告げて、今すぐ名前を呼ぼうとする衝動を抑えながら手綱を握る。
次に会った時、絶対説教してやるのだ。
そう決意して。

































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 名前呼ぶだけで来れるなんて超便利ですね。
 佐助浮かれすぎですね。
 主従とは一切関係ない二人が書きたかったのでこんな話になりました。
 そのうちあの有名なクリスマスソングの「恋人はサン○クロース♪」ってのをお互い歌えるようになるといいですよ。
 
 それはさておきこれで赤黒サンタのお話は完結です。
 お付き合いいただきありがとうございました。
 そしてメリークリスマス!





 完結のつもりでしたが、続きを書いてしまいました。
 読んで下さるというお優しい方は下よりお進みください。
 (10.1.28追記)





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