「目ぇ閉じろ旦那っ!!」
いつもはそんな風に声を荒げることなんてほとんどないのに、その時は悲鳴みたいに響いた。
敵に四方を囲まれた状況で目を閉じるなんて愚行、とてもじゃないが受け入れられないと思ったけれど、そんな声で言われてしまえば逆らう気なんて起きない。
固く素早く目を閉じれば、周囲でいくつも悲鳴があがる。
今の声の主が放った攻撃が敵に命中したのだろう。
そしてすぐ傍になれた気配。
「絶対開けるなよ?!頼むから開けないでくれよ?!」
その気配はそんなことを切羽詰った声で叫んで、ぶおんと音を立てて得物を操った。
また周囲で悲鳴があがる。それも大量に。
目を閉じていても分かることはたくさんあるのだな。
そんな風に思えば、思い出したように喉が痛みを訴えてきた。
喉が酷く痛い。まるで内側から焼かれているようだ。
この痛みをどうにかしたくて口を開こうとすれば、口の中に何かを突っ込まれた。
「それ噛んでろっ」
聞こえた声は、なぜか少し掠れていた。
それを疑問に思う前に、突っ込まれたものの味に吐き気がこみ上げる。
「吐くな!あと息も止めとけ!!」
荒々しい掠れたその声とともに、今度は布で口を抑えつけられる。
一体何なのだ。
良く分からないながらも、体は敵を察知して槍を振るった。
手に伝わる確かな手ごたえ。
ここは未だ敵の包囲網の真っ只中だ。
自分にそう言い聞かせて、余計な感覚は体の外に締め出した。
痛みも吐き気も息苦しさも。
しかしいざ戦おうとすると、腰に腕が回された。
戦闘時にそこまで接近を許す人間など一人しかいない。
「一先ず退散!頼むぜ俺様の影!!」
そんな捨て台詞とともに、体を襲ったのは浮遊感。
抱えられて飛ぶのは慣れているのでこの感覚はそう珍しいものではない。
しかし今回のはいつもより乱暴だ。
体が激しく揺さぶられて、喉からひゅうと空気が漏れた。
途端、喉に激痛。
あまりの痛みに呻くと、喉からは人とは思えぬような音が漏れた。
その音に驚く間もなく、口の端から温かいものが伝う感触がする。
口に押し当てた布を赤く染めて、口から溢れ出すそれ。
…血だ。
「中和薬じゃ追い付か…、かっ…!!だんなっも…、ぐ本陣だ、も…ちょい我慢…てくれ!!」
切羽詰ったその声は時折掠れ、途切れる。
佐助?
出そうとした声はごぽりという吐血の音に変わった。
同時に腰に回された腕に力が込められるのを感じる。
触れる肌から伝わる鼓動が酷く早い。
この男が柄にもなく焦っているのか。
それに気付くとこちらは逆に冷静になれた。
どうにかして安心させてやりたいけれど、この体たらくではそれも為し得ない。
せめてこの血だけでも抑えてやろうと、口を塞いでいる布をきつく押し当てた。
その後から、衝撃の連続だった。
本陣に着いたと悟ったのは周囲の声でだった。
「幸村様!」だとか「帰陣なされたぞ!」という兵たちの声が下の方で聞こえたのだ。
いつもなら着く前に佐助から何か言葉があるのに。
疑問に思った瞬間、体を衝撃が襲った。
何かと思えば地面だった。
いつもならふわりと着地するはずなのに、崩れ落ちるように地面に突っ伏してしまった。
しかし咄嗟に佐助が庇ってくれたのか、衝撃はあったものの痛くは無かった。
「喉…、毒がっ」
絞り出すように叩きつけられたのは佐助の声。
こんな声を聞くのはいつ以来かわからない。
そこで目を開ける事を思い出した。
あれから開けても良いとは一言も言われていないが、本陣へと戻れたのならばもう良いのだろう。
そう思って開いた目に、飛びこんできた光景。
「さ、す」
佐助。
焼けつくように痛む喉ではもう名も呼べなかった。
その血はどうした?
問うことも出来ない。
目から流れ出ているその血の涙は何だ?
問うために口を開けば口の中に突っ込まれていたあの酷い味の何かが血と一緒に吐き出された。
けれど、佐助の口からはこちら以上の量の血が流れている。
「さっ…」
名前が呼べない。
何故血の涙を流しながらも、目を閉じない?
光彩を取り巻く白目はもう元の色を残していない。赤黒く染まった目。
それに映っているのは己の顔で。
何故こんな酷いけがをしている佐助が目の前にいるのに、俺を先に医師の方へ連れて行こうとするのだ?
佐助に向って伸ばされたこの手を、別の誰かが掴んで引き離した。
邪魔をするな。
もがけば喉からまた血が滴った。
「だいじょうぶ」
聞こえたのは佐助の声。
血に掠れた声で言われた言葉は、到底信じられるものではなかった。
そんな形で言っても、説得力なんてある訳がない。
「ぁ、ぐ」
佐助。
誰かがしゃべらないで下さい、と言った。
俺より佐助だ。佐助のほうが酷い怪我だ。
目が、目が駄目になるかも知れない。
あんな色の目なんて見たことがない。
血だって流れている。目から血なんて潰されない限り流れないものだと思っていた。
けれど今眼尻から流れ続ける赤い涙は何だ?
血以外考えられない。
早く誰か手当を。
叫びたいのに声が出ない。
指示を出したいのに体を抑えつけられていて動けない。
どんどん離されていく。
佐助。
その目がずっとこっちを見ている。
何故目を閉じない?
焦点は既に合っているのかどうかも怪しい。
その目は本当に俺を映しているのか?
水面の様に、無機質なその目を止めてくれ。
今その目に映している俺を、最後にするな。
「………!!!」
声にならない悲鳴は、佐助に届いたのか。
その時この目に映した佐助の顔は、血に濡れた満身創痍の笑顔だった。
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こんな別れ方したらそりゃ幸村だって心配します。
でも目が利かなくなる瞬間に、佐助が目に焼き付けようとするものは幸村なんじゃないかと…。