魂の底にまで刻みつけた、あの鮮烈な炎の姿を模して。今記憶のままに槍を振るう。
時折視界を掠める赤は、翻るほど長い赤鉢巻。
一緒に絡んで踊るのは長く伸ばした後ろ髪の一房。
見飽きるほどに長く追い続けた姿だから、こんな些細な特徴など息をするより容易く真似ることができる。
槍をぎりりと力強く握る仕草だとか、清廉なまでにまっすぐと大地へ立つ背だとか、雄々しく歪めた口元の不敵な笑みも、全部。
自分でもあきれるほど上手く、真似出来る。
「相対したからには誠心誠意お相手仕る…」
馬鹿正直な言葉も、深く響く声も。
「いざ、尋常に勝負!!」
こんな風に高らかに響く声も。
そして、振るう技の動きも全て。
「せいやっ!!」
気合いを込めて槍を突き出し、今度は腕を軋ませながら力任せに横に薙ぐ。
すると、槍を伝って確かな手ごたえが返ってくる。
絶命を確認するまでもなく相手の生死が分かるのは、あの炎の感覚では無く、ただの忍としての勘。それが伝えてくるのは、倒した人数とまだ残っている生者の数。
今倒したのは丁度十人目で、生きている人間の数は、自分を除けばただ一人。
退路であったはずの道から僅かに逸れたところの岩陰で、今の戦いの一部始終を見ていた人物。
あれは殺さない。
あれは今見たことを必ず誰かに話すだろうから。
赤鉢巻と朱塗りの二槍、ある程度錯乱していても、この二つの特徴くらいは覚えていられるはずだ。
例えどちらかが欠けたとしても、呆れるほどたくさんばら撒いてきた噂と目撃情報が、勝手に事の次第をひとつの結末へ導いてくれる。
それを聞いた徳川は、一体どんな反応を示すのだろうか。
今だってこうやって人を放って探らせるくらいなのだから、余程恐ろしいのだろう。
真田幸村という男のことが。
それが分かるから、今こうやってあの鮮烈な赤の象徴、真田幸村の姿を模しての行動を止めないのだ。
死んだ?
それとも生きている?
本当に死んだのか?
確かに死んだはずだ。
それなのに何故かその姿は途絶えない。
実は生きているのか?
しかしあの傷では。
考えれば考えるほど奥へと回ってゆくその思考の苦悩が手に取るように分かる。
心身すら止む程の、血泥の疑心暗鬼に囚われればいいのだ。
迫りくる槍の切っ先と紅蓮の侵略、そして大地を揺るがす声。
その全てを思い出して、思い起こして、忘れられないほど深く刻みつけられればいい。

そんな仄暗い願いを、姿を模ることしか出来ない、決して本物ではないこの身で祈った。


























































忍の命なんてものはいつ消えるか分かったもんじゃ無く、こんな乱世と呼ばれるご時世であれば死駒として使われてもおかしくはなかった。
本来なら守られるべき立場にある民ですら生きにくい世の中なのだから、戦いの中に身を置く忍であれば尚更だ。
生きるも死ぬも仕事の内。そうやって割切って考えるのも当たり前で、まともな忍なら誰でも当然のように受け入れていることだった。
もちろん佐助だってそうだ。
その時が来れば死ぬだろうし、運良く生き残ったとしても、そう長くは生きないだろう。
そう思って生きてきた。
けれどまさか、この猿飛佐助が、負け戦で主を死なせ、己だけのうのうと生き延びることになろうとは思ってもみなかった。
今でも…否、この先ずっと、どれだけ経ったとしても死ぬまで思い返し続けるのだろう。
あの人の死の瞬間を。
あの場では頭が真っ白で何も考えられなかったはずなのに、告げられた言葉の一言一句、仕草の一つ、表情の僅かな変化の一つまで、全部焼き付いたように記憶に残っている。
あの人の体から流れ落ちていく赤が目を焼いて、初めて真田幸村の赤を憎いと思い、その流れを止めようとしても無駄で。
目算でどれほどの傷か、致命傷か否かを計れる忍の目を潰したくなるほど憎み、殺す手段しか持たぬ自分の朱染めの手を呪った。
それでも何かしなければ平静を保てず、無駄と知りつつ止血した。
そして死にかけている当の本人は、本当に死にかけているのかと疑いたくなるような笑みを浮かべつつ、ぽつりぽつりと佐助へ話しかけてくる。
「やるだけやったが、どうだろうな」
そこで一つ苦しげに息をついて、また話しだす。
「お館様は褒めて下さるだろうか」
碌に見えなくなっているであろう目で空を見上げて、あの人は嬉しげに微笑んだ。
「あと一歩だったというのに…。まぁこれも天命か、仕方がない」
初めの声は悔しげに、けれど最後は満足げに生を諦めた言葉を口にした。
「お前より先に逝くとは思っておらなんだが…」
もうぼんやりとしか見えていないはずの目が、そこで真っ直ぐに佐助の目を射抜いて。
「佐助、この首はお前にやろう」
そう言った。
「他の誰にも渡すな」「お前なら出来るだろう」「徳川にはくれてやるなよ」
なんて続けられた言葉を聞くたびに、じわりじわりと視界が歪んでいって、溢れて散った水滴は地面へと吸われて消えた。
佐助も何か言葉を返したいのに、出てくるのは「旦那」なんていう声にすらならない嗚咽めいた呼称のみ。
誰よりも生きていて欲しいはずの人の、首を貰うことになってしまった。
これほど名のある武人の首を、敵方へ渡すことなどあってはならないことだとは分かっていた。
しかし、そうだと理解はしていても、首と胴を別つ手順を踏まねばならぬことと離しては考えられない。
体ごと運ぶのは、如何に佐助と言えど不可能な話だ。圧倒的な人数を誇る徳川の手から、大人の男を一人背負ったまま逃れることなど出来る訳がない。
ということは、この人の首へ刃を当てるのは。
「佐助」
呼ばれて体が硬直した。
「佐助」
もう一度呼ばれて、体が震えた。
今はまだ、こんな風にちゃんと名を呼べるほど生きているのに。今伝えられたのは『首をやる』という死と直結した言葉。
それに「否」と返す選択肢は無く、尚且つその首を守れという任務を与えられてしまったからには、何としてもやり通さなければいけない。
それならば、猿飛佐助の全てを持って、それを実行しなければいけない。
『死なないで』という不可能な願いを消し去り、現実を見るのだ。
どこか遠くへ逃れ、誰にも見つからない場所へ隠し、出来うる限り手厚く葬って、春には爛漫の花が咲き誇る場所を探して弔おう。
そしてそう、すべてをちゃんとやり遂げたら、その時は。
この人の後を。
仄暗くもどこか甘美なその選択肢が、不意に頭を過ぎった瞬間。
思考を遮るように、か細く消えそうな声が聞こえた。
「あとはそう、佐助」
ひゅうひゅうと掠れた息遣いと一緒に紡がれたその声。
今にも消えそうなのに、なぜかまっすぐに通って聞こえた。
それでも命が終わりかけているのだと分かった。
纏まらない思考のままに必死に耳を澄まし、乱れそうになる感情を凪ぎ、邪魔を払うように息すら消した。
そしてあの人は、こう言ったのだ。

『好きに、生きろ』

それが、あの馬鹿主の最期の言葉だった。













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(09.5.7)