夜が更けたはずの空が、赤い。
今目の前に広がる光景は何だろうか。
窓の外を彩る紅蓮の光。
朝日とも違う、昼の陽光とも違う、黄昏の空に少しだけ近い、その赤。
「幸村…?」
咄嗟に呟いたその名が間違っていたことに、後になって気付いた。





















■残影
(26話の後の元親)























元親がその場へ駆けつけた瞬間、それは既に矢のような細さの火の塊でしかなく。
「これは…」
一体何だ。
咄嗟に理解が追い付かず、思ったままに口に上らせようとした問いが途中で途切れた。
視覚で捉えた姿では分からなかったが、それ以外の感覚で捉えられた気配には覚えがあったからだ。
こんなか細い光源となった状態でも、ぴりぴりと皮膚を刺すような覇気と突き刺すような闘志。閃く炎の赤を嫌というほど目に焼きつけられた、あのじゃじゃ馬。
「おまえ、…炎凰」
彼の優美な番の槍は、こんなに小さくなってしまっている。
幸村が何度も口にしていたその名を呟いてみるが、幸村に答えて返すようにこれは炎を揺らめかせたりはしなかった。
ただ、ずっと燃えているだけ。
常なら刃に炎を躍らせ翼のように紅蓮を翻しているはずが、今は柄まで炎に包まれ既に原形すら分からないほどまで朽ちてしまっている。
「何で」
お前の主はどうしたんだ。
一番初めに思い浮かぶはずの問いは、既に頭の中で答えが出ていたせいで無意識のうちに打ち消していた。
あの炎を見た瞬間からもう確信していたはずだ。
予感だって、既にあの二人が背を向けた時点であったはずだ。

真田幸村は、消えた。

去ったと考えていいのか、それとも消えたと考えればいいのか。
あの時目にしたように一瞬で、きっとこの場から姿を消したのだろう。
「主のあとを追うのかい」
もはや拳一つ分ほどの大きさでしかなくなってしまった忠義者の二槍が、煌々と炎を吐きだしながら確実にその身を削っている。
真田幸村の手でこの槍が自由自在に舞っていた様を見た後なら分かる。元親の武器庫で、ずっと眠っていたことの意味が。そして今、こうやって消えていく意味も。
「妬けるね」
己の周りに集った者たちも、勝るとも劣らずの忠義者ばかりだと知ってはいるが、こうも一途に、そして激しくたった一人のために存在するものがあることが素直に羨ましい。
「主そっくりだ」
ついさっきまでの真田幸村と、おぼろげに記憶している生前の彼とを思い浮かべて笑えば、少しだけ炎凰の光が強くなった。
そしてそのまま光が大きくなり―――。
最後の最後、小指ほどの大きさにまで小さくなった炎は光の強さを限界まで増して、花火でも咲かせるようにパッと火花を散らした。
「っ!!」
あまりの眩しさに息をのむ。
瞬間的に目を焼いた光の残像はなかなか消えないが、それでもこの炎の最後は目を閉じずに見送れた。
徐々に視力が戻ってくる。
「………。」
やはり、その場にはもう炎凰の姿は無かった。
炎が消えたせいか、闇がぐっと深くなる。
「あーあ、消えちまったか…」
僅かに惜しむ気持ちも込めて、散った火花が溶け消えた虚空へと呟くと、今度は背後で鳥の羽ばたきが聞こえた。
元親の愛鳥であるオウムの羽ばたきにしては音が大きく重々しい。
第一この闇の中を、あのオウムが羽ばたくのは無理だ。
ではこの音の正体は一体何だと視線を巡らせると。
「…やっぱり何も無え」
予感はしていたが、やはり背後に鳥なんていなかった。
ただ異様に深い闇が広がっているだけで、生き物の気配は全くと言っていいほどしない。
羽ばたきが聞こえた時点でも生き物の気配はしなかったし、羽ばたきの音は聞こえても、空気の揺れは感じられなかった。
では何故音が聞こえたのか。
答えは足元にあった。
「…夜の闇すら到底及ばぬほどの」
いつか思い浮かべた深すぎる闇の色の例えを口にして、地面に転がるそれへと手を伸ばした。
強い熱に晒されたのか、表面が少し歪んでしまっているそれ。未だに熱く、素手で持つのが少し辛い。
表面にこびりついた赤茶の焦げ跡は、きっと血だ。
熱によって形が歪むほどにに溶けているというのに、いくつもの傷が走っていることが見て取れる。これをつけていた男が潜り抜けていた修羅場は一体どれほどのものだったのだろうか。
「やっぱりというか、何というか…」
どうにも上手く言い表す言葉が出てこず云いよどむ。
無造作に転がっていたのは鉢金だった。
間違いなくあの忍が、真田幸村の忍が身に着けていたものだ。
どうしてこれだけが残っているのか。
…どうしてこれだけしか残っていないのか。
「考えるまでも無え」
己の存在丸ごとを懸けてしまえるようなしまえるような主に仕えていたのは、あの忍も一緒だ。
ここへ来る前に目にしたあの炎は、炎凰が己を消し去るためだけではなく、あの闇色の忍を消し去るためのものでもあったのだろう。
だからきっと、あの忍は。
「…佐平次?」
呼びかけても、もちろん声は返ってこない。
未だに律儀にこの偽名を呼び続けてやっているというのに、薄情な奴だ。
…薄情な奴だけれど、良い奴だった。
だから。
「こいつは炎にくべてやるよ」
短い間ではあったけれど、元親の下で働いた仲間だった。
けれど、この鉢金は海へは流さない。
あの忍の存在を示すもの全て、真田幸村を思わせる炎で送ってやろう。

だからどうか、あの世で再会させてやってくれ。

呟いた祈りは、闇に溶けて消えていった。





















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おまけだけど、たまには真面目なのも一本。
元親はいい人だと思う。
(10.03.07)