「あーづーいー…」
「そりゃ俺の台詞だっての…離れてくんない?あっついんだけどホントに」
「お前の体は冷たくて気持ちいいのだ…」
「はいはーい理由になってませんよ離れてー」
「いーやーだー」
「暑いんだって…」
「こっちは涼しい」
「あんた喧嘩売ってんの…?」
「暑い…」
「俺の話聞いてる?」
「聞いていない」
「聞けって!」
「これくらい我慢しろ」
「普通に考えておかしいだろそれ?!」
「んー」
「おーい」
「ひんやりする…」
「俺はじりじりする…」
胸元には見慣れた茶髪。
背には桁外れの腕力を秘めた腕が二本。
暑いから。
その一言で抱きつかれて押し倒され、それから既に四半刻。
佐助が幾ら喚こうが宥めすかそうが幸村は一向に離れる気配がない。
帰ってくるのは「嫌だ」という簡潔な答えと、「暑い」と会話にならない答えだけだ。
その回答にげっそりとした声で答えつつ、既に抵抗は諦めている。
実力行使に出れば余計に体温は上昇するし、幸村相手に力勝負など挑むだけ無駄だ。
せっかく冷やした己の体に、じりじりと熱が移ってくるのを嫌々ながら受け入れる。
「お前は何故こんなに冷たいのだ?」
「えー?ああ…そりゃ忍だからでしょ」
「…?忍は皆冷たいのか?」
「まぁ大抵はね」
「ふむ…なるほど」
確かに佐助は常人と比べて体温は低い方だが、冷たいという程低くはない。
忍隊の連中にも暑苦しい奴やらむさ苦しい奴やら妙に涼しげな奴やら色々な連中がいる。
別に忍だから冷たいということは決して無いのだ。
それに今佐助がひんやりするほど冷たいのは、暑さが苦手な己の身を理解した上で水浴びしてわざわざ体温を下げてきたのだ。それなのに、コレだ。
回答がいい加減なものになるのも理解してほしいというものだった。
ただでさえ暑い中(しかも原因は主!)無駄に口を開きたくはない。
幸村はこういう他愛のない会話については適当にごまかしてもとやかく言わないし、問いかけだって思いついたまま口に出しただけだろう。
そう思って適当に流した言葉だったのに。
幸村はいつも人の予想の斜め上を行く発言を投下する。
それも爆撃並の威力のものを。
「ではもう一人呼ぶか」
は?
「暑さもやわらぐやも知れぬ」
え?
「誰にするか…」
えぇっ?!ちょ
「一番冷たいのは誰だと思う?」
えっ、う…ええぇっ?!
頭の中で、主に抱きつかれる二人の忍の図が描かれる。
しかも片方は自分。
「……ヒッ」
のどが引き攣った。
「佐助?」
「くの一がいいです」
「は?」
「絶対くの一!」
「冷たいのか?」
「アホかあんたはっ!何が楽しくて野郎同士で密着しにゃならんのよ?!暑苦しい…いやむさ苦しいっ!!そんなの耐えらんない!!俺様は絶対嫌!!女の子がいい―――ッ!!」
拳を握って力説する佐助に向って、幸村の鉄拳が唸る。
「アホはお前だこの破廉恥忍がぁ!!」
「ぐはっ…」
景気良く顎にヒットした。
冗談抜きで痛い。
本当に痛い。
「真剣な表情で何を言うかと思えば…言うに事欠いて…っっ!!」
「痛ってぇっ!!あんた殴るならせめて離してからにしろっての!衝撃殺す事も出来無いだろーが!!」
「元はお前の発言が原因だ!」
「その発言の原因はあんただ!!」
「その原因の原因はお前の発言が原因だ!!!」
「おれの発言に関してはあんたが原因だ!!!!」
「その原因の原因の原因のげん…??〜〜〜〜ああまどろっこしい!!意味が分らぬわ!!」
「とにかくあっついのにあんたがくっついてくるのが悪いんでしょーがっ!!」
「お前は冷たくて気持ち良いのだ!!」
「理由になって無ぇよ!!」
「とりあえず暑い!!」
「だからそれはこっちの台詞!!」
「もういいっ怒鳴ると体温が上がる…佐助、静かにしろ…!!」
「〜〜〜〜〜っあんたな…誰が怒鳴らせてると思ってんだよ」
「煩い…」
幸村はそう言ってぐったりへたり込んだ。
どうやら言い合いのせいで更に暑くなったらしい。
「あーもーっ!!!とりあえずもう一人呼ぶのは却下ね!」
「何故だ…」
「駄目。絶対駄目。断固拒否。そんなことになったら俺様もう世を果敢なんで死んじゃうからホント…」
佐助はさめざめと泣きまねをして見せた。
説明しなくても男ならこれくらい分かってほしいものである。
「…良く分からんが、とりあえず諦めてやろう」
「当たり前でしょ…」
「その代わりお前はもう少し我慢しろよ」
「うげ」
「忍耐忍耐。忍が耐えると書いて忍耐だぞ佐助」
「え…それってそんな由来の言葉だったっけ?」
違う。
第三者がいたらそう答えてくれただろう。
「うむ。そうだ
しかし幸村は言いきった。
確信犯なのか天然なのかは不明だ。
「へーそうなんだ…。」
そして佐助は信じた。
普段頭がキレる癖に、変なところで馬鹿だ。
「なんつーか世の中の忍の皆さんに優しくない言葉だねぇ…」
幸村の言ったとおりの言葉だと、確かに全国の忍の皆さんに優しくない。
本当は耐え忍ぶと書いて“忍耐”と言ってほしいところだった。
しかし訂正をいれてくれる親切な第三者はここにはいない。
いつか恥をかくかも知れないけれど、幸村の言ったことが佐助の真実なのでそれもありなのかもしれない。
佐助は特に深く考えることなく“忍耐”を嫌な言葉という認識で処理すると、適当に話題を変えた。
「あーそういや西瓜あるよ」
「誠か!」
「うん。忍隊の連中が馬鹿みたいに山駆けずり回って、一番冷たい湧水が出るところ探し当てたらしいんだけど」
「ほう!流石は真田忍隊!いつ如何なる時も精進を忘れぬとは見上げた根性だ!」
あー…まぁあんたに良く冷えた西瓜食わせたかったっていう涙ぐましい一途な思いが動力源なんだけど…
「ん?何か言ったか?」
「いんや別に?…まぁそこに西瓜がぶっ込んであるらしくて」
「ほほう!」
佐助は眉間にしわを寄せて渋い顔を作った。
何かまた面倒なことになっているらしい。
「佐助?」
「ん…うん。実はそこって結構山奥の物凄いとこにあってさ」
「うむ」
「ぶっちゃけ普通の人間が行くことなんて出来ないような、もの凄い渓谷みないなとこな訳よ」
「ほほう…」
「そこから冷えた西瓜をそのままの冷たさで持ってくることができるような人間なんて限られててねぇ」
「そうなのか」
「そうなのよ。…で、何人か選出しようとしたんだけど、任務に各地に飛ばしててさ」
「むっ…それではせっかくの西瓜が食えぬではないか!」
「あーはいはい最後まで聞けって」
「う…うむ」
「だから、俺様が取りに行くことになったの」
「そうか!」
「そうか…って、あんたそれだけ?!」
「流石は忍の中の忍!!」
「はっはっは全然嬉しくねー!西瓜ごときのために何でんな重労働せにゃならんの!」
唯でさえ暑い中、そんな険しい場所へ冷えた西瓜を超速で取りに行って帰ってくる。
ふざけるな。旦那に冷えた西瓜を食わせて差し上げたい?…んなもん井戸で冷やしとけ!
胸中で叫びまくった。
やるにしても限度があるだろう。せめてもっと近くの湧水とか。
なんでそんなとこに西瓜もっていくの…!?お前ら真田忍隊って言ったらこの戦乱の世にそれなりに名を知らしめた結構な精鋭部隊よ?!分かってる?それが何で西瓜のためにこんな…!!
部下の忍に鉄拳制裁を加えて説教したが、冷やされたままの西瓜は無くならない。
そしてそのまま置いておくのは勿体ない。
その上主は暑がっている。
それならば、おのずと選ぶべき選択肢は限られてくる訳で。
「それで西瓜とりに行こうとしてる俺様も相当頭沸いてるわ…」
やっぱりこういうところは忍隊の連中をとやかく言えないのではないのか。
あまり旦那を甘やかすな!と説教しても「はぁ…」と何とも言えない目で見られるのはそのせいなのだろうか。しかし厳しくするべきところはきちんと正しているし、佐助個人で賄える範囲のものしかこの主の奔放ぶりを許した覚えはない。それなら別に良いのじゃないだろうか。
胸中で自問自答していると、何故か幸村がずりずりと体をずらし始めた。
「何やってんのあんた…」
「ここは温まってきたからまだ冷たいところを探しておる」
「…あんた猫かよ」
虎だ
「………………………………………………………………………。」
言い返せない。
確かに虎だ。この人は虎だ。
でも何か違わねぇ?
胸の内に浮かんだ疑問は熱に掻き消された。
とにかく暑い。めちゃくちゃ暑い。
話して紛らわそうとしていた熱もそろそろ限界だ。
体をずらされたことで、僅かに残っていた冷気までも余すことなく幸村に奪われていっている。
そろそろ額に汗が浮かびそうだ。
「旦那…もう猫でも虎でもいいから離れて…、マジで暑い。もう無理」
「軟弱者め。此れしき耐えて見せよ」
「理不尽な物言いに怒る気力もねーよ…。旦那暑い。頼むから離れて…」
「まだお前の方が冷たい」
「あんたより体温高くなることなんて毒含んだ時くらいしかねぇって…」
「……」
ぐったりと虚ろに呟けば、何故か背に回された腕に力が込められた。
密着する面積が増えて熱さが割増する。
「ぐえ…旦那暑い、苦しい…!暑苦しい?」
馬鹿力で締めあげられれば苦しい。
暑いのと相俟って暑苦しい。
別の言葉になっている気がしないでもないが、もうどうでもいい。
「旦那離れてって…」
「嫌だ」
「嫌だって…あんたなぁ、そろそろ我儘はやめて下さい」
「我儘では無い」
「我儘以外の何ものでも無いでしょこれは…」
「涼んでいるだけだ」
「涼み方間違ってるから」
「あと少し」
「無理」
「聞こえぬ」
「無・理!」
「聞こえぬ」
「……っ」
頭の中でぷちんと何かが切れる音がした。
別に怒ってるわけじゃない。
暑さで焼き切れただけだ。そうに違いない。
「ふふふふ……」
「なんだ?不気味に笑いおって…」
「不気味上等…!!!もうあんたいい加減にしろっ!!!ここまで耐えたんだからもう満足しろよこの我儘主!餓鬼!お子様!!戦馬鹿!!直情馬鹿!!給料上げて!!」
「どさくさに紛れて昇給お願いするのやめろ」
「煩せぇっ!!こんなの特別手当でも出してもらわないと割に合わねーよ!!」
「金を払ってこんなことをしたらあっという間にいかがわしくなるだろうが」
「だからって無償は嫌だーッ!!」
「と言われてもな」
「もう耐えらんない!!もう無理!!こんなのやってられっか!!」
「ふむ」
「暑いー!もう駄目溶ける!俺様溶ける!!暑いっ!!あついー!!!」
「佐助」
「何だよ暑いんだよもうっ」
「好きだぞ」
「ああ?好きって何がっ?!」
「お前が」
「あーはいはい俺様ね、流石俺様!!」
「そうか」
「ってか暑、…………………ぇ」
「……」
「……」
「……」
「……」


いきなり静かになった。
いやに外の蝉の鳴き声が大きく聞こえるし、緩く渦巻いている熱気を孕んだ風は目で見えるようだ。
遠くの喧騒も大気の緩急にあわせて大なり小なり木霊している。
さっきまで耳に入らなかった音が、今は一気に聞こえだした。


「……」
「……」
「……」
「……」
「…暑い」
先に口を開いたのは幸村だった。
さっきからどれだけ佐助が喚いても離れなかった癖に、体を放してぱたぱたと胸元に風を送っている。
佐助も何か言おうと口を開き、少し逡巡して、結局開いた口をまた閉じて幸村を見た。
額に浮いた汗を腕で拭って、僅かに眉をしかめている姿はいつものもので、どさくさに紛れて爆弾発言をかましてくれた癖してどこ吹く風だ。
「佐助、あつい」
佐助の方を見ずに言われた言葉にぱちりと瞬くと、声に遅れて幸村がこちらへ視線を寄こす。
妙に楽しげな表情が小憎らしい。
「お前、あついだろう」
「さっきからそう言ってんでしょ。誰かさんのせいで俺様汗だく!」
軽口で返せば楽しげな笑みが一層深まった。
何がそんなにおもしろいのだろうか。
「動くなよ」
そう言われて再度近づいてくる幸村の体を、嫌そうに受け止めれば。
「……っ!!」
「お前、あついだろう」
同じ言葉を言われて、今度はその意味に気付く。
汗ばむ体はべたついて気持ち悪いが、それよりも。
触れる体温の違いにぎょっとした。

幸村より、己の体のほうが熱い。

「…あついって、“暑い”じゃなくて“熱い”かよっ」
悔しげに呟けば、胸元でくっくっくっ…と控えめな笑い声が響く。
やられた、と顔を顰めれば体がすぐに離された。
そしてにやりと笑われて、愉悦の滲んだ声で言葉が続けられる。
「暑いな、佐助?」
「この野郎…」
苦笑いを浮かべながら毒づくが迫力はない。
完全にこちらの負けだ。
言い訳のしようの無いくらい完璧に負けた。
悔しいったらない。言葉遊びや戯れ程度だと分かっていたのに、どうして動揺した俺。
他の制御は間に合ったのにどうして跳ね上がった体温。
心の底から悔しい。
佐助は敗北感に打ちひしがれつつも、最後の悪あがきとして持てる知識と先見の才を駆使して種明かしのために口を開いた。
「どーせ才蔵の入れ知恵でしょ」
「何だ、ばれておったのか」
「ばれるも何も、こんな馬鹿げたことをあんたに教えるような命知らずはあいつくらいしか居やしませんよ」
「効果てきめんと聞いておったのだが…残念だ。顔色一つ変わらぬとは」
「あんまり俺を嘗めて貰っちゃ困るよ旦那?あいつの事だから“動悸息切れ何より赤面!真田忍隊に使えば効果てきめん無敵の呪文!難敵佐助もこれで一撃!”とか言ってあんたを唆したんでしょ」
「い、一言一句違わぬとは…、お前まさか見ておったのか…?!」
「見てたらその場で滅殺してるわっ!」
「なるほど…確かにそうだろうな。予想のみでここまで当ててしまうとは…!!流石忍の中の忍!」
「ぐわーっ!!畜生全然嬉しくねぇっ!」
「まぁそう怒るな。どうせお前には効かなんだのだ。少し体温が上がったくらいであろう」
「人の傷をつついて楽しいかあんたはっ」
「好きだぞ佐助?」
「………っ」
見事に黙らされてしまい、佐助は髪をガシガシと掻き毟った。
もうやっていられない。
「西瓜取りに行ってきます!!」
「むぉっ」
これ以上調子に乗られる前にとんずらここうと立ち上がれば、勢いに押されて幸村がのけぞった。
さっきまでの楽しげな笑みが崩れて気分が良い。
「いきなり立つな!びっくりするだろう!」
「へいへいそりゃ悪ーござんしたね」
「反省が感じられぬぞ!」
「反省も何も、大好きな真田源二郎幸村様のためにこの糞暑い中西瓜とりに行くんだから俺様ってばホント忠義者〜」
「ぐぬぬ…」
「それじゃ行ってきますよ旦那」
「くそう…やっぱり口では勝てぬ」
「俺様に口で勝ちたけりゃもっと感情込めて“好きだ”って言える練習でもしてなさい」
「喧しいわ!少しは動揺しておった癖に!」
「朴念仁のあんたからあんなびっくり発言が飛び出せばだれでも動揺するって」
「負け惜しみだ!!」
確かに負け惜しみなのだが、それをそうと認めるのは悔しい。
さっき感じた敗北感は並じゃないのだ。
佐助はへらへらといつのものように笑ってぎゃいぎゃい騒いでいる幸村に近づくと、すぐ横に膝を付いた。
「何だ!」
鋭い問いかけが最後まで言い終わるのを待って、素早くその身を抱きよせた。
思い知ればいい。
そんな思いを込めて、耳元で囁く。

「好きだよ、旦那」

「……ッ!!!!!!!」
そのままガチンと固まってしまった幸村を尻目に、佐助はすばやく姿を消した。
さっきの幸村のように、ただ言ってみただけの“好き”より何十倍も威力は大きいだろう。
耳元で掠れた声で言ってやったのも威力を増大させるためだ。本場の声色を実感すればいい。
「棒読みとは比べ物にならないでしょ」
外の木陰から小声で呟けば、傍にいた鳥が数羽飛び去った。
幸村に場所が割れただろうか。
そんな懸念を抱いて、部屋の幸村を見やれば未だに固まっている。
「あらら」
解凍にかなりの時間を要する気がするほどの固まりっぷりだ。
これでは反応を見るために留まった意味がない。
ちらりと視線を動かし、風の向きを読むと素早く印を結んだ。
力が作用し、僅かに風が巻き起こる。
こちらから幸村の方に流れた風に向かって音をのせて、そのまま声にして幸村に届けた。




『 あ つ い ね ? 旦 那 』




これでもう大丈夫。
にやりと笑うと、佐助はその場を後にした。













ほんの数拍のち、幸村の人とは思えぬほどの叫び声を背に受けて、佐助は一人で声を上げて笑った。
帰ったらまた機嫌が悪くなっているかもしれないけれど、その時は冷えに冷えた西瓜が上機嫌に戻してくれる。
そう思って、うだるような暑さの野を持前の俊足で駆けた。
































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 会話文だけでテンポよく進むのを目指して、見事挫折。
 またいつかリベンジしてやります。

 この後日、幸村は猫とか犬とか相手に「好きだ」を練習します。
 誰もいないところでこっそりやってるつもりでも、いろんな所に潜んでる忍隊の皆さんにとっては堪ったもんじゃありません。
 そして「長〜〜〜!!」と泣きつきます。
 佐助爆笑。
 こんなことでも負けず嫌いな幸村って燃えませんか。