去年は確かチロルチョコを一緒に食べた。
あの人のことだから、常備してあるお菓子の一つがたまたまチョコレートだったのだと、そしてそれを珍しく分けてくれたのがたまたま2月14日だったのだと、その時はそうやって自分を納得させた。
けれど思い返してみれば、一昨年も何かチョコめいたものを一緒に食べた気がする。
そうだ、ポッキーだ。
晩御飯前にお菓子なんて食べているから注意すれば、一本口に無理やり差し込んできて「共犯だ」なんて言いやがったのだ。
悪戯が成功したとでも言いたげ表情に気を取られて怒りが霧散してしまい、その時は苦笑してやりとりを終わらせたと思う。でも良く考えればあれもチョコ菓子じゃないか。
その前の年はどうだっただろう。
…特に何も無かったような?
いや、そうだ。朝ごはん用に焚いておいたはずの米が何故か焚き上がっておらず、慌てて炊飯器を確かめればタイマーが入っていなかった。洋食に変更しようにもパンの買い置きがない。
仕方なく朝はコンビニで済まそうと考えた時に、あの人が「パンではないが、同じ炭水化物だ」とか言ってマフィンを差し出してきたのだ。
昨日帰りに食べようと買ったとかで、それを食べなかったから朝ごはんの代わりにしようと。
そして珍しくその日はコーヒーなんて淹れて、二人でマフィンを齧った。
…それがチョコチップ入りだった。2月14日の朝ごはんだ。
これを偶然と捉えていいのだろうか?
そんな風に一人悩みながら、今年。
いったい今年はどんな風にチョコが紛れてくるのだと多少身構えていた。
しかし、だ。



「はーいそれじゃ皆さん各自始めて下さいねー。猿飛君は突飛な行動とった子見つけたら注意してあげて」
「へーい…」
先生の声に力無く返すと、気落ちした様子の佐助を気にする様子もなく皆一様に作業に取り掛かり始めた。
華やかな柄のエプロンを身に付けた女子生徒が視界を行き来している。制服の上に可愛らしいエプロンを身に付けて動く様は目に楽しい光景だ。
…そこに己が入っていなければ。
何の間違いか、どこかから少々誇張された感じの「佐助=料理上手」という情報を聞いた家庭科部の顧問に助っ人としてひっぱり込まれ、逃げようとしたところを主に「どうぞお使い下さい」と売られ。
今佐助は調理室でチョコレート作りを手伝わされている。
「おっとそこ…っ湯銭ってのは直接湯にチョコをぶち込むんじゃなくてっ!!!」
鍋に投下されそうになった憐れなチョコを救出しつつ、鍋を覗けば中身はまだ湯にすらなり切れていない。チョコを水洗いしてどうする。
「ちゃんと本読んで!ほら、ここに写真載ってるだろ?」
指をさして雑誌を突き付けると、その女子生徒は「ごめんなさい…」と恐縮した様子でレシピと睨めっこを始めた。
最近の子は本気で恐い。
米を洗剤で洗い始めたあの調理実習の記憶は早々消せるものではないため、嫌々参加させられているこの状況でも手を抜くことは出来なかった。…主にこの完成品を口にする人間の胃袋のために。
どうせ報酬がわりに帰りにはチョコを山ほど持たされることになるのだ。そしてそれのほとんどは主の腹に消える。それが狙いで佐助をこの場に差し出したのを知っているからこそやる気がなくなるのだ。
「ってコラ!卵泡立てる前はボウルをちゃんと拭く!!じゃねえと泡立たなくなっちまうから!」
何で学校で手間の掛かるケーキなんか焼くんだ、と内心愚痴りつつも割られ掛けていた卵を救出する。
反対の手で布きんを差し出しつつ、他も突飛なことをやっていないかと目を走らせれば、向こうの方で先生が「湯銭はお湯にチョコを入れるわけじゃありません!」なんて注意する姿が目に入った。
それくらいの予備知識は欲しいと思ったが、わざわざ家庭科部の元へ教えを請いに来るぐらいなのだから、この調理室に集まった面々の半分はそう言った料理の知識に乏しい人間なのだろう。
早速頭が痛くなってくるのを覚えつつ、佐助は更に注意深く周囲に目を配った。



そして数時間後。
周囲で良い匂いが漂いはじめ、佐助は疲労困憊の様子で窓辺に凭れかかっていた。
甘いものが嫌いという訳ではないが、恐怖体験と言っても過言ではないほどの苦労の末の美味しそうな匂いだと思うと、この匂いも嗅ぎたくなくなる。
そんな思いで窓を開ければ匂いに釣られたのか、それともただの偶然かは知らないが、運動部の大軍と目がった。
その中の一人が声をかけてくる。
「えっ…お前家庭科部だったの?!」
「違うっつの」
おこぼれに与ろうと寄ってくるその男をしっしと払いながらそう告げるが、その男の歩みは止まらない。
「んじゃ何で調理室にいんの?ってか何かくれよ」
「俺はただの助っ人。お前も野郎なんかに菓子をねだるんじゃねえよ。今日バレンタインですけどー?寂しいねぇ」
「煩えなぁ、腹減ってりゃ野郎とかもうどうでもいいから。もー死にそう!この匂い新手の凶器?!みたいな」
「お前一人食わしたら後ろの人たちどうすんの。めちゃくちゃこっち見てるけど」
「へ?!」
背後を指さしてやれば、運動部の大軍は何故か動かずそこにとどまっていた。
良い具合に飢えた目が本気で怖い。
「ちょっと先輩!休憩行くんじゃなかったんですか!」
「お前だけ抜け駆けはずるいだろうがっ!俺らの分も貰って来い!」
「えぇ?!んな無茶な!」
一応声を抑えてはいるようだが、もともと耳の良い佐助には筒抜けだ。
無茶な命令を押し付けられている友人の姿に、いつも主に振り回されている己の姿を思わず重ね、佐助はナイロン袋を手に取った。
そしてその中に無造作にいくつかクッキーを放り込んでいく。
型抜きクッキー作ろうとした生徒に、時間が足りないから、ということで余った生地を佐助が貰い、筒状に丸めた後輪切りにして焼いたものだ。これはもう持ち帰り許可を貰っているから佐助の好きにして良い。
人数分詰め終えると、もう一度窓に近づき友人へ呼びかける。
「おい、これやるからさっさとどっか行けよ」
無造作に放ったナイロン袋を男が慌てて掴み捕り、その場で歓声が上がる。
「生地は女の子のお手製だから喜べー」
嬉々として走り去っていくその背に叫んでやると、もう一度歓声が上がった。
多分休憩場所とやらについた瞬間、今度は争奪戦が始まるのだろう。
何となく予想がついてしまい苦笑を零すと、後ろでは女子生徒達がくすくすという笑い声を漏らしていた。
必死な様子の野郎共が可笑しかったらしい。
それに肩をすくめて返すと、そのまま視線を外へ戻した。
やっと静かになったというのに、慣れた気配が近づいてくるのが分かったからだ。
そして案の定声がかかる。
「佐助!」
ぱたぱたと音を立てて走り寄ってくるのは見慣れた主の姿。
剣道着に首からタオルを引っさげて、足は裸足にサンダルだ。
いつもならまだ道場に籠っている時間だというのに、抜け出してきたのだろうか。
「お疲れさん。…抜け出してきたの?」
「今は休憩中だ!」
真面目な幸村が部活を抜け出すなんてことはなく、今は休憩らしい。
多分この匂いに釣られてやってきたのだろう。
「佐助」
何かくれ、と続けられるのかと思えば、幸村は口をかぱっと開いて動きを止めた。
そのままじーっと佐助を見上げてくる。
口の中に食べ物を放り込めとでも言いたいのだろうか。
「……。」
これならさっきの煩い運動部集団の態度の方がましだった。
なんでこんなに偉そうな態度なんだろうか。
しかし、佐助の体は勝手に動き出し、机の上に置かれていた菓子の一つに手が伸びる。
トリュフなんていう面倒なものを作る、と言いだした女子生徒にお手本を作成すること多数。
見栄えの良いそれらについても持ち帰りの許可をもらっている。
…というか、野郎が丸めたチョコを彼氏に送る女の子なんているのだろうか。
そんな経緯で作られたトリュフを一つつまみ上げ、あーんと無防備に開いている口へ放り込んでやる。
「んまい」
「あ…そう」
むぐむぐと口の中でチョコを溶かしている仕草をぼんやりと眺め、気のない返事を返す。
しかし一粒では満足しなかった幸村が、もう一度口を開いて「もっと」と訴えてくる。
「家帰ったらいくらでも食えると思うんだけど…」
「また部活に戻るのに、これだけじゃ足りない」
「んじゃせめて自分で食えよ」
「手が汚いのだ」
そういってぱっと開いて見せられた掌は、汗に濡れて光っている。
確かのこの手で菓子をつまむのはやめてほしい。
「…ったく」
仕方がなくまたトリュフをつまみあげると、今度は三ついっぺんに放り込んでやる。
満足そうに目を細めて咀嚼する姿を見ていると、動物を餌付けしている気分になってくる。
それは後ろで眺めていた女子生徒達もそうだったようで、羨ましそうな視線を背に感じた。
「みんなも何か食わしてみる?」
振り返りながらそう言ってみれば、黄色い歓声とともに女の子達がお菓子を手に近づいてきた。
やはりというか、なんというか、幸村はもてる。
顔は文句のつけようがないくらいには整っているし、性格も真面目過ぎるほど真面目だ。
多少暑苦しいところもあるが、空回りしている部分は可愛いなんていう風に好意的に受け取られている。
一応佐助のほうももてると言えばもてるが、幸村程ではない。
そんな幸村は、結構な勢いで近づいてきた女の子達に本気で驚き、慌てて後退さった。
そして瞬時に首まで赤くなり、おろおろと視線を彷徨わせる。
「ささささ佐助!」
「なーに逃げてんの。いーじゃんお菓子くれるってさ」
「しし、しかしっ」
「ほらー口開けろってー」
「ばっ…なっ…!!」
ぱくぱくと金魚のように口を動かし、目を白黒させている様子は見ていて面白い。
しかし幸村の方は余裕なんて一切無さそうだ。
「おっ女子にそんなことさせられるかっ!!」
「えー女の子の方がいいでしょ、普通は」
一般的な男の見解を口にしてみると、やはりこの発言は許容範囲外だったようで、もはやお決まりの「破廉恥でござるぅぅぅうぁっ」という絶叫とともに幸村は走り去ってしまった。
物凄い速さで小さくなっていった幸村の背を見送りつつ、佐助はお菓子を上げ損ねた女子生徒達に主に代わって謝罪しておく。
「ごめんねー、あの人女に耐性無くって…」
困ったように苦笑すれば、小さな笑いが返ってきた。
幸村は何に対しても邪気がないため、多少失礼な行動をとっても好意的に解釈されやすいのがいいところだ。
そんな風に笑い合っている頃合いでオーブンのタイマーが時間を告げた。このまま次々焼き上がるのだろう。
またさっきの怒涛の忙しさがやってくるかと思うと頭が痛くなってくるが、幸村の登場によって少し息抜きが出来た。
今一度気合いを入れなおすと、佐助は窓を閉めて調理台の方へと足を向けた。






そして帰宅後、案の定大量に貰ったチョコを晩御飯の後に片付け始めた。
流石に貰い物を全て幸村に食べて貰うのも気が引けるため、そんなに重くないものを少しずつ食べた。
「佐助、これが一番うまい」
そう言って幸村に差し出されるチョコを「勘弁して…」と断り、小さめのクッキーをひとつ齧る。
その時点でかなり苦しい。
可愛らしくラッピングされたチョコ達の詰まった袋の中をのぞいてみれば、明らかに多すぎる量が犇めき合っている。絶対に食べきれない。
「あーもう絶対食えねぇ。…日持ちしないのから食ってかないとやばいな」
幸村にほとんどを食べて貰うとしても、結構な日にちが必要そうだ。
多少苦しくても今数を減らしておかなければ後が苦しい。
そう思って一つの小袋に手を伸ばした瞬間、目の前に何かが差し出された。
「何?」
また幸村の気に入ったチョコでも食べさせられるのかと思った佐助だったが、良く見ればそれは市販されているチョコレートだった。
名前は小枝。
いくら何でもここまで気の抜けたチョコをバレンタインに贈る女の子というのも想像がつかず、首を傾げてしまう。
しかし幸村はそれを数本摘んだまま差し出してくる。
これは食べろということなのだろう。
「俺様腹いっぱいで苦しいんだけど…」
「他はいい、これだけは食え」
断りを口にしようとすれば、そう言って小枝が近付いてくる。
仕方なく佐助は口を開くと、差し出されたそれにぱくりと齧りついた。
チョコレートの甘味が口に広がり、胸のあたりが苦しくなってくる。…間違いなく胸やけだ。
それでも「どーも」と礼を口にして、ぽそぽそとそれを咀嚼する。
そしてそれを嚥下した瞬間、気づいた。
今年もやっぱりチョコを貰ったじゃないか、と。
いくら何でもコンビニとかで売ってるチョコ菓子をバレンタインに贈る女の子はいない。ということは、やはりこれは幸村からということだ。
それでもやっぱり心配で、そっと幸村の様子を窺いながら問いかけるために口を開こうとして、…固まった。
「旦那」
「言うな」
「旦那、顔」
「分かっているから、言わなくて良い…っ」
隠すでもなく潔く前を向いているものの、真っ赤に染まった顔は誤魔化しようもない。

「…あのさ、」

数年前からずっと気のせいだと己に言い聞かせていたその問いを、口にするのは今しかない。
































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 バレンタインテキストです。
 読み返しも誤字脱字確認もなく、一気にわーっと書いたのでおかしいとこ大量にあるかと思いますが、もうこれで。
 幸村が頭ひねってチョコを日常に紛れこませていると可愛いと思います。
 そして佐助は肝心なところで鈍いと良いです。