節分と言えば「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆を撒くというのが通例だ。
何かと暑苦しい行事の多い武田といえど、それは変わらない。
大豆を丁寧に炒り、枡に入れ、それを撒く。
特に変わったことは無い。
そう、大筋は変わらないのだ。
只、大豆を大量に炒り、巨大な枡に入れ、それを鬼に向かって全力で投げつける、といった感じに各々強調しなければならないことがある位で。
普通の行事を少し大げさにやるだけでどうしてこんな物騒な雰囲気を醸し出すのかが最大の疑問ではあるが、こういった行事に一番消極的であるはずの佐助は今回、何故かとても張り切っていた。
理由は簡単。
特別恩賞が出るからだ。
なんの気まぐれか、幸村が「勝ち残った者には賞金を出そう」などと言い出し今に至る。
だからびしばし飛んでくる大量の豆や、殺気を孕んだ視線なども笑って受け流せるし、気にもならない。
「ちっくしょぉぉぉ全然当たらねぇぇぇっ」
「当たり前でしょー」
そこらじゅうで上がる悔しげな声をそんな可愛くない言葉でいなし、すたこらと出口を目指す。
そう、今現在佐助は鬼として逃げている真っ最中だった。
武田軍の中でも随一の忍といわれる実力を惜しむことなく発揮し、雨霰と降り注ぐ豆の銃弾の中をひょいひょい逃げていく。こちとら鉄砲の弾を弾き返すくらいのことはやってのけているのだから、人の腕力で投げつけられた豆など当たるはずも無い。
しかしそれでも鬼という役目は面倒なことこの上ない。
大量に存在する豆撒き隊の中、鬼は僅か二名。
二対大多数というありえない戦力差の中逃げるしか出来ないのだから、そりゃあもう大変だ。
豆をぶつける云々の前に、本物の鬼でも猛然と逃げ出したくなるだろう。
そんな哀れな鬼役は、毎年公平に籤引きで決定されていた。
公平と言えば公平だが、悲しいかな佐助は自他共に認めるほど籤運が悪かった。
そして案の定今年引いた籤には赤い印。
一般兵が鬼では只の的と変わらないからと、鬼の片方は必ず忍隊から選ばれるとは言え、こうも頻繁に鬼の籤を引いてしまうのには流石に気落ちしてしまう。
けれど今年は賞金が出るのだ。
勝利条件は簡単。
豆をぶつけられようが殴られようが、定められた範囲の外まで意識を保ったまま逃げ切れば鬼の勝ち。
鬼の二人ともが逃げ切れば両者に賞金が与えられる。
負けは豆撒き隊の誰かに昏倒させられた時のみ。しかも二人の内どちらかでも場外へ逃げ切れば、賞金山分けという条件で試合を終了できるというのだから、潜み、紛れ、俊敏な動きを得意とする忍にとってはありがたい条件だった。
それに今年は更に条件が良い。
佐助が鬼になるたびに道を阻んでいたあの存在が今回はいないのだ。
忍隊の二番手であり、名の知れた腕利きの忍である霧隠才蔵。
あの男は何の変哲も無い豆を操り、親の敵でもとるような気迫でいっつも佐助を追い掛け回してきていた。
忍隊の長である佐助相手にまともにやり合う事ができる人間なんて、確かに才蔵以外にいない。
その点に関して納得できないこともないが、やはり集中してつけ狙われると面白くはない。
だから才蔵が鬼の籤を引いた時は、佐助が全力で豆をぶつけまくることにしていた。
しかし今回の籤引き。
佐助が鬼の籤を引いたのは良くあることなのでそれは良い。
しかし、鬼の籤はそれだけではなかった。
何の間違いか、忍隊用の籤の中に今回は鬼の籤が二つ入っていたらしく、赤い印を握り締めている人間がもう一人いたのだ。
それを手に握っている者を認識した瞬間、向こうも同時に理解したのか、「あ」と間抜けな声が二つの口から響いた。
そして周囲の人間は一拍の沈黙の後、「ああああああああっ」と絶叫した。
今年の節分豆撒き合戦の鬼。

一人目、猿飛佐助。
二人目、霧隠才蔵。

何の偶然か、鬼となれば一番厄介な人間の筆頭二人が引いてしまったのだ。
そして今現在、互いにとっての厄介な存在を味方にしたことにより、二人は意気揚々と鬼の役目をこなしていた。
一目散に外へ向かって逃げていること関しては問題ない。
しかし、それ以外にも何故か鬼が大量に豆撒き隊の邪魔をしていた。
原因は簡単。
佐助と才蔵の分身たちだ。
本体の力量を反映して無駄に強いその分身たちは、腹の立つことこの上ない仕草で投げつけられる豆をひらりひらりとかわしている。
また別の場所では、同じくその分身たちが物陰に身を潜め、「ちっ…どこへ消えた…!!」と豆撒き隊の一人がきょろきょろし始めたところで、スー…っと音を立てずに戸を開き、鬼のお面を被ったまま予測不能な動きで脅かしたりしている。
豆撒き隊にとっては恐怖以外のなにものでもない。
さらに、その鬼は忍隊に対してが一番酷かった。
長と副長が敵に回ったといえど戦力差は歴然。…という訳で佐助と才蔵に手加減する理由など無い。
武器は豆しか認められていないが体術に関しての取り決めは無い。
つまり、接近戦ではなんの意味も無いのだ。
(お面の下で)良い笑顔を浮かべつつ、鬼二人は部下達を順番に沈め始めた。
一対一に持ち込むほど忍隊の面々も馬鹿ではないため、必ず複数で当たる。
しかしそれでも歯が立たない。
流石に幹部相手には二人も苦戦したが、人数の差を分身で補いがんがん攻めた。
そして豆撒きのために特設されたこの道場の床に、意識を失った忍達が大量に落ちているのだ。
それが余計に豆撒き隊の恐怖を煽った。
「あ…ありえねえっ…!!!」
「怖すぎるっ…!!」
「奴らこそ本物の鬼だ…!!」
口々に弱音を口にする豆撒き隊の面々。
そこへ、二つ名に鬼の名を冠すその人が現れた。
いつもの二槍を枡に持ち替え、片手に豆を握り締めるその姿。
歩くたびに長い鉢巻が翻り、赤揃えの戦装束がかちかちと音を立てる。
そして一吼え。
「ぬぉぉぉぉぉぉおおおおっ」
特設会場を揺るがすようなその大音声により、紅蓮の鬼、真田幸村の参戦を鬼二人が悟ることとなった。
「うっわ旦那出てきた!やばい…こりゃ急がないと…!!」
「あのお方が投げる豆の弾丸は殺傷能力十分だからな…」
投げれば畳に穴が開き、壁にめり込む幸村の豆撒きは本当に危険だ。
当たれば間違いなく負傷する。
本気で次の戦で武器に使ってみればどうかと佐助は思うのだが、見た目がよろしくない為今のところ口にしたことは無い。
しかし、それくらい危険なのだ。
「あ、分身やられた…!しかも全部?!」
「しかしこの距離では追いつかれはしない…!!」
飛ぶように駆ける鬼二人の本体は、身の危険を感じながらも今回の勝利を確信した。
しかし。
「待て待て待て待て待てぇぇぇぃいっ!!!」
『え――――――っ?!』
近くで響いたその雄たけびに、思わず佐助と才蔵の叫びが重なった。
佐助はともかく才蔵のこれは珍しい。
「ちょっ、俺様どっちに驚くべき?!」
「どっちも何も主殿しかありえないだろう今の声は!!」
若干意味の食い違ったやりとりをしつつ、今度は声以外に足音まで聞こえる。
「なんで旦那こんな近くにいるのっ?!」
「ふっふっふ…見つけたぞ!!!」
佐助の問いかけは真横に現れた幸村の声に掻き消された。
『!!』
佐助と才蔵が素早く飛びずさると、今まで立っていた所にありえない音を立てて豆がめり込む。
普通は豆が砕けるはずなのに、幸村が投げたというだけで豆に割れない根性でも宿ったのだろうか。
何にせよ恐ろしいことこの上ない。
「ちょっ!!あんたさっきまで大分遠くにいたじゃないのっ!!」
「壁をぶち抜き距離を短縮したまで!!」
「何それっ?!」
今回のこの豆撒き特設会場は入り組んだ造りとなっている。
確かに壁何枚かをぶち抜けば距離は大幅に縮めれるが。
「それでも俺らの位置なんて特定できる?!」
「それは連携技よ!!」
不敵に笑って投げつけられた豆の弾丸を避けつつ、ちらりと視界を掠めたのは部下の忍。
どうやら自分では敵わないと悟った忍達が結託して幸村をここまで導いたらしい。
『お前ら後で草屋敷の裏な』
低く響いた声は、またも佐助と才蔵で被った。
その後半泣きで脱兎の如く逃げ出す忍達の姿を頭の中から閉め出し、佐助と才蔵は主を前に隙無く構えた。
どっちかって言うと今泣きたいのは二人のほうだ。
今ここで逃げ出すことに異論は無い。
しかし幸村相手ではそれが無事に済むかが分からないのだ。
普段どうしようもなく鈍い癖して戦闘時の察知能力は忍でも舌を巻くほど凄まじく、隠形しても豆の弾丸を数発受ける可能性は否めない。
ならばどちらかが足止めに残るほか無く。
(才蔵、賞金山分け)
(乗った)
目もあわせずそれだけで打ち合わせを終えると、次の瞬間佐助は幸村に向かって飛びかかった。
「む…?!」
即座に反応した幸村は握っていた豆を投げつけ、肉薄されるのを防ぐ。
しかし、確かに当たったと思った豆の弾丸は佐助の身体を突き抜け飛んでゆく。
「何?!」
目を疑った幸村が第二弾を掴んで投げつけようとしたところで、佐助はもう幸村の直ぐ傍へ迫っていた。
そしてその後ろに才蔵の姿は無い。
「ちっ…お前が囮かっ!!」
「囮じゃなくて足止めだよっ!!」
そう返した佐助は、拳を握ると幸村の手足を狙い攻撃を仕掛けた。
「くっ…」
巨大な枡を抱え込んでいる幸村は防戦一方となる。
もともと動きの素早い佐助に手数で敵うわけも無く。
「ちぃっ」
幸村は舌打ちとともに抱え込んでいた枡を投げ捨てた。
接近戦にさえ持ち込めば、恐怖の飛び道具もお荷物でしかなくなるのだ。
「これで後は追わせないぜ!」
「否!消耗したお前などすぐに沈めてやる!!」
嬉々として凄まじい打ち合いを始める両者は一歩も引かず、その間に才蔵のほうは場外へとひたすら走り続ける。
あともう少しで才蔵が場外へ逃げ切れる頃合、流石に体力馬鹿の幸村相手に消耗した身体ではきつかったのか佐助の動きが鈍くなってきた。
打ち出される拳を避ける動きに若干の遅れが目立ち、危ういところで拳が身を掠める。
「どうした佐助っ!!さっきの言葉は口だけか?!」
「今からじゃ追いつけないでしょ!あいつさえ外へ逃げれば俺の勝ち!」
「もうそんなものはどうでも良い!この勝負には白黒つけさせて貰うぞ!!」
もはや幸村の頭からは戦っている理由が抜け落ちてしまっているらしい。
「俺は勝負に負けても良いんで試合に勝ちたいのっ!!」
「何を…っこの軟弱者めがぁっ!!」
暑苦しい叱責とともに、振り下ろされた拳を佐助が紙一重で避ける。
しかしその瞬間かくりと膝から力が抜けた。
「貰ったぁっ」
勝利を確信して叫んだ幸村の拳が、佐助の被っていたお面を掠り、パカンと小気味良い音を立てて砕け散った。
空中に飛散するお面の破片。
圧迫感に包まれていた視界が開け、その先に佐助が見たのは雄雄しく笑みを浮かべる主の顔。
そこへ止めの一撃とばかりに幸村が拳を突き出す。
…がしかし、その動きが急にびたりと止まった。
「……?」
身を縮めて衝撃に備えていた佐助も思わず疑問を覚える。
幸村も自分でその行動の意味が分からなかったのか、一瞬後思いなおしたように再度拳を振り下ろした。
しかし、僅かな時間でも間があれば佐助が体勢を立て直すのに十分だった。
交差した腕でその攻撃を防ぎ、しびれる腕を叱咤しながら弾いた幸村の腕を取る。
「何だっ?!」
予想外の動きに咄嗟に身を引こうとした幸村の動きを逆手に取る形で佐助は身を進め、そのまま素早く地を蹴り勢いを着ける。
「くっ…!!」
その時点で佐助の思惑に気付いた幸村は、同じく地を蹴って逃れようとしたが、僅かに佐助の方が早かった。
後ろに傾いた幸村の姿勢では踏ん張りが利かない。
それを上から押さえつけるように体重をかけ、地面へ押し倒した。
「っ…!」
背を打つ衝撃に幸村は息を詰まらせたが、どこにそんな余裕があったのか佐助の手が頭を庇ったらしく、打つであろうと覚悟した頭への衝撃はひたすら柔らかかった。
たとえ幸村の身を案じた行動と言えど、今は戦いの真っ最中。そんな気遣いを気にするつもりはなく、そのまま足を振り上げ反撃に転じようとした。
しかし次の瞬間、どんどんと地響きのように幾つも打ち鳴らされる太鼓の音が当たりに響き渡った。
「はーい俺様の勝ち」
十連続で大太鼓が打ち鳴らされるのは終了の合図。
才蔵が無事に場外へたどり着いたという事だ。
佐助はひらひらと手を振りながら下で顔をしかめている主へと勝利を宣言し、素早く立ち上がって上から退いた。
仰向けで天を睨んでいる幸村の表情はこれ以上無いほどのしかめっ面。
余程悔しいらしい。
「あの時躊躇さえしなけりゃあんたが勝ってたのに」
肩を竦めて佐助がそう告げれば、勢いをつけて幸村が起き上がり、憤然と言い返してくる。
「あれは!…仕方が無かろう。何故か身体が動かなかったのだ」
「何故か?…ってあんた、まさか理由分かってなかったの?」
「なっ…お前、俺が分かっていないのに理由が分かるのか?!」
佐助は凄いな!とばかりに満面の笑みで告げられ、佐助も釣られて顔を緩める。
「理由も何も…。まぁ、普通は甘いって言われるんだろうけど、あんたのそういうとこ好きだよ」
「い、いいいいきなり何だっ」
いつになく素直に伝えられた言葉に、流石の幸村も狼狽する。
しかし佐助は上機嫌ににこにこと笑い、幸村をからかう時の悪戯っぽい表情を浮かべると、事も無げにこう告げた。
「だってそうでしょ。俺様の顔見た瞬間殴るの躊躇するとかさ」
武将として誉められたことではない甘さといえど、そこに含まれた“敵意を向ける必要の無いもの” としての認識がただ嬉しい。
頭で考える前に身体が咄嗟に動きと止めるほどの信頼とはどれほどのものか。
それを思えば佐助の頬が緩むのも無理のないことだった。
胸の内が温まるこの感情を、斬って捨てることができるほど、佐助の中で幸村の存在は小さくはない。

























その後無事に鬼二人に特別恩賞が渡された。
しかし何故か選択式。
舌切り雀よろしく大きい葛篭と小さい葛篭が二人の前に置かれ、「さぁどっちがいい?」と質問を投げ掛けられる。
籤運の悪い佐助に選ぶ権利は無く、才蔵は話し合うまでも無く小さい葛篭を指差した。
選んだ理由は何となく。
良いおじいさんを連想した佐助だったが、渡された葛篭の中身をはらはらと開く心地にその考えを何処かへ押しやり、その中身へ目を凝らした。
「金…??」
「ざっと一人頭百両くらいか…?」
「良かった中身は普通だっ!!!」
戦の特別恩賞とは比べ物にならないが、こんな行事でそれだけもらえれば十分だろう。
とんでもないものが入っているかも、と内心戦々恐々としていた二人は素直にその賞金を喜んだ。
しかしだ。
佐助の籤運の悪さの前に霞がちだが、何気に才蔵も鬼の籤を引いていたのである。多数ある籤の中からあの鬼の籤を。
つまり、才蔵も決して籤運が良いわけではないのだ。
好奇心でもう片方の葛篭の中身を聞いた瞬間、二人は一瞬真顔になって顔を見合わせた。

特別恩賞:昇給

真田忍隊にとって、それは幸村にしか使えない絶対的な権力。
佐助がしつこくしつこくお願いしまくっているそれが、大きな葛篭の中に。
「てめー才蔵…よくも」
地を這うが如くの声音でそう絞り出せば、負けじと才蔵も言い返す。
「煩い。お前が選んでいたらこの百両ですら肩たたたたたき券に化けている」
「“た”がめちゃくちゃ多いんだけど?何それ俺様馬鹿にしてんの?」
「主殿お手製の場合いつも“た”が多いだろうが」
「そこまで律儀に再現しなくて良いっつの!!」
一触即発の雰囲気のはずが何処か間抜けなやり取りに化け、発散しそこなったやるせなさは、後ほど草屋敷の裏で無事に晴らさせることになったらしい。






























−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 忍隊のトップ二人に裏手に呼び出され絞められる部下達。

 何はともあれ節分です。
 皆々様に良い福が訪れますように!