ある日、かすがの許に部下の忍から報告が届いた。
その内容というのが、あの忌々しい佐助が身を置いている武田軍の情報だというのだ。
これを聞かないわけにはいかない。
あの男がどれだけ鬱陶しくとも、最愛の主の宿敵である武田軍のことなのだ。
苛立つ己の胸の内を宥め、部下の忍の声に耳を傾ければ。
武田軍というよりは、真田の、しかも忍隊の情報のようだった。
一番情報が漏れにくいところだというのに、おかしい。
疑問は感じたものの、その情報というのがなかなか興味深く、思わず考え込まずにはいられない。
なんと、真田忍が佐助を筆頭に忍の秘術を新たに会得したというのだ。
その名も「刀幻鏡の術」。
何やら字面だけで強そうな印象を受ける術名だ。
その上、そんな術名、かすがは初めて聞くものだった。
まことに遺憾ながらあの猿飛佐助とは郷里を同じとしている。
体術、忍術、薬術、そして技。
性別の差はあれど、同じ戦忍として今を生きているのだ。
お互い、知らぬ術など無い。
得手とする術の違いにより、扱える奥義は違うとは言え、名くらいは知っている。
しかし今回の術は聞いたことすらない。
これはやはり、調べなくては。
静かに決心したかすがは、ゆっくりと立ち上がり、さらりと金の髪を流して歩き出した。
ただ一人と決めた主の、妨げとなるものを排除するために。
鬱蒼と茂る枝葉の合間を飛ぶように駆けながら、並行して走るその男に向かって一つ吐き捨てた。
「お前が何をしようと、あのお方には指一本触れさせないっ」
「いきなり何?どういうこと?別に俺様軍神なんか狙って無いけど」
「軽々しくあのお方のことを呼ぶなっ」
「名前は呼んで無いから良いでしょーが」
「煩いっあのお方を呼び表す全ての言葉をお前が口にするだけで虫唾が走るっ」
「酷っ!!」
茶化すように大げさに驚いて見せた男は、苦笑しながらも目が笑っていない。
こちらが暗に匂わせた“武田の情報を何か掴んだ”という気配にいち早く気付き、探ろうとする目つきだ。
態度だけはふてぶてしいくせに、底の見えないこの男の本質に嫌気が差す。
それを崩したくて、核心を射るように言葉を続けた。
「“刀幻鏡の術”」
その言葉を口にした瞬間、男が足を滑らし、まさに飛び移ろうとしていた枝にべしゃっとぶつかった上、ひらひらと紙のように地面へ落下していった。
「さ、佐助…っ?!」
この男を格好良いと思ったことなど未だかつて一度も無いが、ここまで格好悪いところを見たのも流石に初めてだ。
いくらなんでも、と動揺していまう。
猿飛の名を持つこの男が、まさか木から落ちるなどと。
…ありえない。
「佐助…?」
信じられない思いで追いかけると、地面に蹲ったまま頭を抱えている姿が見えた。
一体何に衝撃を受けているのかは不明だが、外傷は無いらしい。
しかしさっきのこの男の動揺と言ったら。
目にしてみても、簡単に信じられるものではない。今でもまだ見間違いかと思うくらいだ。
「お前がそこまで動揺するなど…」
そんなに凄まじい術なのだろうか、そう続けようとしたところで、佐助が物凄い勢いで立ち上がった。
そして今まで見たことが無いような表情で捲くし立てるように話し出す。
「もう信じらんねぇっ!まっさか本当にこんなっ…、もうお前もさ、おかしいとか思わなかったわけ?!うちの忍隊の情報だよ?!俺様が統括してる隊だよ?!そんな簡単に情報なんて漏れると思うっ?!」
「何故私がお前をそこまで評価しなければいけない?!」
「正当な評価だっての!あんな阿呆みたいな情報に踊らされてお前がここにいる時点でその証明だろうがっ!」
「なっ…!!」
あっさりと言い切られたその言葉に、思わず口を噤んでしまう。
阿呆みたいな情報というのはあの術のことで、それに踊らされている?
この男の新手の誤魔化し方かと思ったが、そんなことのためにあんた格好悪い姿なんて晒すようなやつではない。
だとしたら…。
「偽情報だということか…」
「情報自体は嘘じゃねえよ。確かにお前がさっき言った術は最近できたさ…」
「どういうことだ?」
「…言いたくない」
「何故だっ」
「馬鹿みたいだから」
「お前っここまで言ってそれは無いだろう?!」
「言ったらお前だって絶対怒るって。俺が木から落ちるほどだよ?」
「………。」
確かにさっきの光景は衝撃的だった。
この男がそこまで自虐的な説得を口にするほど、その術には問題があるらしい。
しかしだ。
「ここまで来て引き下がれるかっ!怒らないと約束するからとっとと話せっ!」
「あーもう…。ホント知らないよ…?」
困ったように頭を掻きながら、男はその術を行う為に必要な作業を口にした。
あとは帰って試せという事らしい。
教えられた内容を反芻しても、特に問題のある作業は必要としない。
疑問に思いつつも、城へ戻ってその術を試した瞬間、男の言った言葉の意味を全て理解した。
どくどくと忙しなく脈打つ己の心臓。
絶え間なく噴き出してくる汗。
そして紅潮した頬。
…次に会ったら絶対に殺してやる。
そう心に誓ってしまうほど、その術の威力は凄まじかった。
「ふむ…」
全身黒ずくめの男がそう息を吐けば、周囲に集った者達が息を呑んだ。
空気が張り詰め、空間を無音が支配する。
周囲を渦巻く風すら息を潜め、辺りに茂った木々でさえ枝葉を揺らすことをやめた。
「やるか」
『応』
高くも無く低くも無い、印象の薄い声が一つ問いかけ、それにこたえる声が三つ。
そして四人同時にゆるりと手が動く。
「息を合わせろ。…失敗は許されない」
「…分かってる」
神妙な声が響いたかと思うと、全員手を胸の前で組み、足を大きく開き、腰を屈めた。
そして。
「いくぞっ」
「はっ!!」
鋭い掛け声とともに、素早い動作で印が結ばれる。
幾つかある複雑な動きを寸分の狂いも無く結び、その動きを四人が合わせ、術が完成する。
途端、一気に増えた人影。
そして濛々と巻き起こる白煙。
「やったか…?」
誰かが呟いたその言葉に、隠しきれぬ期待が滲む。
「……っ」
誰かがごくりと喉を鳴らし、数秒が数年とも取れるその時間を耐えた瞬間、大きく唸りを上げた風が白煙を吹き飛ばした。
『……っ!!!!』
声にならない歓声が上がった。
皆が一様に打ち震える中、自信に満ち溢れた声が響いた。
「見よ!この夢、空、間っ!!」
ずびしっとポーズを決めて宣言したのは幸村。
その横で涼しげに佇んでいるのも幸村。
さらにその横で髪をかき上げているのも幸村と幸村。
そして更にその横で肩を竦めて、やれやれ、といった表情を浮かべているのも幸村。
後ろの方でもきょろきょろと自分の姿を確認しているのも幸村。
そし…(以下略)
「我らの技の冴えと、息の合った連携があっての複合技!」
「うむ。これを“桃源郷の術”と名付けよう」
「おお!ぴったしの名前だね!」
「まさかこの世で極楽浄土が拝めるとは…」
「何言ってんの。俺らが死んでそんなとこ行けるわけないでしょ」
「はっはっは!違いない」
「あっはっはっは!」
周囲から次々上がる笑い声。
その大部分を占めるのが作られた幸村の声。
そしてその場に大手裏剣“闇烏”を手に忍隊の長が斬り込んでくるのに、そう時間は掛からなかった。
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かすがは謙信様で試しました。
あと、秘術会得の情報流したのは才蔵です。
「こんな情報に踊らされている敵方を見て嗤ってやろう」とか言って広めました。
彼がボケ側に回ると収拾つかなくなります。