鏡と睨めっこしながら自分の顔に色々塗りたくっていたら、どかどかと騒がしい音が近づいてきた。
足音だけで分かる、主の気配。
その音が部屋の直ぐ前で止まったかと思うと、しゅかっと小気味良い音を立てて襖が勢い良く開かれた。
「何だ、お前の衣装合わせはまだ終わっておらんのか」
そう言って近づいてくる幸村に、作業の手を止めて答えを返す。
「まぁね。何か俺のだけ他のより派手に作るみたいでさ。今は髪の飾り紐を編みなおしてるみたいだけど」
「飾り紐…?髪もいじるのか」
「結いはしないけどね。色々括りつけるんだって。…俺様の髪の色がこれだから、半端な色じゃ映えないんだとさ」
「ふむ…俺にはよく分からん」
そう言って幸村が直ぐ傍に腰を下ろした。
それを目で追っていれば、小皿に分けられた色の散らばる様をしげしげと眺めている。化粧道具など幸村が早々目にする物でもないため、珍しいらしい。
「飾りだけでなく、化粧までするのか?」
一通り道具を見て満足したのか、今度はこっちの顔をしげしげと眺めながら問うてくる。
それに作業を再開させながら答えた。
「化粧ってより変装のが近いかな。何せ化ける対象が人じゃないもんでね。今は顔色消してるとこ」
「ふむ…」
結局興味が失せたのか、幸村は視線を化粧道具へと戻した。
「その割には色んな色が揃っているな」
「さっきまであいつらが使ってたんだよ。薄布で顔隠すらしいけど、色はのせるんだとさ」
「ああ、あの隈取はそういうわけか」
どうやらつい今しがたまで他の忍達を見ていたようだ。
合点がいったように笑った幸村は、何気ない仕草で朱色の筆を取った。
そしてそれをくるくると操り、宙に何か描いてみせる。
何を描いたか横目では確認できなかったけれど、身体の害になるような薬は使っていないから玩具にされても特に問題は無い。
「一応言っとくけど、衣には気をつけなよ?忍化粧にも使うやつだから衣についたら簡単には取れないし」
「ああ」
幸村から返事は返ってきたものの、どうにも中身が伴わない。
生返事を返すな、と文句を言おうとして首を動かせば、朱を乗せた小皿に手を伸ばす幸村が見えた。
何をする気なのか。
「結構値は張る薬だから、落書きとかはしないでよ」
一番可能性の高そうな行動を口にすれば、予想と外れたのか幸村が眉をひそめた。
「いつまでもそんな童子のようなことをするか。…それより顔を貸せ」
「は?」
どこぞのカツアゲのような文句を口にした幸村を、思わずぽかんと見つめてしまう。
しかし呆けている間にも、筆を持った手が近づいてくる。
ちょっとまて。
「何?ちょっ、ななな何する気?」
予想は出来るけれど、認めたくない。
無意識の内に後ずさり始めると、小皿を置いて空いた手の方が近づいてくる。
明らかに捕獲しようとする感じの手の形だ。
「だ、旦那っ!今落書きしないって言ったところだろ!何で筆持って近づいてくんの!何書く気なの?!」
「落書きではない。目元に朱をのせるだけだ」
「な…っ?!」
驚愕の内容に思わず絶句する。
幸村が筆で目元に色をのせる?!
それはもう目潰しと同義語だ。
「まままま待って!いいから!自分でやるから!!」
「動くな。手元が狂う」
「おおお俺様顔の上半分は化粧いらねーのっ!!ほら仮面…じゃなかった、えっと、とりあえず隠すから!」
うっかり仮面のことを口にしてしまい、慌てて誤魔化す。
「何で隠そうが剥がれることもあるだろう。せっかく派手にいくと言っておるのに飾らねば勿体無い」
「うわわわわわちょっ近い!怖い!」
尖がった筆の先っぽが目の前にある。
顔の前とかじゃなく、眼球の前だ。
「ちっ、煩いやつだな」
舌打ちした?!
幸村らしからぬ行動に思わず硬直すると、肩を押されて畳へ押し付けられる。
動転して跳ね上がった足が鏡を倒してしまった。
ってそんなこと考えている場合ではない。本気で逃げ道が無くなってしまっている。
「き、気持ちはありがたいんだけど、俺様自分でやりた…、」
「朱くらい俺にやらせろ。…武田の色だ」
その無駄に男前な仕草や発言をやめて欲しい。
しかも武田の色と言われて朱を示されても、こっちにとっては幸村の色にしか見えないのだ。
あらゆる意味で逃げ道が無い。
心が既に折れそうだ。
それでも目潰しは怖い。
「ちょ、お願いっ!ほんと許して…!こここ怖すぎるからっ」
必死で顔を背ければ、顎を掴んで顔を固定された。
「大人しくしていれば直ぐ済む。痛くしないから大人しくしておれ」
何だか別の意味に取られそうな発言を天然でかまさないで欲しい。
発言が色々ギリギリだ。
「う、旦那っ…マジでやめてっ」
「む、こら。泣くな」
「かろうじてまだ泣いてねぇよっ!滲みはしてるけどねっ」
必死の抵抗も主の馬鹿力の前には敵わない。
「朱が溶けるぞ?」
「そ、その前に俺様の目が朱に染まるっ!」
「戯言を。ほら、大人しくせぬか」
全く言う事を聞かない幸村は真剣な目つきで筆を向けてくる。
それが余計に怖い。
「俺様まだ失明したくないぃぃぃっ」
「失礼な!確かに俺は不器用だが、筆を持たせればお前より余程綺麗に字を書けるぞ」
「それとこれとは別でしょうがっ!」
半泣きでそう叫べば、幸村は凛々しい表情できっぱりとこう宣言した。
「別なものか。証明してやる」
反論が全部裏目に出ている。
「証明とかいらないから!ってわわわ?!ちょ、うぎゃあ―――――っ!!」
情けなく叫んだ瞬間、庭に面した方の襖がすぱんと開かれた。
涙目を向ければ部下である由利鎌之助が立っている。
目をかっ開き、口もかぱっと開いたまま動かない。
「由利…?」
助けてくれ、恥も忍んでそう告げようとした瞬間、今の状況が他人の目にどう映るのか理解してしまった。
体勢に関しては明らかにおかしいし、自分にいたっては半分泣いている。
思慮の浅い人間ならあっという間に勘違いしてしまうだろう。
それはもう…限りなく桃色に近い感じのものに。
しかし、由利は軽そうに見えて中身は結構冷静沈着で場の状況に流されない強かさをもっている。
呆気に取られたような表情を次の瞬間には消し去り、代わりに楽しげに笑って見せた。
その笑顔が怖い。
「ゆ、由利…」
思わず名前を呼べば、無邪気な顔で首をことんと傾げ、こんなことを言いやがった。
「貞操の危機…??」
「眼球の危機だ阿呆ッ!!」
間髪いれずそう返せば、今度は幸村が口を開く。
「だから違うと言っておるだろうが!」
「違わない!違わないっ!!」
「煩い奴め。えい」
そんな間抜けな掛け声とともに、目元にぺたっと筆の感触。
「……ひっ」
こうなったら簡単には動けず、喉が引き攣り硬直してしまう。
その間にも、意外と丁寧な手つきで幸村が筆を滑らしてゆく。
何度が筆が行き来し、途中で色を足されながらも今のところ目は無事だ。
「幸村様、意外と器用なんですね」
「うむ」
入口に立ったまま傍観している由利が暢気なことを言っているが、こんなぎりぎりの状態で幸村に声を掛けないで欲しい。しゃべったと同時に手を滑らせたりしたら冗談抜きで眼球から流血だ。
一応手つきは丁寧だし、由利が器用という程度には定まった動きをしてくれているが、不安なことには変わり無い。
内心慄いていると、幸村が筆先を離して一つ息を吐いた。
どうやら完成したらしい。
「うむ。やはり言ったとおり目は無事だったろうが」
そんなことを得意げに宣言してくれているが、それは気をつけるべき事項の最下限を這っている。
成功したとしても怖いものは怖いのだ。
「さっきの発言は撤回するから、そろそろどいて下さいよ」
「む、謝罪に誠意が見当たらんな。…別の色も足してやろうか」
「わっごめんなさい!ホントごめんなさい!反省してます!!旦那ってば器用!素敵!!」
「余計に腹が立つんだが…」
「んじゃどうしろっての!いいじゃんもう完成したんだろ?頼むから開放してー!俺様まだこの後髪もいじくられるんだから!」
「ではそれも俺がやってやろうか」
「今度は毛髪の危機っ?!」
思わず口にすれば、由利が噴き出した。
他人事だから笑えるのだ。
「おいっ由利!お前笑ってないで助けろ!」
「鎌之助、そこを動くなよ?」
こちらの言葉に続けて幸村がそう命令した。
どちらの命令が優先されるかと言えば明白で。
「さて、ここに花飾りがあるな…」
「え、え、えっ?!」
「俺の好きな赤い花だ」
「うえっ?!」
困惑の声も空しく、今度は花飾りを持った手が近づいてきた。
逃げられない。
やばい。
さっきと似たような危機感を覚えつつ、自分の髪が掴まれる感覚を覚え思わず祈った。
耐えてくれ、俺様の頭皮…!!!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
怪盗天狐仮面、幕間「色」ってことで化粧佐助です。
曼珠沙華さんの化粧佐助のイラストが素敵過ぎてこんなテキストができました。
双葉様、心良く承諾していただきありがとうございました!
(08.1.8)