ぱっと見猫のように見える姿形。
まるっとした二頭身。
手のひらにちょうど収まるほどの小さな体。
招き猫のように片足を上げた仕草。
材質は木。
そしてどうにも可愛くない表情。
熊と狸と狐が混ざり合って、ちょっと失敗したら猫に似てしまったみたいな顔だ。
はっきり言って不細工。
そんな置物が、佐助の部屋の棚の上に飾ってある。
部屋の戸を開けて一番に目が行くような位置に備え付けられている棚だ。
そこに、不細工な猫(?)の置物。
忍隊の長の持ち物なのだから、何かしら意味をもつものなのは確かだ。
というより物凄い意味をもつ品だ。
仮に草屋敷が火事になったとして、忍隊の人間が持ち物の中で一番気にするのはこの猫(?)の置物だろう。
しかもそういった準備は万端で、部屋の主が不在の場合誰がこの置物を保護するか、などという当番まで決めてある。
それほどに大切なものなのだ。
天気のいい昼時には風通しの良い場所に陰干ししてあるし、埃がかぶらないように定期的に拭き掃除まで行われている。しかも使用される拭き掃除用の布地は麻でも綿でもなく絹だ。
値の張る着物を仕立てるための生地を、何てことに使っているのかと説教したくなるような所業だが、何度言っても絹で拭き掃除という贅沢なお手入れは継続されている。
言っても聞かなかったからだ。
ついでにこの置物には名前も付いている。
その名も「妙ちゃん」。
くの一がきゃぴきゃぴそう呼んでいるのを佐助がたまたま耳にして、名前の由来を聞いた瞬間、即刻そのことを後悔した。
妙ちゃん。
呼び名は可愛いが、実は珍妙な顔だから、というのが名前の由来らしいのだ。
本当に聞かなければ良かった。
大事にしている置物なのに、何げに酷い。
そう思って呼ぶことを躊躇する佐助を尻目に、隊内でその名は定着していってしまった。
妙ちゃん。
戦国の世に名を馳せる忍の精鋭部隊である真田忍隊で「今日の妙ちゃんの清掃当番は誰だったっけ?」「あーそういや急に任務入ったとかで代わりに藤がやるらしいぞ」だとか「長、妙ちゃんは何処に…?」「…あー、さっき小介が持ってったけど」「なんと!この時間帯は陰干しと決まっておりますのに!小介殿は本日は当番ではございませぬ!」「へー…」などと、実に微妙な会話が飛び交っているのだ。
何故か無性に泣きたくなってくる。
そんな妙ちゃんだが、実は物凄い力を秘めている。…様な気がする。
というのも、妙ちゃんがこの草屋敷にやってきてから、実に様々なことが起きたのだ。
一言で言えば、相次ぐ部下の生還。
…と言っては酷過ぎる気がするが、どうにもそれがそうも言いきれない。
忍なんてはっきり言って物凄く危険なお仕事だ。
任務によっちゃ普通に死ぬし、ただ死ぬだけではなく場合によってはそれよりも酷い目にあう。
詳しくは割愛しないと大変なことになるから明言はしないけれども。
そんな忍の危険なお仕事で、最近頻繁に起こっていること。
それが絶体絶命の危機に決まって訪れる幸運だ。
毒を浴びたと思えば何故かその毒が傷薬の間違いだったり、致命傷となるはずの敵の一撃が偶然逸れたり。
銃撃を雨のように浴びかけた時だって、なぜか火薬が湿っていて不発に終わったり。
極めつけがあれだ。
敵に四方を囲まれた絶体絶命の局面。
もはやこれまでと思い証拠の隠滅にかかろうとした瞬間だ。
何故か地面が陥没した。
しかも、その部下の足元を除いて。
これはあまりにもおかしいだろう。
火薬の時だって別に雨が降っていたわけではない。どちらかと言うと気持ち良いくらい空は晴れ渡っていた。
地面が陥没したのも崖とか山際とか川べりではなく街道に程近い野っ原だ。
あまりにも不自然すぎる。
どうにかして原因を調べようにも、相手のうっかりミスとしか判断できない内容だったり、自然のもたらす幸運な地盤沈下だったり。
もうお手上げだ。
分かっていることと言えば、それが妙ちゃんが草屋敷にやってきてから起こっていること、ということだけだった。

普通に考えれば、ちょっと怖い。

起こっていることが幸運だとしても、大抵の物事に対して疑ってかかる忍の性のせいで、どうにも楽観視できない。
こうも不自然なことが続けばあとからどんなしっぺ返しをくらうかを考えてしまい安心できないのだ。
そこで、手放してみるか?という考えが頭をよぎった。
よぎっただけでなく部下たちに言ってみた。
言ってみたけれど。

物凄い猛反発を食らった。

こちらを射殺さんばかりの眼光で睨まれ、食われそうな勢いで抗議され、くの一達には「長酷い」と泣かれた。
こっちが泣きたい。
本当はこっちだって捨てたくはないのだ。
手放したくないどころか大切に仕舞っておきたいくらいだ。
佐助にとっても大事なものなのだ。
っていうかもとは佐助が買って貰ったものなのだ。

送り主、幸村

手放したい訳がない。
己の手持ちの品でこれより大切なものがあるかどうか迷うくらい大事なものだ。
それを買ってもらったのは数か月前。
不気味な露天商へと主に連れられて見に行って、変な石像やら変な織物やら変な置物やら変な香炉やら変な生き物の干物やら変な薬やら…もう変なものずくしの店で、一刻も早く幸村を連れて立ち去りたかったあの時。
幸村が一つの置物に目をとめた。
そのまま吸い寄せられるようにそれを手に取り、くるくる手の中でまわしてその姿を眺め。
気付けば店主に勘定を済ませていた。
なんてもん買うんだ。
そう思って絶句している佐助を余所に、幸村は満足げな顔をして一言。
「お前にやろう」
「は?」
そして妙ちゃんは佐助のものになった。
受け取るつもりはなかったのだが、店主に「こりゃ香木で出来た高級品ですよ」なんて信じられないことを言われ、幸村にも「いざとなったら売って路銀にしても良い。しかしなるべく傍に置いておけ。草屋敷がいいな。いらないなら部下にでも管理させろ」何て言われりゃ受け取る他無かった。
いったい幾らしたのか怖くて聞けないが、これは正真正銘の、幸村からの贈り物だ。
大切にしない訳がない。
それでもこの不気味な幸運とのリスクを考えて、泣く泣く出した提案だったのに。
酷い。
忍隊が酷い。
誰が好んでそんなことするか。
地味に落ち込んでいれば、才蔵から「主殿が手ずから選ばれた品に、悪いものがあるはず無いだろう」と、珍しく慰めのような言葉を掛けられた。
根拠の無い理由だったが何故か説得力があった。
それで納得した訳では無いのだが、結局今も妙ちゃんは佐助の手元にあるのである。











「はぁ…もうお前何なの?」
机の上に鎮座する不気味な置物を指の爪先で突けば硬質な木の音がカツンと響いた。
当然のことながら返答など返ってくるはずなど無い。
ただの佐助の独り言だ。
「お前が来てからだよ?異常に俺らに良いことが起こるのって」
鼻の先っぽを指でつんつんと突いてそんなことを言ってみる。
置物相手に何をやっているのだ、と自分で自分を笑ってやりたい気分にもなるが、別に部屋には己一人しかいない。
それならば何をしていても構わないだろう。
「旦那が買ってくれたからか?…まさかお前って何かのお守りだったりする?」
丁寧に磨かれた頭部はさわり心地が良い。
つるりとした感触が指の腹を擽り、木の心地よい冷たさが指先の熱を溶かす。
「それとも不思議な力でも秘めてんのかね」
まるっとした背を指で辿るように撫でて、そのあんまり可愛くない顔を覗き込む。
やっぱり可愛くない。
「俺らのことなんて守んなくていいのに」
ぽつりと呟いた言葉は、思っていたより真摯に響いた。
耳で拾った己の声音に少し驚く。
「ね、妙ちゃん」
この名を真面目に呼んだのは今が初めてだ。
ずっと“あの置物”で通してきたから。
けれど今は、あえて名を呼んでみる。
ちょっと願いを掛けてみようと思ったのだ。この不思議な置物に。
「俺らを守ってくれるぐらいならさ…、真田の旦那守ってよ」
あのひと無茶ばっかりするから心配で。
そう続けて、今度はぷくっとした頬のあたりを人差し指の腹で突っついた。
髭の部分がでこぼこしているせいで、少し感触は良くない。
「俺らだって、あの人のことは全力で守るけど…何事もあるに越したことは無いし」
なんて付け足しつつも、結構本気だ。
これだけの幸運が続いているのだ。それを忍隊ではなく、幸村に降らせて欲しい。
「頼むよ、妙ちゃん」
忍隊にとっての幸運は、己の無事なんてものではなく、幸村が存在している事だ。
あの人がいつも通り暑苦しく健やかに生きていてくれれば、それが何ものにも代えがたい幸運となる。
「何か名前呼んだら可愛く思えてきた気がする…。うん、さっきより可愛く見えなくもない」
喉のあたりを爪の先でカリカリと引掻いて、本物の猫をなでるような仕草であちこち触れてやる。
この木彫りの置物が生きていたら、今頃のどをころころ鳴らしただろうか。













一方その頃、佐助の部屋からそれなりに離れた場所にて。

(何あれ何あの長何やってんの)
(ああいうのを反則って言うんじゃなかったか)
(指で妙ちゃんつついてるよ長っていうか可愛い)
(あの人普段格好良い癖にたまにこういうことするんだよな)
(口の動き読んだか?もうこれ卒倒もんだぞ)
(長って何だかたまに凄く可愛いわよねぇ…)
(しっ…。もう少し気配消せ。佐助ならこの距離でも気付くぞ)
(っていうか佐助が珍しく今日非番なのに副官の才蔵が何してんの)
(俺は通りすがりだ)
(こんな間の良い通りすがりなんているかよ)
(佐助に報告しに行こうと思ったらあんな状態だったから即刻回れ右したんだ)
(おーそりゃ良い仕事したわ)
(でもそろそろここで油売ってるとあいつが怒りそうなんだな…)
(大変だねー忍隊の二番手は)
(お前らも似たようなもんだろうが。何で十勇士のほとんどがここに揃ってる)
(俺非番―)
(右に同じ)
(俺は才蔵と同じ理由)
(右に同じ)
(同じく)
(こっちも)
(…………)
(まぁそう落胆しなさんな。そろそろ行ったら?あの人が部屋にいるなんて殆ど無いんだし)
(そういうお前らもな。とりあえず俺がまとめて報告するから要点まとめ…)
「…っ!!散れ!!気付かれた!!」














「才蔵」
「何だ」
細い木の枝に危な気なく立っている佐助が、絶対零度の声音でこちらの名を呼んでくる。
流石に肌が粟立ったがそれをおくびにも出さないで、平然と返してやった。
しかし顔は能面のように無表情を装ってはいるが、内心では今この時捕まったのが己で良かった、と心の底から安堵していた。
もし他の連中が捕まり、この視線に晒され、そして余計なことでも口走っていたら。
…考えるだけで頭が痛い。
副官なんて面倒な立場にいるだけあって、佐助に対しては他の者より耐性が付いているのだ。
だからこの切り口のようにスパッと変わる気配にもある程度慣れているし、視線だけで見る者を殺せそうなこの冷たい眼光にも耐えられる。
そういう訳だからこんなことも言えてしまう。
「お前が妙ちゃんを突っついて何やら可愛らしい事を言ってい」
「言うな阿呆!!」
「お前が言わないから言ってやったんだろうが」
「お前のさっきの態度でどこまで聞かれてどこまで見られていたのかも全っっ部悟っちまったんだよチキショー!!!」
「下忍はいなかったから安心しろ」
「幹部連中のほとんどが見てたってことの方が俺は恥ずかしいっ!!」
「何を恥ずかしがる。俺も同じようなことをやったことあるぞ」
「…へ?」
この男の間抜けな顔と言うのは珍しい。
意表を突くことが限りなく困難なこの男の、常に浮かべている飄々とした笑みを簡単に崩すことが出来るのは幸村様とお館様の御二人のみ。
それなりに長い付き合いの才蔵でさえなかなか出来ないことだった。
しかし今回は流石の佐助も思いもよらぬ返答だったらしい。
嬉しいことだ。
「誰だって御利益がありそうなものには、一番叶えて欲しい願いを口にするものだろうが」
「そりゃ、まぁ」
一般論だからこそ、忍には遠い通説のように感じたのか。
佐助の考えが手に取るように分かり、思わず苦笑を洩らす。
「神も仏もあの世もこの世も特に意識するつもりも無いけどな。願うのは自由だ」
この男に向かってこんな説教たれるなんて思ってもみなかった。
その事実が少し恥ずかしい。
「主殿には言わないでおいてやるから安心しろ」
「いや俺としては忍隊の連中に見られたことも同じくらい恥ずかしいんだけど」
「それは無防備に部屋であんなことしてる方が悪い」
「のぞき見してる方はどうなんだよ」
「邪魔しちゃ悪いと思っただけだ」
「俺の目を見て言え――――ッ!!!!」
「邪魔しちゃ悪いと思っただけだ」
「半笑いで言うな阿呆―――ッ!!!!」
「邪魔しちゃ悪いと思っただけだ」
「今更そんな真剣な顔で言われても説得力なんてあるか――ッ!!」
「注文の多いやつだな…」
「…ッ誰のせいだと思ってんの?!」
「まぁそう絶叫するな」
「っかー!なんつーか気に食わねぇ!」
そう言って髪をくしゃくしゃと掻いて佐助は仏頂面でしゃがみこんだ。
「あ~もう最悪。でも一番最悪なのは見られてんのに気付かなかった俺様!!!」
「うちの連中の力量を実感できて良かったじゃないか」
「あーもうお前黙れ」
俯いて自己嫌悪に陥っている佐助を横目で見つつ、才蔵は一人嘆息した。
黙れと言われてもこっちは報告を何件も抱えている身である。
ここで佐助の気が済むまで待機している暇なんて無い。
「佐助」
名を呼ばわれば、しっしと手で追い払われた。
「報告」
無視して告げると、伏せていた顔を緩慢な動作で持ち上げて、もの凄く嫌そうな顔をされた。
意思は嫌という程伝わってくるが、仕事の話はしっかり聞こうとするところはこの男らしい。
「ふざける前にとっとと用件言ってりゃ良かったんだよ…」
「多少なりともあの空気を和ませないと今にもお前俺を殺しかねない雰囲気だっただろうが」
「殺すまでいくわけないでしょーが。精々拳を一二発…」
「返り討ちにしてやる」
「………」
一瞬にして空気が冷えた。
この男はやる気皆無に見えて実のところ好戦的な一面もある。
何やらは飼い主に似る、というあれだ。
しかし今はやり合ってる暇はない。
「まぁそれは置いといて、とりあえずこれ見ろ」
「何これ」
「人に任せた仕事忘れるか?」
「違う、字が汚くて読めないの」
「………」
今度はこちらが意識して空気を冷やした。
霧隠の異名を思い知らせてやろうかと周囲の水気を呼応させる。
「まぁそれは置いといて、報告の続き聞くから」
しかし佐助もいまやり合う暇はないと判断したのか、今度は佐助が中断させた。
けれども一矢報いてやったという小憎らしい笑みが心底憎たらしい。
「字の汚さはお前もそう変わらん癖に」
「俺のはまだ読める範囲内です。旦那だって言ってたし」
「…何?お前俺の報告書を主殿にお見せしたのか?」
「違う違う。俺の報告書見て“読みやすくなった”って言ってたから」
「出発点が地を這っていただけじゃないのか?」
「お前ぶん殴られたいの?」
「事実を言ったまでだ」
「ふーん」
佐助は何気ない様子でそんな相槌を打ったが、手にはしっかりと苦無が握られている。
それを一体どうする気なのだろうか。
「…忍隊の長たる者がこんな安い挑発に乗るなよ?」
言ってはみたものの、佐助の纏う空気は変わらない。
どうにも剣呑な気配を飄々とした笑顔の下に隠しつつ、慣れた様子でくるくると苦無を手で操っている。
こうなったら腹を決めて、一手やり合うしかないのかもしれない。
半ばあきらめて佐助を見やれば、楽しげに答えが返ってきた。
「ま、俺様今日非番だからさ、ちょっと相手してよ?忍相手って久し振りだし」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた己の上官は、そう言って苦無を手に飛びかかってきた。
いつもの装束よりずっと軽装で仕込み武器も圧倒的に少ないというのに舐められたものだ。
こちらも脇に差した忍刀を抜き放つと、迫りくる刃を受けとめるべく腰を落とした。

ふと思ったのだが、今佐助と殺しの道具で本気でやり合うこの場合。
一体妙ちゃんはどちらを守ってくれるのだろうか。
答えを知る様なことにならないことを祈りつつ、手にした得物の感触を確かめた。



















翌日、真田忍隊のトップ二人が幸村に呼び出され、懇々と説教される羽目になった。
分かったことは、忍隊の者同士の戦いには妙ちゃんの強力な幸運も作用しないという事だった。
体中が痛い。































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 佐助って物に執着することなんて無いだろうけど、幸村に買ってもらったものなら出来る限り大切にしそう。
 幸村って天然で慧眼持ってそうだから、買い物でも何でも良いものを自然に選ぶような気がします。
 ほんのちょっとだけ「満月のよるに」踏襲。